第2話 大魔法使いバニ

 色白の少女は、服についた砂埃を払いながら立ち上がった。リンドを見て、もう一度同じ質問をする。


「人の話聞いてた? ここがどこだって言ったつもりだったんだけど」

「え、ブラン村だけど……」

「はー? あの寒い上にご飯も美味しくなくて景色も退屈な魅力が一つもない辺境の地? ワタシ、なんてところに落ちたんだ……」


 大袈裟に頭を抱えながら唸る少女に、リンドは顔をしかめた。自分の生まれた土地を馬鹿にされたことに腹が立たない者はいない。


「……まぁいい。これもワタシが未熟だっただけのことだ! 大魔法使いにも失敗はある」

「大魔法使いって……それに、僕「少年」って言われるほど子供じゃない」

「ワタシから見れば、ワタシより若い人間は皆少年さ。大魔法使いバニ様が言うんだから間違いない」


 バニ、と名乗った少女は無い胸をえっへん、と張った。こんな少女が自分より年下のはずがない。リンドはため息を吐き、たった今少女が突き破った獣舎の天井を見上げる。


 見事な大穴が開いていた。修理するのに骨が折れそうだ。だがバニは自分が起こした事故を気にするでもなく、獣舎を見まわして顔を輝かせた。


「竜がいっぱい!」

「ちょ、ちょっと」


 リンドの静止を振り切って、バニは足取り軽く駆け出して獣舎を見て回る。食後の睡眠をとる竜を見ながら、バニは嬉しそうに言った。


「この子たちはみんな大人しいね? 結構大きい音を立てたと思ったけど、一匹も騒いだり暴れたりしない! なんていい子たちなんだ!」

「獣舎の柵には防音術がかかってる。あれくらいの音なんて聞こえないから、暴れたりしないよ」

「……獣舎? 防音術?」

「うん。ここはアラン商会が所有する竜の育成所」


 リンドがそう言うと、バニは突然俯いて黙り込んでしまった。やっぱりどこかぶつけていたのだろうか、とリンドが心配して顔を覗き込もうとした瞬間、バニは顔をあげて叫んだ。


「竜を、獣と、一緒に、するなー!」


 バニは竜が閉じ込められている獣舎に向きなおって両手を胸の前で合わせ、八つ当たりのように呪文を唱えだす。


「バイズ、ガト、アウヤ、リーシト、コルナ!」


 足元に無数の魔法陣が生まれ、赤色に発光しながらくるくると踊った。彼女の怒りに呼応するように、陣の中心から風が吹いた。


「吹っ飛べ!」


 言葉と共に、獣舎の柵が爆ぜた。魔術式で守られている頑強なはずのそれは、まるで飴細工のようにいとも容易く崩れていく。魔術による戒めが解かれた竜たちが、一斉に開放の咆哮をあげた。


「じゅ、獣舎が……」


 目の前の光景をただ口を開けて見ているリンドに、バニは笑顔を浮かべて振り返った。術の余波で吹き飛んだ天井から、陽光がキラキラと零れ落ちる。獣舎を舞う埃がそれを反射して、リンドはきれいだ、と的外れなことを考えた。


「金輪際、竜を獣と一緒にするなよ少年。あれは高貴な生き物なんだ。人間の手で拘束していいほど、安い生き物じゃない」


 言いたいことが言えて満足したのか、バニはふふんと誇らしげに笑った。その細い肩に必死の形相でつかみかかったのはリンドだ。


「な、なんてことしてくれたんだ! 今日の清掃当番は僕だったんだよ! こんな騒ぎになったらクビどころじゃ済まない……!」

「何でそんなに慌ててるんだ? ワタシはただ竜を放ってあげただけで」

「それが大問題なんだよ! どうしよう……下手したら憲兵に連れていかれる……村の恥だ……」


 今度はリンドが頭を抱える番だった。今日はとにかく散々だ。愛着が沸いて大事にしていたウィードが商会に連れていかれ、掃除をしていたと思ったら少女が落ちてきて獣舎の天井に穴が開き、さらにその少女は魔法使いで獣舎の柵を全てぶち壊した。これが厄日だと言わずになんというのだろう。


「なんだ?」

「すごい音がしたぞ」


 獣舎の外から、商会の人間の声がする。リンドはハッと顔をあげた。アランはウィードを連れてブラン村を発ったと思っていたが、まだ商会の下っ端たちは後片付けで残っていたらしい。この惨状が知られたら、捕まるのは火を見るよりも明らかだ。


