12月31
12月31日
目が覚めた時から、僕の頭の中には今日が母親を生き返らせる最後の日だという考えがぐるぐると回っていた。
そんな僕とは正反対に母親は僕よりも早く起きて、机の上には出来たばかりの料理を皿の上に盛り付けていた。
「おはよう」
「うん、おはよう」
体を起こして洗面台で顔を洗い椅子に座る。母親が作っていたのはオムライスで、ケチャップで何か絵が描かれていた。
「それじゃあ、早速食べてみて」
「いただきます」
促されるままに僕がオムライスを口にしたら、美味しかった。
この数日で母親の料理の腕は確実に上がっていた。もしかすると、生きていれば今の僕よりも料理が上手だったのかも知れない。
そう思うと可笑しくなり、少し悲しくなった。
「どう?おいしいかな」
「うん、美味しい」
「そっか良かった。今日は本気出したからね」
言いながら自分の分を食べ始める母親を見つめながら、その言葉には明日が無いことを改めて思い知らされる。
「どうかした?」
食べる手が止まったのを気にして、僕の表情を覗き込むようにして見つめた。
料理が口に合わないと思っているようだった。
「別に、何もないよ」
僕は必死に気を紛らわせようと、オムライスを頬張った。
最後の最後まで、僕は母親に悲しい顔を見せようとは思わなかったから。
「今日は何しようか?」
朝食を食べ終えると、そんな僕を待っていた母親は聞いてきた。
「やっぱり、最後だから彰のしたい事とかが良いかなって。だから、彰は何かしてほしいことある?」
その口調はまるで僕に質問するのではなく、自分自身に問いかけているようだった。
僕はじっくりと考えた。考えてみれば生き返らせた母親に自分から何かを頼むというのはこの時が初めてだったように思う。
「それじゃあ、お母さんの事を教えて欲しい」
「私の事?」
「うん」
母親はしばらく考えていたが、すぐに笑みを浮かべて微笑んだ。
「分かった。でも私からもお願いがあるんだけど聞いてもらってもいい?」
「いいけど、なに?」
「彰って髪ぼさぼさでしょう?」
そう言われて、僕は自分の頭を少し触れてみた。確かに最後に髪を切ってから数カ月が経つから、髪の毛は伸び放題だった。
「私に切らせてよ」
「え、髪を切るの?」
僕が驚くと、母親はいつもの笑みを浮かべた。
「大丈夫、お母さん髪を切るのが上手だから」
言われるがまま洗面台へと連れていかれると、そこには椅子がおかれていて、僕はそこに座らされた。
「どうして急に髪を切るなんて言い出したの?」
「だって、彰いつも起きるたびに寝癖ついてるし、そろそろ髪を切った方がいいんじゃないかなって」
「でも、人の髪なんて切ったことあるの?」
「彰、この前に水族館まで行った帰りに寄った街のこと覚えてる?」
言われて僕は水族館の帰りに、時間が余って乗換駅の街で降りた事を思い出した。
「その時にここで仕事をしてたって言ったでしょう?」
「うん」
「私、美容師として働いての。あそこでね」
母親はどこから持ってきたのかお店にあるような髪切りばさみを手にした。最初は思い切りが良く、そこから丁寧に髪を切っていく。その手際の良さからも、言っていることが本当なのだと思う。
「知らなかった」
僕は、自分の紙が切られて目の前の視界が明るくなっていくのを思いながら、知らなかった母親の事について一つ一つ噛みしめるように驚いた。
「そんなに意外?」
「うん、なんか想像できなくて」
「これでも、人気だったんだよ。そのお店」
会話をしながらも切り進めていき、前髪を切るとこれまで覆いかぶさっていた前髪が短くなって、視界が明るくなった。
「最初から美容院で働こうと思っていたの?」
「うーん、どうだろう。高校生くらいの時からなりたいなとは思ってたけど」
「それじゃあ、僕くらいの時はお母さんは何になりたかった?」
「そうだなぁ」
手を止めて少し考えてから答えた。
「お嫁さんかな」
僕はそれを聞いて少し笑ってしまった。
「そんなに面白い?」
「うん」
「そうかな、その歳くらいの子には多いと思うけどな。素敵な人と結婚して、子どもを産んでみたいな。でも、今思えばある意味かなっているのかもね。その時の夢が」
そう言って、切った髪を払うように僕の頭をくしゃくしゃにした。
それから、僕はお母さんに色々な事を聞いた。どんな子どもだったのかを聞くと「気が強かったかもね」と言っていて、そんな子の夢がお嫁さんになることだと思い出すと、また少し笑ってしまった。
この一週間、誰よりも僕の傍にいた母親の事を改めて知ることが出来た。
それから、僕は母親の学生時代の話を聞いた。
中学生の頃に初恋の相手が出来たり、修学旅行では農業体験の宿泊先で失敗した話。高校の時にはバイトをしてお金を貯めて遠くまで行ったことなど、今までしらなかった話を聞いてると、やがて髪を切る手を止めた。
「こんな感じかな」
そう言って正面の鏡を見て呟いた。
「上手いもんでしょう?」
「うん」
僕は鏡越しに母親に目を合わせる。
母親にどうしても聞きたいことがあった。
「ねぇ、お母さん」
「うん?」
「僕が生まれた時の事を聞かせて」
