全の為に焼べる壱


「どうして俺を、残したんですか、日和さん!」

「……夕陽」


 そこには確かに恩師に対する憤慨と悲嘆が込められていた。実にいつもらしい振る舞いをする我が子に対し、満身創痍の陽向日和は痛ましいものを見るような表情のままで、静かにこう返す。


「私と君の仲だ。

「―――…な、にを」


 陽向日和は知っていた。だからこそ大規模転移の術に彼を含めなかった。

 これ以上は、本当に。

 今の日和ではどうしようもできないから。


「私からの頼みだ。土下座をしたっていい。これ以上、君がを失ってしまう前に」

「…………、…」


 日向日和はもう知っていた。

 日向夕陽が、本当に本当の限界を迎えつつあることに。




     ーーーーー


「本来あり得ざる使い方。『刻印術』なるものの、肉体への直接的な付与。その酷使、その度を超えた扱い方。…君の寿命だけでは到底賄い切れるものではない」


 既に全身へ回った刻印の浸食。一度使うごとに削られていく命は、ついに地下での戦いで一線を越えた。

 とっくのとうに、日向夕陽という一人間の有する生命力を上回るほどの力を練り上げ撃ち出してしまっている。

 ならば何故彼は未だ存命を保っていられるのか。答え自体は簡単なことだった。

 生命に変わる別の何かを燃料に換えていたから。


「ひとりの人間から熱量エネルギーを絞り出す手段は命を削ることだけではない。人として歩んだ記録、人として刻んだ足跡。…人として紡いだ、繋いだ…育んできた在り方そのもの。君は最低限の生命を残したまま、それらを燃料としてべた」


 その変化を日和は視ていた。地下での激戦を境に徐々に冴えていく夕陽の挙動。

 最適化された判断、効率化された一連の行動は機械じみた冷徹さを覗かせ、現にその違和感に仲間の何人かは小さな疑問を覚えていた。


「…今の君に、感情はどこまで残っている?あるいは記憶は?」

「……」

「私を、幸を、覚えているかい?喪うことへの悲しみや恐怖はまだ感じているのか?」

「…………」


 日和にはわかっていた。彼の内で力を貸し続けている童女もそうだろう。

 今の日向夕陽は、『本来もとの日向夕陽』の模倣をしているだけなのだと。

 いつもの夕陽ならこう返す、こう感情を動かす。こう憤慨と悲嘆を投げつける。

 情動を刻印の励起に燃やした今現在の夕陽では、そうするしかなかったから。


「…大丈夫です。一番大事な記憶は、最後まで使いません。今だってちゃんと怖いし、悲しい。感情もまだ全ては失くしてない」

 本当なら涙を浮かべて身体が震えるほど恐ろしいと感じていることが、その程度にしか感じられなくなっている時点で人としての在り方が確実に消耗されているのは間違いない。そう理解はしていても、それ自体をもう深く思い悩めなくなっていた。

 元の世界で懇意にしていた人物の顔や名前すら焼失してしまっているのに。


「君が迎えようとしているのは、もはやただの死ではない。君自身がこの十六年間で積み上げてきた全てを燃やし尽くして、残る命すらも薪として放り込んで。最後には思い出も心も人格も、それらを収め続けてきた君という器自体が消えて無くなる。完全なる消滅に等しい」

「そう、なんでしょうね」


 空虚な笑い。感情から来るものではない、夕陽を模した夕陽の浮かべる形だけの笑み。そこには感情も感慨も伴わない。

 日和が腕を振る。全身を流れる血液が腕の動きを追うように肌から離れ、二人を囲う大きな朱色の陰陽陣を描いていく。


「たとえ夕陽、君の四肢を奪ってでも私は君を止めなくてはならない。君の命は私の全存在よりも尊く重い。だが」


 朱色の円陣から光が生まれ、最後の術式を編み上げる。数千、敵の規模を併せれば数万に上る大量の生命を転移させた負担に比べれば、一人を遠方へ飛ばす程度ならばまだやれる。


「今の私では今の君を押さえ切れないだろう。だから私は君の願いの為に力を使う」

「ありがとうございます。本当に、―――この感謝はきっと、心からのものです」


 見えない孔が穿たれた胸に手を置いて、集う光の中で夕陽がもう一度笑みを向ける。


「後生だよ、夕陽。生きて帰りなさい」

「…、はい。必ず」




     ーーーーー


「…あ、あれ。みんなどこ行っちゃったのー…?」


 ふわふわもぐもぐ。びくびくもぐもぐ。

 小さな羽根を震わせて、ついでに顔見知りの姿がどこにもいなくなったことに戸惑いと怯えで体も震わせて。

 そんな状態でもしっかりと花粉だけは頬いっぱいに詰めこんでもぎゅもぎゅと懸命に嚥下していたロマンティカが屋上へと姿を現す。

「妖精」

「ふぇっ!?」

 思わず肩を跳ねさせたロマンティカが顔を向けると、そこには血色の悪く今にも倒れそうな様子の女性が背中を向けていた。

「あ、ひよ!よかったー知ってるひといて。ねーねーユーとかみんなはどこ?ティカ、ユーに言われて花粉補充してたんだけどいつの間にかみんないなくて」

「妖精。よく聞け」

 日和の周囲を飛び回りながら事情を早口で話すロマンティカには取り合わず、日和は一方的にただ必要なことだけを告げる。

「夕陽は死ぬ」

「…………、え」

 〝千里眼〟で未来を見通すまでもない。あの少年は最後の戦いで存在の全てを焼いて死に絶える。したくはないが、そうと断言できてしまう。

 だから。


「だから妖精。お前は―――」


 絶望に挑む最終決戦。誰しもがその心に何かの希望を拠り所として戦う。

 日向日和がこの絶望的な状況で、見出す希望に言の葉を伝える。


 夕陽を送り出した朱色の転移陣は、まだその輝きを保っていた。





     『メモ(information)』


 ・『日向夕陽』、存在燃焼三割超。感情欠落、記憶欠損。


 ・『日向夕陽』、エリア9へ転移。


 ・『レディ・ロマンティカ』、エリア9へ転移。



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