12月28日
12月28日
一週間という期限の折り返し地点であるこの日は、それまでとは違い、僕が起きた時にはまだ母親は寝ていた。
体を起き上がらせると、洗面所で顔を洗うとそのまま朝食を作った。
「良い匂い」
匂いに誘われるように布団から起き上がり、跳ねた髪の毛を直す事もなく、料理を作っている僕の元へとやってきた。
「なに作っているの?」
「今日はトーストと目玉焼きを作ってる」
「うん、美味しそう」
母親はそのまま焼きあがる目玉焼きを僕の傍に立って見つめていた。
「立っているなら...」
「お皿出すね」
そう言って、心を見透かされたような気がした。
お皿を出して、出来上がったトーストを乗せてその上に焼きあがったばかりの目玉焼きを乗せた。
「うん、今日もおいしそうだね」
朝食を食べる間も、テレビを見て過ごしている間も盗み見るようにその様子を見ても特に変わった様子は無かった。
「ねぇ」
お昼頃になると、母親は不意に声をかけてきた。
その次に続く言葉を僕は予想出来た。
「今日はどこに行く?」
「別に行きたいところはないよ」
「それじゃあさ、彰のことを教えてよ」
「僕の事を?」
僕は聞き返した勢いで、つい手にしていた本を栞をせずに閉じてしまった。
「うん、そう言えばこうして生き返っても冬休みだから普段どんなことをしているのかを知らないなって思って」
「そうかもだけど、本当に?」
「うん、さっそく行こうか」
そう言われて、いつものように半ば無理矢理に僕は連れていかれた。
どんよりとした空の下を僕らは二人並んで歩いていく。といっても特に目的は決めていなかった。
「どこに行くの?」
「そうだな、そしたら最初は彰が通っている小学校を見に行こうか」
「小学校を見るの?」
「そうだよ、息子がどんな所に通っているのか気になるでしょう」
隣を歩く母親はいつものような笑みを浮かべて楽しそう言った。
僕にとってみればいつも通っている小学校に冬休みの間も行くのかと思うと気が滅入るような思いだったが、冬休みの間に読み終わった本を返すついでだと思うことにした。
僕の小学校は家から歩いて15分ほどしたところにある。
小学校の周りには数件の住宅と田んぼがあり、遠くには山も見えて秋になるといち早く雪を被り寒い冬を知らせてくれる。
冬休みになり人の出入りが少ないせいか、裏門から入ろうとすると鍵がかかっていて入れ無かったので仕方なく小学校を囲む塀沿いを伝い正門までいき建物へと入った。
冬休みで子ども達が登校しない時期なので昇降口からではなく事務室の玄関から学校の中へと入ることになった。
「なんの用事で?」
「借りていた本を返しに来たんです」
「そうかい、冬休みなのに偉いね」
そう言った事務員のおじさんは暖かな事務室と玄関を隔てる小窓から挨拶をした。
僕は靴を抜いで来賓用のスリッパに履き替えると校舎の端にある図書館へと向かう。
目的である図書館に続く道のりには、クラスで飼っている亀が入った水槽があったりや、習字の時間に書いた作品が壁に貼られている。
歩くたびにスリッパが床に擦れる音が響く。
「なんだか小学校に来るなんて久々だな」
僕にとっては珍しくもない廊下を歩きながら母親は呟いた。
けれど、人のいない小学校はいつもと違い、人の気配が全くないためかどこか寂しくて寒く感じた。
図書館につくと、僕は扉を開けた。
中ではストーブがつけられていておかげで廊下で寒い思いをした僕の体を包み込んだ。
「あったかい」
「あったかいね」
母親もそう言って、入り口近くにあったストーブに両手の平を向けて暖を取った。
それを尻目に僕は貸出のところへと行き、読み終わった本を返した。
「彰君は冬休みの間も本をいっぱい読んで偉いね」
貸し出しの処理をする司書のおばさんとは、よく図書室を利用することもあって顔見知りだった。
「ありがとうございます」
礼を言うと、振り返り母親の方を見るとまだストーブで温まっているようだったので、僕は新しい本を読もうかと本棚の方へ向かった。
昼休みの時も、放課後の時も僕はこの図書室を訪れているおかげで大体どこにどんな本があるのかを把握していて、すでに読み終わった本もたくさんある。
「この前のSFの本が面白かったし、今回もSFの本にしてみようかな」
僕はそう思って、本がぎっしりと入った本棚の中からSFの本たちが集められた棚の前へと行き、気になった本を何冊か選んでいく。
「なに読んでるの?」
気付くと後ろから覗き込むような体勢の母親がいた。僕は反射的にその場で読んでいた本を閉じた。
「あんまり人が読んでいる所に割ってみないでよ」
「そっか、ごめんごめん」
本当にそう思っているのか分からないような笑みを浮かべて、再び図書室の中を歩いて回っていった。
驚いたせいで自分で思ったより強く言い過ぎてしまった。けれど脅かすようなことをする母親も母親だ。
それから、僕は数冊の本を手にすると図書室内にある机と椅子に腰掛けた。
反対の席には母親が座り込んで、本も読まずに僕の事を見つめている。
「ねぇ、彰はよく図書室にきているの?」
「うん」
