VS 『飛沫』のエラー・エントリー (後編)
異変にはわりと早い段階から気付いてはいた。
リートに頼んで施してもらった肉体直書きの刻印術。使えば使うほどに身体を浸食し力を増大させると共に刻んだ肉体へ重い負担を強いる禁呪。
首の辺りまで刻印で侵された時点。俺は刻印術の
肉体に広がる刻印が増えればそれだけ収められる能力の数が増えるということ。通常の刻印術であれば、これは浸食を受けない非生物である武器等に施される技術である為、こんなことは起こらない。
だが俺の身体は広がり続ける刻印紋様と同じだけ収められるスロットの数が増えていた。
俺の肉体にはリートから刻んでもらった大小様々な術式刻印を二十五ほど彫ってもらった。あれからリートの手(嘴?)は借りていないので、ストレージに余る空白のスロットがいくつか存在する。
だから考えた。
もしこの、何の属性も能力も宿していない空白の刻印に俺の方から力を込められるのだとしたら。
俺という銃に装填する弾倉が刻印とすれば、まだ弾を込める余地がある。それをリートの手を借りずこちらの世界に則った異能を弾丸に変えて込められれば。
〝憑依〟は己が身にあらゆる性質を加算・上書きすることを可能とする異能だ。これを用いれば、たとえば身体に直接受けた技術や異能すらも身に降ろすことが出来る。
かつて、こことは別の異世界で俺が『日向日和』という存在を擬似的に憑かせることで超人的な性能を得られたように。
未熟な俺ではまだ机上の空論に過ぎないが、刻印術という異世界技術に頼り〝憑依〟で模倣した術をスロットに装填することくらいなら。
そうして無我夢中に内奥に広がる刻印術の末端に触れた。
結果、拳から打ち出された一撃。到底〝倍加〟を扱う俺の身体からでも繰り出せるはずのない、鮫の使い魔を一纏めに爆散させたありえざる拳撃。
瞬間で全てを察した。
(これまで異世界で色んな力を借りてきたが、これは一番俺にとって都合がいい)
二発目の装填を開始する。
空から落ちる涙の剣も、大口を開けて迫る鮫の群れも、割り込んだアルが食い止めてくれる。全身を牙と剣でズタズタに裂かれているが、あの男のことだ。こんなことで止まるはずがない。
信じ任せ、空いたままの刻印へ新たな力を宿し―――いや、憑かせ込む。
必要なのは距離を跳ぶ力。一度目の装填で『ネガ』を倒すための威力は得た。次はこの動きづらい結界内で『ネガ』に肉薄する能力。
……元々、この二つは相乗して初めて真価を発揮するものだ。アイツと殺し合って、そのことは骨身に沁みて解っている。
右目に見える景色がぐらつく。二度目の装填で一気に浸食した刻印がついに眼球にまで至ったらしい。構うものか、失明するわけでもないのなら。
交戦経験を〝憑依〟で模倣し、仮組みの異能構造を刻印のスロットへ嵌める。あとは『刻印術』という術式システムが勝手に仮組みを完成に導いてくれる。
装填完了。
「助かった。すぐ終わらせる」
水の中。出せるだけの速度で上げた片足を思い切り地面に叩きつける。
震える脚から得たエネルギーは各関節部位と骨盤で回転し捻転を繰り返しながら右の拳へと集約されていく。
是なるは武術の基礎にして奥義。『勁』と呼ばれる撃力を生み出す初歩なる真髄。
そしてアイツは、速度を必要としないこの技術と共にある歩法を用いて敵との距離を瞬きの内に詰めていた。
これはそんな武術遣いが不本意ながらに蘇生を果たした際、さらなる改良が加えられた絶技。
「〝
音のない踏み出し。視界は変化し、そこは既に巨大な深海魚の眼前だった。
わかっていても戸惑う。これが転移じみた技術にまで到達した究極の瞬歩。
人の言葉を解す熊猫は、この歩法と練り上げられた拳打で俺の骨と内臓を粉々に潰してみせた。
不出来で悪いが借りるぞ。
「〝
既に溜め切っていた震脚からのエネルギー伝導は最後の手首を介し深海魚の眉間へと打ち込まれる。
ーーーーー
「ほォ」
身体に刺さる剣を引き抜きながら、一瞬で海底から『ネガ』本体にまで跳躍―――実際目で追えていなかったことから本当に転移に近い移動法のようなものを―――してみせた夕陽が加えた打撃をアルが見上げる。
見た目にはなんの変化も無かった。が、夕陽の拳が深海魚から離れた瞬間。
巨大な魚の内部が一瞬だけ膨れ上がり、まるで体内で爆発が起きたように頭部から腹部までをかけてインパクトの衝撃が内側から爆ぜた。
「いいじゃねェか、面白いことしやがる。勝負ありだクソウサギ、とっとと俺らを結界から出せ」
足元に転がっていた白兎を蹴り飛ばしながら、アルはふわふわと海底へ再び落ちてくる夕陽の行方を追っていた。この調子なら海底に足を付けるより前に結界が解ける方が先だろう。
「面白ェが、…お前、それの代償に何を支払ってんだ」
呟く声はまだ遥か上を揺蕩っている少年へは届かない。
ーーーーー
「ユー、それ…」
服の内側から這い出してきたティカが、俺の顔に触れる。
それとは、おそらく浸食の増した顔右半分を指しているのだろう。
「問題ないよ。まだやれる。お前は俺とアルの治療頼む」
何でもない風を装ってティカを安心させる。俺の状態を真に理解しているのは、同化している幸くらいのものだろう。
〝っ。…………っ〟
伝わる彼女の感情はぐちゃぐちゃだった。止めたい、今すぐ全て投げ出して逃げてほしい。もう戦わないでほしい。想ったままに進んでほしい。何が起きても自分だけは頼ってほしい。最後まで一緒にいたい。
自分の感情とは別に俺の感情までも同化で悟っているからこそ、幸は運命共同体として俺のやることを支えてくれる。共に居てくれる。それが何よりも嬉しい。
刻印術を用いた憑依の装填。これが俺にとって一番都合のいい理由。
刻印の負担は魂魄ではなく肉体に要求されること。
つまりこれまでは同化の影響で幸にも痛覚や重い負荷を強要させてしまっていたが、これに関しては完全なる自己負担。刻んだ肉体そのものに負荷は圧し掛かる。
だから本当によかった。
たぶん、死ぬのは俺だけで済む。
『メモ(information)』
・『飛沫』のエラー・エントリー、撃破。結界離脱。
・『日向夕陽』、スキル〝
〝
〝憑依〟を用いてこれまで戦ってきた敵から受けた技術・能力などの概念を擬似的に再現し、これを空白の刻印へ嵌めることにより刻印術式のシステムを利用して肉体に装填する能力。真っ当な理屈の上では実現不可能なものですら強引に発動を可能にする。
発動により刻印の肉体浸食率が急激に上がることを除く、リスク・反動の類は現状不明。
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