12月30日

12月30日

 「おはよう」

その声で目が覚めると目の前には、一日ぶりに母親の姿があった。

その表情はいつものように笑みを浮かべている。

「うん、おはよう」

僕は寝ぼけながらも起き上がって母親の事を改めてみてみると格好はエプロン姿だった。

「昨日は一日いなくなったりしてごめんね」

「別に、大丈夫」

「そうだよね、彰は強いもんね」

そう言って、母親は僕の頭を撫でた。

「それでね、私さ明日でいなくなっちゃうじゃない?」

その言葉で改めて思い知らされる。目の前に見えている僕の母親は一週間という条件で生き返ることが出来る。つまり、歳を超えた時には再びこの世から消えるということだ。

余命宣告にも似た一週間の“期限切れ”を母親がどう思っているかは知らない。だけど母親と過ごす時間は確実に消えていっている。

「だからね、彰のお母さんとして直接会える今の間に教えておきたいことがあるんだ」

僕の目をまっすぐに見つめ合う。久しぶりに僕は母親の顔をしっかりと見た気がする。

耐えきれなくなりそうで、つい視線を逸らすと母親の背後にある机には昨日の夜に置いておいたご飯がなくなっていた。おそらく食べたのだろう。

「うん」

僕は頷いた。

「それじゃあ、朝ご飯を食べてから行こうか。昨日は彰が作ってくれたから今日は私が朝食を作るよ」

そう言って母親はキッチンに向かっていった。


 朝食を食べ終えると、僕らは早速家の外へと出てきた。

相変わらずの曇り空で、風が少し吹いている。母親はいつものように隣で一緒に歩いていたが僕らは何も言葉を交わすことはなった。

水族館と同じように最寄駅から電車に乗るが、前回とは反対のホームから電車に乗った。

それは前に母親が海があると言っていた方向だ。

暫く電車に揺られると、山を切り開いて作られたトンネルを抜けた。

「海だ」

窓辺からは灰色の空の下に黒い波が浜辺に打ちよせていた。波しぶきを上げる海を見ていると少しだけ身震いがした。

暫く海沿いの線路を電車では走ると、ある無人駅にたどり着いた。

「ここだよ」

母親に促されて、ホームに降りる。木材で出来た駅舎は潮風によってかなり風化していて、今にも崩壊してしまいそうだった。

「しばらく歩こうか」

「うん」

駅を降りてしばらく海沿いの道を歩いていく。人家も少なく、道端には錆びついた古いバイクが放置されていた。

まだ時間は昼間だというのに薄気味悪いくらい雰囲気が漂っている。

それから10分ほど二人並んで歩き続け、大きな堤防を超えると、そこには電車から見えた海と砂浜が広がっていた。何も遮るものがないせいで、海から吹きさらす風を正面から受けることになり今にも飛ばされそうになった。

「ねぇ、私がいない間は寂しかった?」

吹き付ける風の音に紛れるようにして、母親は口を開いて言う。

そう聞くのは、昨日いなかった事だけでは無いと思った。きっとこれまで全ての事について言っているんだろう。

「多分、寂しくはなった」

「そっか、そうだよね。彰は強いもんね」

そう言いながら、母親は静かに上空を見つめた。同じように空を見つめると灰色の雲が勢いよく流されていた。

「私ね、何か辛いこととか悲しいことがあったら昔からこの海に来ているの。彰はそういう時はどうしてる?」

言いながら、母親はどす黒い海のしぶきに向かって歩いていく。もしかしたらそのまま海の中にまで行ってしまいなのを見つめながら「僕は」そう言って少し考えた。

「僕は星を見る」

「そっか、彰は星を見るのが好きなんだ」

波が母親の足元に打ち寄せる。何かを確かめるように水平線の先を見つめた。

「私ね、空の上から彰の事を見つめていたの。死んでからもずっと、彰の事を守っているつもりだったけど何も出来なかった。けど、またこうして生き返ったからには、守りたいと思ったの。

だけど、彰は悲しいことを必死に隠しているのが分かるの、辛い時も悲しい時も寂しい時も弱音も吐かずに泣きもしないで耐えていて、そんな彰にどうすることも出来ない自分がもどかしい」