それは僕が今まで聞きたかったことだけど、誰にも聞けないことだった。
僕自身はどのようにして生まれたのか、今聞かなければもう聞けないような気がした。
鏡越しに見る母親は、その質問に対して少し表情を曇らせた。言いたくないなら言わなくても良い、そう言おうとしたとき。肩に手を置かれた。
「私ね、昔から体が少し体が弱くてね。何度か入院と手術を小さい頃かしていたの。だから彰を産むときにもね、もしかしたら死ぬかも知れないって言われていたの」
母親から語られる言葉を僕は静かに聞いた。
「昔から病気をするたびに死ぬかも知れないと言われていたから、死ぬことは怖くは無かった。だけど、彰を産むときはそう簡単にはいかなかった。だって、この子は私の中で生きているんだからってね」
「それで、お母さんは」
「うん、私が彰を生んだらこれまで以上に体が弱くなってね。彰の事を守るためにも必死に生きなくちゃと思った。けれど、それはどうしても叶わずに、最後に彰の手を握ったときに、こんな小さな子を残していくなんて、親失格だなって」
そう言って呟いた一言に、僕は何を答えられただろうか。
「ううん。僕はそれでもお母さんで良かったよ。ずっとは傍にいられなかったけれど、僕のことを必死に考えてくれる人で」
僕の母親であることは僕が生まれるよりも前に決まっていたけれど、それを言えるのは今しかないだろう。
「ありがとう」
母親は後ろから抱きしめた。腕に包まれると母親の心臓の鼓動が聞こえて本当にそこに生きているかのように錯覚した。
このまま、ずっと居られたらいいのに。ゆっくりとした時間の中で僕が思うと、母親は僕の頭を再びくしゃくしゃにされて、目の前の鏡を見てみると上手に切りそろえられた髪の自分の姿と満足げに笑みを浮かべている母親の姿があった。
髪を切り終えて、その場を掃除をすると僕らは出かけることにした。
向かったのは最初に二人で買い物に行ったスーパーマーケットだった。
今日が大晦日だということを忘れていたので、年越しそばを食べようと話して、その材料を買い足すことにした。
家に帰って、早速麺を茹でて食べると冷えた体が温まった。こうして、誰かと一緒になって年越しの準備をするのは初めての経験だった。
しかし、それは同時に母親との別れの準備も意味していた。
こんな時間がずっと続けば良いのに、そんなことを想いながら一秒ごとに時間は容赦なく過ぎていく。
陽が落ちて1年も残りわずかになると僕らは家のベランダに出た。今日一日で僕らは今までの空白の期間を埋めるように星空を眺めながらお互いの話をしていた。
何か特別な事をするわけでもなく、お互いに傍にいて話をして、料理を食べて笑っていることが多分、一番家族としての姿なんだろうなと思う。
「あれが、冬の大三角」
「うん、どれどれ?」
「あの光っている星があるでしょう」
そう言って僕は指先を動かして点と点を結ぶようにして夜空に三角形を描いた。
それをなぞるように、母親も上空の星と星を指で結ぶと、そこには僕が示したような三角形が浮かび上がった。
「ほんとだ。三角形だ」
星空を見ながら嬉しそうに喜ぶ母親の様子に、もうすぐで別れる時が来ることを感じていた。
押し黙って星を見ている僕の気持ちを察していてか、それは母親の方から言った。
「もうそろそろかな」
クリスマスの奇跡も残りわずかで終わりを告げる。
僕は自然と涙がこぼれて、それを隠すように必死に裾で溢れる粒をふき取った。
「もう会えないのかな?」
「かもしれないね」
星を眺めている母親は僕に背中を手を伸ばして静かに口を開いた。
「でもね、それでもいいんだ私。だって、彰はこれからも私のたった一人の息子で私がお母さんだっていうことには変わらないんだもん」
そう言った母親の表情はいつもみたいに笑っていた。
それは僕がこの一週間で何度も見た表情だった。けれど、いつみても僕の心を幸せにしてくれるものだ。
「彰、最後に私からのお願いを聞いてくれる?」
母親は泣いている僕の事を静かに抱き寄せると囁く。
「一週間の短い間だったけど、大きくなった彰にもう一度会えて、自分の子を抱きしめることが出来て本当に生き返らせてくれてありがとう」
「うん」
「生き返らせてくれて、こうして一緒に彰にいられて幸せだった。
だから、今度は世界の誰よりも彰が幸せになって欲しい、それが私からの最後のお願い。約束してくれる?」
「うん、分かった。幸せになる。世界の誰よりも幸せになる」
僕は力強く母親を抱きしめた。その体は明らかに冷たくなっていて、段々と力がなくなっていくのを感じて必死に繋ぎ止めたかった。
ずっと居たかった。もっと傍に居たかった。
「ありがとう」
微かに聞こえたその言葉の続きを、僕が答えることも出来なかった。
こうして、僕と母親が過ごした一週間は過ぎた。
僕が母親と会うことは、これまで僕が生きてきた10年という人生と同じように無いだろう。
誰の代わりでもない、僕の母親が生き返って再び天国へと行ったのを知っているのは僕だけだ。
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