12月26日
12月26日
目が覚めた時には、すでに母親は起きていて部屋に座って例の生き返らす方法が書いてある本を読んでいた。
「おはよう」
僕が起きたのに気が付いて母親は本から目を離した。
「うん」
寝起きの頭を動かして、布団から体を起こすと台所を通り洗面台へと向かう。
台所の机の上を見てみると寝る前にはあった夕食の残りがなくなっていて、皿も綺麗に洗われていた。
「食べたんだ」
洗面台で顔を洗いながら考えた。
幽霊も、夜中にお腹とかすくのだろうか?もし、そうなら母親が早く寝てしまったら今度も何か夜食を作っておいた方がいいかもしれない。
顔を洗い終えて、再び部屋に戻ると母親は相変わらず本を読んでいた。
「彰って難しい本を読んでるんだね」
「小学生が読める本だから、そんなに難しくはないと思うけど」
「そうかな、あきらが賢いんだとおもうけどな」
母親はそういってページに栞をすると本を折りたたんだ。
「今日はどこに行く?」
どこかに行くのが前提なのかと思ったが、そこで否定しても結局は押されるんだろうから、何も言わないことにした。
「行きたい場所とかない?」
「特には」
「遊園地とかは?」
「子供じゃないんだから、別に興味ない」
「まだ子供のくせに」
そう言って微笑む母親の姿は、どこから幼さがあって死んだ歳よりも若く見える。
僕は、しばらく行きたい場所を考えた。そして、冷蔵庫の残りの材料が少ない事を思い出した。
「それじゃあ、買い物」
「うん、分かった」
その一言で僕らはさっそく外に出た。
昨日に引き続いての曇り空が上空に広がり、今にも雪が降り出しそうな天気だ。
「やっぱり寒いね」
そう言って隣を歩く母親は自分の吐く息で手を温めていた。
買い物と行っても歩いて15分もすればあるスーパーへ行くのに迷うことはない。
なのに道中で母親は街の光景を見ては、ここに家が建ったんだとか、こんな所にお店なんてあったっけなんて、10歳の僕からしたら、そんなに街が変化しているようには見えないのに、久々に訪れる街を散歩するようにいちいち感想を言っていたからいつもよりも時間が掛かった。
スーパーに着いて中に入るとカゴを持つ。
「ねぇ、あきら。今日は私が料理作ってあげる」
「え、どうして」
「最初にも行ったでしょう、この一週間で母親らしい事をしてあげるって。これまで家事はあきらが全部やってくれたしさ、せめて今日くらいはお母さんとして家事を全部やるよ」
「そんな事言われても」
自分で家事をやることが当たり前だったし、母親が上手く家事をこなせるとは思えなかった。
「全部ってのは」
「遠慮なんてしなくていいから、だって私達は家族でしょう。頼るときはお母さんに頼りなさい」
家族という言葉を母親は平気で使うんだなと思った。僕からしてみれば家族が何かをあまり理解していてなくて躊躇してしまう。
けれど、そこまで言うなら何か分かるかもしれない。
「そこまでいうなら」
「それじゃあ、彰は何が食べたい?」
「なんでもいいよ」
「それじゃあ、困っちゃうな。なんか好きな物とかないの?」
少し悩んで、いつも自分で作っているせいか、好き嫌いが全然思いつかなかった。
「食べれればなんでもいい」
「そしたら、野菜だけにしちゃうけど?」
「それは、嫌だ」
僕は仕方なく簡単そうなものを考えた。
「それじゃあハンバーグとか」
「うん、ハンバーグね」
そう言ってレシピを考えるようにして、宙を見つめると材料を買いだしていく。
「ハンバーグのお肉は...」
そう言って母親はひき肉をカゴに入れようとしたので、僕はそれを棚に戻して隣にあった合いびき肉を持って入れた。
「ハンバーグはこれ」
「あ、そうか。彰がいてくれて助かったよ」
「別に、変なの食べたくないだけだよ」
そう言っても母親は笑みを浮かべた。
それから、必要な物を買いそろえた頃にはカゴ一杯の商品が入れられた。
「一人で持って大丈夫?」
「これくらい大丈夫」
会計を終えて、大きく膨らんだ袋を抱えて店を出ると、天気は先ほどよりも耀方が相変わらず風は冷たくて雲の流れが速く感じた。
家までの道のりも、完全に除雪されていないので転ばないように慎重に薄い雪の上を歩いていく。
もうすぐで家にたどり着くところで、ふいに僕の名前を呼ぶ声が聞こえて後ろを振り向いた。