僕は、母親の後ろ姿を見た。その視界が少し滲んでいる。

「僕は、一人に慣れているから心配ないから」

「彰」

僕の名前を呼ぶ、母親のその言葉は誰よりも優しかった。

「お母さんの前では一人で我慢しなくてもいいんだよ。だって私達は家族なんだから」

そう言って、振り返った目には涙が溢れていた。

星を見るようになったのはいつからだろう。あの公園の高台に行くまえよりも前に気が付けば夜空を見上げていた。

その理由は今でも忘れることは無い。見えない星を見つめてそこに死んだ母親がいるかもしれないと思っていたんだ。

辛いことがあれば、じっと堪えて星を見上げて母親の姿を探すために空を見上げていたんだ。

いつだって一人で生きてきた。一人で生きていくしかないと思っていた。

だから弱音を吐き出すことも、くよくよしていてもダメなんだ。

でも、それでも

「僕は」

物心がつく前に心の中に封じ込めたはずの思いが溢れ出してくる。必死に忘れようと思った。考えるだけ叶わなくて、無駄なのは誰よりも僕が分かっている。

分かっているからこそ、辛い。けれど、僕は。

「僕はお母さんに生きていて欲しかった」

目からこぼれた涙を止めることは出来なかった。いつまでもいつまでも、まるでそれまで分を全部出すように僕と母親は泣き続けた。

泣き続けて、疲れたくらいだった。

どのくらい時間が経ったのか分からない、いくつもの雲が僕らの上空を過ぎていった。

「泣きすぎて疲れちゃったね」

「うん」

僕らは浜辺に流れ着いた流木の上に腰掛け、波が浜辺を打ち付けるのを眺めた。

「私、生きていても料理は下手だし家事は苦手だし、人の話聞かないところあるし良い親にはなれなかったと思う」

「それは、そうかも知れないけど」

「彰に助けてばっかりだし。これじゃあ相当呆れられてたかもね」

母親は苦笑いを浮かべた。

「それでも、そんなお母さんでもいてくれたらよかった」

「ありがとう、彰」

そう言って僕の頭をくしゃくしゃになるまで撫でた。

こんな時間がいつまでも続けばいいのにと思う。けれど、母親に残された時間は折り返し地点を過ぎて、すでに終わりが近づいていた。

「お母さん」

僕が口を開くと、「うん」と小さく頷いた。

「僕、自分には母親はいないとずっと思っていたんだ。そのせいで誰かに可哀想とか、思われるのは腹が立つこともあった。誰も僕の気持ちを知らないのに、分かろうともしないでそう言ってくる人はいた。でもね、僕は母親がいなくて自分が可哀想とは思わなかった。だって、そう思ったらお母さんが悲しむだろうと思ったから」

「彰は本当に良い子だね」

そう言って、僕の手を掴んだ母親は少し微笑んでいたように見えた。

「僕の事をどう思っている?」

「そりゃあ、私のたった一人の息子よ。世界で一番可愛いくて大事な家族」

母親は最初から決まっていたことのように呟いた。それが不思議と僕には分かってきたような気がした。

それから僕らはしばらく水平線の光景を静かに見つめながらこの前見た夢の話、学校での話、母親の子どもの頃の話など色々な話をした。

黒く濁った海の先に大きな船が一隻、海の端と端を横切った時、母親は立ち上がった。

「それじゃあ、そろそろ帰ろうか。ずっとここにいて風邪引いちゃうと嫌だしね」

「うん」

そう言いながら立ち上がると服についた砂を落として、僕らは誰もいない砂浜を歩いていく。

道中で母親か差し出された手を握り返すと、とても暖かな温もりがあった。


 家に帰る電車では、僕はすっかり眠りについていた。

きっと、泣きつかれたのと隣に座った母親が隣にいる温もりのおかげだと思う。おかげで、母親に体を揺られて起こされるまでぐっすりだった。

家に着いた時にはすでに日没で、辺りが暗くなっていた。

どちらが夕食を作るかとなったが、今日は二人で話して一緒に作ろうということになった。

「はい、出来上がり」

そう言って、二人で作り上げた夕食の肉じゃがはこれまでの料理よりも上手に出来たように思えた。

僕らはそれを食べながらテレビの話をしたり、宿題の残り具合について話をした。僕と母親が家族であって、もし生きていたならこういう風に毎日を過ごしていたのだろうなという夢が現実になったようで、その瞬間の一つ一つが生きてきた中で一番楽しい時間だった。

昨日とは違い時間がとても早く感じて、少しでも母親と話をしたかった。

だから夜遅くなっても僕たちは何てこともない事を話続けた。

それは、夢から覚めないように必死な抵抗だった。

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