防衛戦 (後編)
『すまないとは思っているが、今すぐ地下へと向かって欲しい』
そんなモンセーのそれほど悪いとも思っていなさそうな声色での懇願に、その場の大半は言われるまでもないと頷くことすらしなかった。
「ヒロイックとデッドロックの追撃だろ?わかってるよ」
『それもあるが、それだけではない』
分かり切ったことをと公言する夕陽に対し、水晶型通信端末越しにモンセーは重苦しい吐息を漏らした。
『つい先刻、このセントラル全域を丸ごと囲い込む魔術式の陣を確認した。詳しく解析した結果、その効力は「浮上」。ただそれだけのものだ』
そんなものならあとでも。そう言えるだけの無知無能は残念なことにそこに立つ全ての者には該当しなかった。
セントラル全域を囲う『浮上』の魔術。それすなわち、フロンティア世界最大の都市であり国家でもあるこの地を足元から崩しかねない大災害の前触れに他ならない。
そう推理立てたのは、ここにいる戦力のほぼ全てが神竜の剣を巡る争奪戦に参加し
たからだ。
彼ら彼女らは知っている。このセントラル直下の地下深く、太古に栄えた竜の都が眠っていることを。
そしてそれが地上への復活を遂げるのなら、今現在を地上で豊かに暮らしている人間の建築物も興した文明文化もその総てを例外なく滅ぼし穿つであろうことを。
だがその悠長な語りに疑問を覚えた妖魔が通信端末に割り込む。
「竜都が浮かび上がるってんならそりゃ一大事だが、そのわりには落ち着いてるじゃねェか代表委員。ってこたァ、なんか手があるんだろ?」
『私ではないがね、既に打ってもらった』
この世界など、どうなろうが知ったことではない。
だが八方手を尽くさなければきっと後悔するだろう。
自分ではなくあの子が。
だからセントラルに到着した時点で嫌でも分かってしまった、あの巨大術式を止める為に雷竜の背から跳び下りたのだ。
(術式ごと破壊できれば最も手早いが、それは今の私では不可能)
セントラル行政区の機関が詰め込まれた、この街で一番高い建物の屋上。
日向日和はぼんやりと立ったまま空を見上げていた。
一見して何もしていないかのように見えるが、モンセーの言っていた通り既に手は打ってある。
『浮上』の術式はセントラル自体に仕掛けられたカラクリであると同時に、竜都とも結びつけられたものだ。
地上の街に敷いた術式によって、まるでクレーンのように直下の大都市を引き上げる。その過負荷によって地上は沈み崩れ、代わりとばかりに引き上げられた竜都は入れ替わりで地上に持ち上げられる。これはそんな単純なものを、ありえない規模で行おうとする術式である。
永きに渡り誰にも気づかれることなく、また経年による自壊も起こさないほど頑丈に練り上げられた大規模術式。現在セントラルにいる全ての術師を総動員してもこれを壊すことは叶わない。
日和はやり方を変えた。
壊せないのなら、式が起動しないように抑え込むしか手立ては無い。
セントラルを囲う術式。地下深く竜都にも結び付けられているその術に、己を括りつける。
魔術との同期。術式のシステム自体を書き換えることは不可能としても、式自体に自分の肉体をさらに紐づけることで魔術式を遅延させることならば可能だ。
ただしこれは異常である。
人一人が発動するような術式であればこの方法で抑えるのも頷ける。一人の起動に際し一人の人間が綱引きで発動を遅延・中断させるのであればあとは個人の力量による勝負だ。現にカルマータも悪竜王ハイネと使い魔越しに似たような引き合いを行い見事勝利してみせた。
だがこれは話が違う。
数千数万それ以上の人間を擁する一国家を丸ごと覆い沈めんとする規模の術式を、たった一人の術師で抗する。綱引きなど、勝負など、成立するはずがない。
「はぁ」
気の抜けた溜息。隻腕の退魔師の、残る左腕から血が滴る。
術式の起点から強引に回路へと干渉を繋げた日和は、現在進行形で『浮上』を止めていた。ただ立っているだけに見えるその姿も、常人であれば何度気が狂っても足りないほどの激痛を体内に迸らせたまま遅延を押し通している現状だ。
『……何分、もつ?』
懐の通信端末から聞こえるのは参謀総長たるモンセー・ライプニッツの声。
ひとりでに肉体に傷が刻まれていく中、自身が負傷していく状況を一切無視して苛立ちの混じった声を返す。
「逆だ。どれだけ必要かを言え。その分だけ保たせる」
『だ、そうだぞ。弟子として子として、端的な解答を言ってやるといい』
小さく舌打ち。あの小娘、どうやら同時に日和にとって唯一の愛し子へも通信を開いていたらしい。遠回しに彼へ辛辣な言葉を投げてしまったことを密かに悔いる。
だがそんなものを気にした様子もなく、大きく溌剌とした声が耳に馴染み深く響く。
『一時間!それで地下を全て攻略します!だからっ』
「足りないかもね、それでは。二時間としておこう」
ーーーーー
二時間。米津元帥らが建造したエリア1の軍事基地から地下へと降りればかなりの時短で竜都へと到達できるはず。
「ヴェリテ、今すぐこっちに来てくれ!とんぼ返りになるがアクエリアスへ向かう!!」
「おめーもだシュライティア。日和がくたばる前に大術式とやらを止めるぞ」
『『承知!』』
『発動遅延に掛かり切りで動けない日向日和の護衛は我々に任せてくれていい。…とはいえ、やはり物量差から長くは耐えられんとだけ伝えておく』
通信端末を無数に展開し竜達を呼び戻しながらモンセーとの連携を繋ぐ。
「ティカ」
「わかってる!あっちに着く前にはみんな元通りに治してみせるよ!」
大聖堂跡で目まぐるしくぴゅんぴゅん飛び回るロマンティカが傷ついたメンバーを次々癒していきながら威勢よく返事した。
「セントラル防衛は他の人達に委ねるしかない。俺達は自称『ネガの英雄』と地下でこのふざけた術式を起動している何かを叩く!連戦になるが頼むぞ!」
力強く首肯する面々と共に、夕陽達は再び空から舞い降りてきた竜種に騎乗し最大速度で海辺のエリアへと飛んだ。
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