「ああ、もしかしてヨミおばあちゃん?」
誰よりも先に母親がその人物に反応を示し、来た道を少しだけ戻って近くに寄っていく。
「うわぁ、久しぶりだ。まだ元気そうでよかった」
「こんにちは」
元気な声の母親とは対照的に、その場で小さく俯いて挨拶をした。
ヨミおばあちゃんと母親が言った人物は、僕の近所の一人暮らしのお年寄りで、背が小さく猫背な為に、小学生の僕ともあんまり身長が変わらない。
白髪で物腰の柔らかそうな雰囲気は、本当に近所の親切なおばさんといった感じに思える。
「買い物の帰り?」
「はい」
「そう、一人で買い物に行って本当に彰君は偉いのね」
「そうなんです、彰は偉いんですよ」
知らないくせに、母親は会話に入ってきて、自分の事のように誇らしそうに言った。
その姿はまるで、自分の親に自慢話をしている子のようだった。
「何かあったら遠慮なく言ってね」
「はい、ありがとうございます」
僕は礼をすると、荷物が落ちないように抱え直してその場を足早に立ち去った。
後ろから僕を呼び止めるような母親の声が聞こえたが、構わずに家路に向かう。
「懐かしい、久しぶりに世間話とかしてみたかったな」
再び隣を歩く母親は呟いた。
「ヨミおばあちゃん、小さい頃から彰のことを知ってて心配してくれて良い人だよ」
「うん」
僕は頷いたが、心の底ではあまり、あの人については快くは思っていなかった。
それは僕が小さい頃、一人で家事をしていることや家庭環境の事を知っていたあの人は僕の事を可愛そうな子と呼んだことがあった。
それがきっかけかは覚えてはいない、けれどそれから、あの人から話しかけられるときにはいつも可哀想と言った同情の想いが込められているように感じて、僕はそれが嫌で仕方がなかった。
言葉を言われるたびに、僕の人生は惨めなのだと言われている気がした。
「ねぇ、彰はヨミおばあちゃんと仲がいいの?」
「別に、そんなことないよ」
僕は雪の上を早歩きで踏みしめながら、白い息を吐きだした。
家に着くと茶色の髪を結び、どこから持ち出しのか分からない緑色のエプロンを身に着けた。
「どうこれ、私のエプロンなんだよ。可愛いでしょう?」
「まぁ、それなりに」
お世辞で言ったのに母親はその言葉に嬉しそうに笑みを浮かべた。
「それじゃあ早速作っていきますか」
意気込みを十分に料理を作り始めた母親の様子を僕は後ろから見る。
手際にしても、順序もバラバラで本当に出来るのか途中から疑い始めたのを察したように母親は「そんなに心配しなくても大丈夫だから」と言う。
「いや、でも」
危ない包丁使いを見せられているたびに、僕はヒヤヒヤしながら見ていた。
何とか玉ねぎを切っていると、涙を流しながらみじん切りをする様子を見て、小さなため息を吐いて、掛けてあった自分のエプロンを着た。
「手伝うよ」
もう一本の包丁を取り出して切り途中の玉ねぎをみじん切りにしていった。
「ありがとうね」
「別に、良いよこれくらい」
「なんかこうしていると家族って感じしない?」
唐突に語り掛けてきた母親のその言葉に、僕はピンと来なかった。
「そうかな?」
「そうだよ、きっとこういうのが家族っていうんだとおもうんだ。多分だけどね」
そう言う母親を見ると、遺影の写真のように何事もごまかせるような笑顔をまた浮かべていた。
ずるいなと僕はその時の表情を見て少し思った。
フライパンに熱を通して、手の上で固めたハンバーグの塊を乗せていく。焼ける音と匂いが朝から何も食べていないお腹を刺激した。
「彰は家族って何だと思う?」
「分からない」
「そっか、分からないか」
「分かるの?」
そう言われて母親は少し考え事をした。
「私も何が家族なのか分からないや。でもね、家族って暖かいんだとおもうだ。きっと」
「暖かい?」
「うん」
フライパンから放たれる熱が僕らをあったかく包み込むように感じた。
「出来た」
そう言ってきれいに焼けたハンバーグを皿の上に乗せた。
出来上がった数は二人分にしては少し多いように思うが、母親はそれでも満足そうにしていた。
「さぁ彰、早速食べてみて」
そう言って差し出された皿の上のハンバーグを摘まんで口に入れた。
「どう、これがおふくろの味ってやつよ」
