VS 『飛沫』のエラー・エントリー (前編)


 不発。否。使い魔たる鮫の妨害にあって『ネガ』本体へと直撃が通らなかった。

 それもまた否。

 最大の要素は別にある。

「水中!クソッ」

(初動が遅ぇ…っ)

 『飛沫』の結界は海底。水の中にあって何故か呼吸に支障は無いが、それでも通常時より肉体の動きに制限が掛かっている。これも本物の水中ほどでなくとも確かな浮遊感が身を包んでいた。

 槍の投擲、刀の振り降ろし。

 いずれも攻撃動作を前提として発動する技。最初の動きが遅れれば当然ながら攻撃の発動起点もズレる。

 本体へ直撃しなかった大きな理由はここにあった。

 海底から見上げる先、十メートル近い深海魚が抉り抜かれた眼孔から涙を溢す。海とは別に落とされる落涙の粒は落下途上で剣の華となって二人へ降り注いだ。

「チィッ!」

 回避挙動も緩慢。なんとかルーンを刻んだ脚で隣の夕陽を蹴り飛ばしながら自身も真逆の方向へ。左右に散る。

(遠隔鍛造ならノーモーションで生成から射出まで可能だが、ありゃエヴレナの加護がないと使えねェ)

 真銀竜の祝福を受け能力昇華が成されたアルの能力であれば自身の意思のみでミサイルや矢のように己が膂力・動作を用いない攻撃も出来る。

 しかしそれも現在、結界によって通常空間と断絶されたこの異界では祝福も途絶えてしまっている。今の二人は本来の能力しか発揮できない。

 落涙はアルを、使い魔たる鮫の群れは夕陽を追ってそれぞれ動き出す。

 海底の地面から両刃の剣を抜き出し放り投げる。ふわりと水中独特の動きで正面に浮き上がった剣の銘を解放した。

「…〝応追魔剣フラガラッハ!〟」

 銘を受け自律的に切っ先を真上へと向けた剣が急激な速度を得て『ネガ』へと向かう。涙の粒と入れ違いに魔剣は『ネガ』の腹部へ叩き込まれ、着弾した剣の華はアルの手足を穿った。

「やっぱ駄目かチクショウ!」

 新たに鍛造した刀で剣の華を砕いて離脱しながら、アルは己の力が通じていないことを理解する。

 アルの手札の中にある数少ない自動追尾型の剣。神話や逸話の中には古今東西あらゆるところに『ひとりでに手元から離れ敵へ必中する刃』は存在する。〝ゲイボルグ〟も投げれば必ず当たる性質を応用した贋作神槍だが、こちらは『投げる』というモーションを含め発動条件であるためこの場では最初にやった通り直撃とはいかなかった。

 〝応追魔剣フラガラッハ〟は鍛造した瞬間からアルの手を離れていても銘を与えればたちまちの内に照準した敵へと飛来する剣だが、威力は全武装の中でも最低クラス。

 強固な鱗で覆われた深海魚型の『ネガ』を相手に、いくら届いたとしてもあの防御力を突破することは出来ない。

「さァてどうすっか……ってオイ、夕陽!」

 涙から開花して伸び上がる剣に対処しながら次手を考えていたアルが、鮫の群がるその一帯から赤い液体が水中に漂っているのを目撃する。

 おかしい。今の日向夕陽であればあの程度の使い魔に苦戦することもないはずと見込んでいたのだが。

「何やってんだバカが!」

 背中を斬る剣を無視して、慌てて転進したアルが夕陽の援護へと向かう。

 十数体の鮫が一度に爆散したのはその時だった。

「あ?」

 粉微塵に肉片と化した使い魔が水中で霧散していく中、全身を喰い付かれ流れる血を揺らめかせる夕陽が静かに顔を上げた。

 神刀は逆手に握って降ろしたまま、落とした腰から正面に伸びた拳はまるでたった今、正拳を突いたばかりの所作に見える。

 事実、そうなのだろう。使い魔のあの散り様は刀で斬り捨てたものではない。

 だとしても。夕陽にそんな技量が備わっていたか。あったとしたのなら、何故今まで使わなかったのか。

「ユー…また…そんな」

 鮫からの攻撃から庇う為に服の内へ押しやられていたロマンティカが、何かを誰よりも間近で見ていたその瞳を悲痛に細める。

「幸、負担は…、わかった。ならコレはやっぱり、そうか。

 自身の内に在る相棒とのみ言葉を交わし、呟く対話を終えた夕陽が頭上の深海魚を見上げる。その周囲からは、ついさっき倒したばかりの使い魔が再び出現しているところだった。

「アル。ちょっとだけ、俺を守っててもらえないか」

「手があるんだな?わかった、任せろ」

 細かいところは訊かない。この場を打開する術がアルには無く、夕陽にはある。それだけわかれば、あとは出来る役割をこなすだけだ。

 懸念はひとつだけ。

「幸、ロマンティカ。そのバカよく見ておけ、どうせまたアホみたいな無茶をする気だろ。無理そうなら、強引にでも止めろ」

「お前にだけは言われたくないっての…」

 小さく笑う夕陽が持つ打開の術が、きっとまた大きな犠牲を払わなければならない力であろうこと。体内外から見(視)ていた二人でなくともアルにはわかっていた。

 それでも任せるしかない。なにより時間が迫っている。多少の無茶は押してでも切り開かねばならない局面なのだ。

 だから誰も止めることはしなかった。

 それに心中で礼を言い、夕陽の肉体を淡い光の紋様が駆け巡る。


「〝刻印励起シールド瞬発憑化イグニッション〟」


 唱えると同時、身体を蝕む刻印の浸食が一気に夕陽の右目にまで及んだ。

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