「やばい、逃げなきゃ」


 そう呟くと、バニは首を傾げた。


「なぜ逃げる? それより先に竜を自然に返さないと」

「君は竜の何なんだ? このままここにいたら、僕も君も商会の連中に捕まって憲兵に引き渡されちゃうぞ!」

「け、憲兵? それは、国家憲兵?」

「それ以外に何があるんだよ!」


 国家憲兵、と聞いた瞬間にバニの顔色が変わった。ひどく青ざめ、今までの不遜な態度とは一転して怯えるような素振りを見せる。


「……ワタシも逃げよう。だが、生憎だがワタシはこの村近辺の土地勘がない。少年、案内しろ」

「横暴だなぁ……! ついてきて!」


 リンドはバニの手を取って、獣舎の裏口に向かった。落ちてきた天井の瓦礫が散乱していたが、普段から足場の悪い道を歩いて獣舎まで竜の世話をしに来ているリンドにとっては、この程度なら何の苦にもならない。バニも軽い足取りで瓦礫の中を走っていた。旅慣れているのだろうか。


 幸運にも裏口は何とか人ひとり通れる程度に隙間が開いており、そこからリンドとバニは抜け出した。獣舎のすぐ近くには深い森がある。ブラン村の住人ならともかく、アランについてきただけの商会の人間ならここで子供二人を見つけることはできないだろう。


「とにかく、森に入ってあいつらをやり過ごさないと」

「少年、何か森に行く当てでもあるのか?」

「僕が昔父さんと使ってた小屋がある。知ってる人は限られてるから、多分大丈夫だと思うけど……行こう」


 茂みに身を潜ませながら、二人は慎重に森の中を進んでいく。時折森の外から響く怒号も、しばらくするうちに静かになった。


「……少年」

「何?」

「そういえば、ワタシは君の名前を聞いていなかった。聞かせてくれないか?」


 少女は外套の頭巾を目深に被り、こそこそと辺りを警戒しながら小声でリンドに話しかけてくる。リンドも何となくそれに倣って外套の頭巾をかぶった。


「僕はリンド。リンド・ダ・ブラン」

「ブラン村のリンド、か。この地域の風習だな。ワタシはバニ」

「バニ……だけ?」

「故郷はない。だから、バニだけだ。そう呼んでくれ」


 バニは何の感慨も湧かない声でそう言った。


「バニは、どこから来たの? 故郷がないって、竜に焼かれたとかそういう?」

「ワタシの故郷はない。ないったらないんだ。どこから来たかといえば、一番最近寄ったのはジールだな」

「ジール? 貿易都市じゃないか」

「知っているのか?」

「当たり前だよ! 一度でいいから行ってみたいんだ」


 ブランから一度も出たことのないリンドにとって、外の世界は憧れの象徴だった。その中でも、「買えないものはない」と言われるほどに大きな貿易都市ジールは行ってみたい場所の一つだ。だが、バニは表情を曇らせた。


「あそこは嫌いだ。どいつもこいつも、竜を商品としか見ていない。肉、鱗、爪、飛膜、内臓、骨……ばらばらにされた竜たちのなんと痛ましい事か」

「……でも、それは今の時代だと普通だよね」

「普通であってたまるか。あんな野蛮なこと」


 忌々し気に吐き捨てられた言葉にリンドは違和感を覚えたが、ようやく目的の小屋が見えてきてその思考は途切れてしまった。


「あそこだよ。父さんと僕の隠れ家」

「おんぼろだな」

「父さんがいなくなってから、ずっと来てなかったんだ」


 リンドは外套の頭巾を外し、そのポケットに入っていた鍵を取り出そうとする。その手に獣舎で拾ったウィードの鱗が触れた。連れていかれてしまった蒼い竜の事を考えると胸が痛いが、今は小屋に入るのが先決だ。


「父親がいなくなったと言っていたな。どういう事だ?」

「それは、ゆっくり説明するよ」


 バニの質問に、リンドははぐらかすように答えた。扉を開け、尾行されていないかを確認し閉じる。鍵をかけ、森は静寂に包まれた。

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蒼い翼のリンドヴルム 逆立ちパスタ @sakadachi-pasta

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