「そっか、本当に本好きなんだね」
そう言われれば、そうかも知れないが、僕が図書室に来るのはそれ以外に一人でいても浮かない場所が他になかったからだった。
「分からない」
友達と呼べるものがよくわからないし、同級生と遊びたいとも思わなかった。
そういう人間が後ろ指をさされないで過ごすことが出来る場所が図書室だという訳だ。
「外で遊ぶのは嫌い?」
「別に好きでも嫌いでもないよ。でも静かな方が好きだから」
「友達とはどんな話しているの?」
「あんまり人とは離さないから」
「そっか」
母親はそれだけいうと何かを考えるように、じっとストーブの火を見ていた。
それから僕は2時間余り本を読んだ。その間、母親は僕が持ってきた本の一冊を手に取ると同じように本を読んでいた。
「さすがに疲れたね」
両腕を上にあげて体を伸ばす母親の言葉通り、つい読み進めていたら思っていたよりも時間が過ぎていた。
そろそろ読書をするのにも疲れて、僕は読んでいた本を借りると図書室を出ることにした。
「良い冬休みを」
僕は司書のおばさんの挨拶にかるく会釈をして、廊下に出るとすっかり温まっていた体が冷えていくのが分かった。
「寒いね」
母親はコートの中に手を突っ込んで肩を丸めた。
再び来た道を戻るようにして、事務室がある玄関から出て立ち止まった。
僕が僕を表すような場所が他に何かあるだろうか、考えていると隣に立った母親が口を開いた。
「次は彰のお気に入りの場所を教えてくれる?」
「お気に入りの場所?」
そう言われても、すぐにぱっと思いつかなかった。
暫く考えて、お気に入りの場所といえるような場所に考え付いたのはそこからしばらく歩いた所だった。
「あそこかな」
「じゃあ行こうか」
再び、横に並んではいるけど僕が少し先を歩いて先導した。
目的の場所は小学校からは少し遠くて歩いて30分くらい歩いたところにある公園の中の小さな高台だ。
そこからは街を一面に臨むことが出来て、心を惹かれる。
「すごいね、遠くまで見える」
街はまるで雪で埋もれているように、一面が真っ白に覆われていた。
道を走る自動車や山と山の間に微かに見える海には貨物を運ぶ大きな船の姿も見える。
「確かに、ここはお気に入りになるね」
「それもそうだけど」
僕はそこまで言ってから上空を見上げた。つられて母親も同じように上空を見上げる。
「夜になると星がきれいに見えるんだ」
まだ日が落ちてはいないので見えるのは厚い雲が上空を覆っているくらいしか見えないが、晴れた日にはここから綺麗な星空が見える。
この場所に人の姿もあまり見たことがないので、もしかしたら穴場スポットなのかもしれないなと思う。
「星が好きなの?」
「うん」
そう言いながらも僕はしばらく上空を見つめた。
今の時期ならば、夜空には冬の大三角やオリオン座、おおいぬ座などがよく見えるだろう。
僕は見えない星をみつめるように空を見た。
「そろそろ帰ろうか?」
「うん」
日が暮れ、おなかも空いたので僕らは家へ帰った。その道中にも母親は僕の好きな教科や嫌いな食べ物、将来の夢について聞いてきた。
それらを僕は曖昧に答えることした出来なかった。僕自身あまり僕の事を考えたことが無かったから。
家に帰ると早速、夕食を作り食べた。
母親と一緒に作ったせいでいつもよりかは時間はかかったが、味はおいしかった。
何をするでもなく、いつもよりゆったりとした時間が流れた。
そんな時だった、外から物音がして僕の眠たげな頭がビクリと動いて、辺りを見渡すと母親は部屋の隅でウトウトしている様子だった。
次の瞬間、チャイムを鳴らす前にドアを力強く叩く振動が聞こえた。
それは、先日の訪問客のよりも手荒な物だった。
僕はじっと、その場で様子を伺うことにしていた。
しばらくドアの前で物音がしたと思うと、乱暴にドアが開かれる音が聞こえた。
アパートの部屋の隅の部屋に現れたのは僕の親だった。この場合は死んでいない方の父親が一週間ぶりにこの家に帰ってきた。
家の中に入ってくると同時に酒の匂いが一気に部屋の中に充満した。
一週間ぶりにこの家へと帰ってくる理由は決まって自分自身の鬱憤を晴らすためだ。
まず机の上にあった箸入れを見つけるとそれを掴んで投げた。箸が床の上で散らばって思った以上に大きな音が響く。
その音に母親が驚いて飛び起きると父親を見た。
それは今まで見たことがなくて、見たくもなかったものだ。
いくら僕が部屋を片付けた所で、こうして部屋は荒れていく事に何も感じない。何も。
ただ、部屋の隅に避けると三角座りをして見守り、やり過ごすしかなかった。
それをひたすら止めようと母親は叫び声を上げて止めに入るが、僕以外に見えない母親の言葉は耳に入ることもなくものが飛び壊されていった。
叩こうとも叫ぼうとも、その声は僕にしか聞こえない。
僕はひたすら三角座りを崩さないようにと力を入れて、頭を埋めると耳を閉じて、父親が再び家を出ていく事を、ただ願うことしかできなかった。
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