「うん」
正直に言えば僕が作るよりかはおいしくはないと思う。
そう考えている間に母親もハンバーグを口にした。
「おいしいね」
少し大げさに母親は言った。
それから、「彰は成長期なんだからたくさん食べて」と言われて僕は満腹になるほど食べた。
「大丈夫?」
「うん、少し横になれば大丈夫だから」
ハンバーグを食べすぎたせいで、胃が苦しくなり横になった。
目を閉じてしばらくすると、部屋の中を歩き回る音が聞こえてきて、うっすらと瞼を開いて音のする方を見てみると洗濯物を干している所だった。
けれどその手つきは僕よりも倍の時間をかけていて、手伝おうかとも思ったけど腹が重たく、動くのが無理そうだったのでそのまま見守ることにした。
洗濯を済ませると、次は洗い物をしていたが、何度か手に着いた泡で皿を落としそうになっているのを見ていると落ち着かなくなった。
次の部屋の片づけでは、昔懐かしいものを見つけては手を休めるのでなかなか片づけが進まずにいた。
これだけ見ても、母親が家事を苦手なんだなと思うのには十分だ。昔だれかに母親に似ていると言われたことがあるが、こういう所も似ていると思われているとしたら心外だ。
僕がやった方が早いのは間違いない。けれど、お腹の膨れもなくなり動けるようになっても、僕は瞼をうっすらと開いたまま、その様子をみていた。
自分がやった方が早いのは分かっていたけど、母親の言う「母親らしいこと」というのが何なのか知りたかった。
けれど、それからじっと見ていてもじれったい思いが募るだけで母親とか、家族とかそう言ったものが何なのかは分からない。
だけど、必死に家事をしようとする姿はかつての僕が家事を必死に頑張ろうとしていた姿を思いださせた。
「お母さん」
「あれ、彰起きたの?」
「うん、それより家事手伝うよ」
「大丈夫だって」
僕はいまだに片づけが終わっていない部屋の様子をちらりと見つめた。その様子を見て、母親は髪の毛を触って照れるような表情をする。
「そしたら教えるのはどう?」
「本当に?」
僕は頷くと、終わらない部屋の掃除をやりながら、それぞれの家事についてもアドバイスをした。
母親がいない間に身に着けた家事を、誰かに教えることがあるとは思わなかったし、それがまさか母親だとは。少し苦笑いを浮かべる気持ちを抑えた。
それからは、お風呂を洗ったり床掃除をして掃除を一段落終わらせると一緒に夕食を作って食べると、ゆったりとした時間を過ごした。
「彰はいつもこんなにやっているんだもんね」
「しょうがないよ、他にやる人もいないんだから」
「そうだけど」
母親はどこか申し訳なさそうにしていた。どうしてそんな顔をするのか、すぐには分からなかったけれど、きっと自分が生きてればという思いがあったのだろう。
「彰は偉いね」
そう言って、僕の頭の上に手を置くとゆっくりと髪を撫でた。
柔らかくて暖かな温もりに最初は子ども扱いされているようで嫌だった。けれど、段々と心地よくなってきて、瞼が重くなりウトウトと意識がぼやけてきた。
「今日は早いけど、もう寝よっか」
母親がそう言うと布団を広げて、いつもより早めに寝りについた。
その日の夜、僕は不思議な夢を見た。
朝、目が覚めると出来立ての朝食が作られていて「早く食べちゃいな」とキッチンに立つ母親に言われて、眠い目をこすりながら頬張って食べた。
「宿題はやった?」
「うん、やったよ」
会話をしながら頬張ったパンを飲み込む。目の前にはエプロン姿の母親がお弁当を準備していた。
「早く食べないと遅刻するよ」
そう言われて急いで飲み込むと歯を磨いて、着替えて、ランドセルを背負って靴を履く。
するとエプロン姿の母親が玄関まで迎えに来て「気を付けてね」と言った。
「分かってるよ、行ってきます」
僕はそういうと家のドアを開け、手を開いて向けた。
それに応えるように母親は笑みを浮かべて手を振り返す。
何の変哲もない朝。でも、それが僕からすれば日常からかけ離れたものだった。
きっと、母親が家族とかいうからこんな夢を見たんだと思う。
もし、母親が生きていたらこんな風な日常が当たり前だったのかもしれない。
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