崩れゆく地底世界 (前編)


 日向日和の術式遅延の限界まで残り六分時点。玉座及び祭壇の完全破壊に成功した一同が息を荒げながら『浮上』の術式が沈黙したことを確認する。

「なんとか…なったか」

 瀕死手前のディアンが突き立てた片刃剣に体重を預けたまま呟くと、雷を収めたヴェリテも小さく頷く。

「ええ、おそらく。…そして、あちらも」

 顔を向けた先、互いに肩を貸し合いながら這う這うの体でやってきた仲間の姿に一同は安堵の表情を見せる。

「ユー!」

 真っ先にロマンティカが飛んできて、それから針を取り出しても今の自分では何も出来ないことを思い出して二人の周囲をなんともなしに飛び回る。

「夕陽」

「終わった。戻るぞ、地上へ」

 次いで駆け寄ったヴェリテが疲弊し切った夕陽をアルから受け取り、慎重に担ぎ上げる。

「アルさんは私が」

「おめーに俺が運べんのかよ」

「平気です、私浮けるので」

「…そうだったな」

 ウィッシュとの同化で浮遊効果を受けているエレミアがアルはふわりと持ち上げて、残る仲間も一か所に集まった。

 誰も彼もがふらめきよろつき、極めつけに大地を揺るがす轟音が地下世界に巨大な岩塊を降らせていく。

 竜の都の滅びが近づいていた。

「ここも危険です。すぐに地上へ出なければ…シュライティア、まだやれますか?」

「無論だ。やらねばなるまいて」

「もちろん!私もやるよ!」

 竜としての矜持で持たせている重傷のシュライティアの隣では、ぴょんと跳ねたエヴレナが挙手をする。常時回復効果のある花冠のおかげか、エヴレナだけはこの面子の中で元気を取り戻しつつあった。

「では」

 竜三体が同時に息を吸い、それぞれの属性を乗せたブレスを真上へ向けて放つ。

 強大な威力の咆哮が崩壊する地下の天蓋を穿ち抜いて最短の脱出路となる。

「行きますよ!遅れず付いてくるように!」

 夕陽を背負ったまま先頭を切るヴェリテに続き、動ける者は動けない者をサポートしながら跳ぶ。

「―――」

 ヴェリテの背に揺られながら、夕陽は遠ざかっていく最下層の空間に視線を落とす。

 竜王の臣下が引き起こした一大事件はこれで幕切れとなる。ネガに関わる一連の騒動も、一旦の終わりを迎えるはずだ。

 それでもやはり、まだ張り詰めた緊張を解くには早い。

 地底の懸念を払い、地上へ再びの平和が仮初にもたらされる。

 なれば次は、最後は、空。天舞う巨竜と内部に巣食う竜王陣営との決戦が控えている。

 これが本当に最後の戦いになるだろう。

(まだだ。…まだ保てよ、俺の…)

 淡々と削れ落ちていく己の存在を感じながら、それでも想うのは死ではなく生の使い道。

 まだ終われない。

 秘めた決意を固め直しながら、夕陽はまだ幾許かの気配が残る地下世界の終わりを見続けていた。




     ーーーーー


「なんで、私を守ったの」


 地響き、岩の落ちる音が断続的に鳴り渡る地下で、広がる血溜まりの中にうつ伏せで倒れる金髪の少女が理解しがたいことの説明を求めるように訊ねる。


「いや守れてねーだろ」


 可笑しそうに笑う赤髪の少女も、その隣で仰向けのまま答える。

 金髪の少女は吹き消える寸前の灯火を荒げる声色で激しく燃やす。


「そうじゃない。私に構わなければ、きっとあの妖魔くらいは…っ」

「ネガを」


 そんな彼女の激情を宥めるように、赤髪の少女ははっきりとした声で割り込む。


「ネガを、その想いを守る英雄。それがあたしら」

「……何を、いまさら」

「違う気がしたんだ」


 焼け焦げて、斬り裂かれて、とても女の子のものとは思えないような過酷な戦場を経験した細腕。

 この腕が、手が、守りたかったのは。

 本当にそんなものなのか。


「もっと、大切なものを守る為に。奪われないように。そのために、あたしは、きっと。…だから」


 実際のところ、あの妖魔の猛攻は凄絶だった。命の取り合い。真に鬼気迫る悪魔のような圧迫感。

 だがそれでも、続けていれば勝ったのは少女の方だった。

 ただ。

 相棒の危機を目撃してしまった瞬間から、妖魔のことが頭からすっぽりと抜け落ちて。そして。

 動いてしまった。


「だから、ヒロ。あんたにはあたしよりも長く生きて欲しかった」

「―――」


 息が詰まる。言葉が出て来ない。

 そうこうしている内に赤髪の少女の鼓動が小さくなっていく。


「まー、なんだ。そーゆーわけだから。ちっとだけ先に逝く」

「……。わかった」


 存在意義を果たせなかったことに後悔は残れど、赤と金の少女は想う。

 せめて最期を、共に終えられることが救いか。


「ならちゃんと、あとから逝く。待っていてね」

「当たり、めー、だ」


 互いに微笑みを交わし、やがて赤髪の少女の瞳が閉じられ、安らかな寝顔へと変わる。


「……ふう」


 死を見届けて、その戦い続けた傷だらけの手に自分の手を重ねる。

 あれだけ炎熱を自在に操っていた勇敢な少女の熱はそこに無く、冷え切った手をやんわり握る。


 眠気が訪れ、意識が沈んでいく。

 残るネガは地下の崩壊と共に封じられるだろう。これ以上、情念の怪物が駆逐されることはない。

 仇は取れなかったが、これ以上の被害は免れた。

 赤髪の少女の言葉が頭の中に妙に残った。本当は、守るべきはネガではなく―――。


(いえ)


 もう、いいか。

 そんなことを気掛かりにしていたら、あの少女に置いて行かれてしまう。

 待っていてくれているのだ。

 逢いに行くとしよう。



 地底最下層。二人の亡骸が崩れる岩雪崩の中に呑まれて消えていく。


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