尊き想いは世界を越えて (後編)


 世界を渡った悪竜王は自身の構築したシステムの端で弾けた違和感に気付く。

 無数の使い魔を供給路として縦横と複雑に絡み合わせた魔力のパス。それは雁字搦めに出鱈目な回路をいくつも経由して最終的には無事ハイネの体内にある炉心へと注ぎ込まれる仕組みとなっている。

 ただしその迷宮のような供給路を辿ることは極めて困難であるし、その途上にはいくつ幾重もの術式阻害術式が張り巡らせてある。それはどれだけ優秀な希代の天才魔術師であったとて一本の供給路を解き解明するのに百年は掛かるであろう難解さを自負していた。

 だから何も懸念はしていなかった。フロンティア世界で無謀な誰かが無意味な行為に勤しんでいるのをこの目で視て嘲笑えないのだけが残念だと心の内でだけ思う。

 そんな愉悦はものの数十秒で鳴りを潜めた。

『…。……、なんじゃと?』

 突破。突破。破壊。突破。

 脳内で響くシステムの破壊音。悪意供給機構のプロテクトが粉砕され変換された魔力の流れが逆探知されていく。

 百年掛かりの難行が、その難行を百度繰り返さねば辿り着けぬであろう苦行の結果が、一分足らずでハイネへと突きつけられる。

 ありえないことだ。

 あの世界の知的生命体では。いや異世界の猛者が結集したところで掛かる年数が僅か減るだけの誤差しか生まないはず。

 まるで全てが解っていたかのような精細さ。永きを共にした夫婦の如き仔細の分析。全てを利用し悪用し、何一つ誰一人として心を許さなかった孤高の王の総てを知り尽くす何者かの存在が明白にちらついていた。

 多くに恨まれ、憎まれていることはよく自覚していた。それらを糧にして強大さを増してきた悪竜王にとっては長く太く憎悪を向けてくれる相手こそに関心を抱き愛玩動物へ向けるような愛情すら感じる異常性を有している。

 そんなハイネの心当たりにも、これほど使の存在はすぐには思い当たらなかった。

 だが対処に意識を潜らせた瞬間に疑問は確信へと変化した。ほんの少しだけ覚えのある魔術の癖が逆探知の中に紛れていた。

 これなるはハイネの長い生命歴の中でも一際印象強く残る『極上の餌』にありつけた、救世の人造竜へけしかけた一戦に居た魔術師。

 確か、名を。


『貴様だなカルマータ!』


「覚えていたかい、ハイネ」


 掴んだブルーバードの内側から逆探知と悪竜王へのアクセスを試みていたカルマータが、探りを見破られたことで術式を大々的に明らかにする。最早偽装に割いていた魔力すら惜しい。

 現時点で悪意の供給路六割の解明に成功している。ただし悪竜王とて数々の技術をその身に取り込んだ者。当然ながら魔術に関しても人の一生を超えた知識と技能を保有している。

 ここからは魔術による押し合いだ。

(不死だった頃なら生死を往復しながらのごり押しで勝てたろうが…まったく!ようやくまともな人に戻れたと思ったらこれかい!)

 黒竜王には人として死ぬ権利を返してもらったことへの感謝と同時に、因縁の敵への完勝を封じられたことへの怒りも覚えていた。

 自身の魔力を備蓄した魔石を噛み砕きマナポーションと共に嚥下する。急速な消費による魔力欠乏症と一気に魔力を回復させたことで起きる魔力過剰充足での吐き気と頭痛に思考を掻き回されながら、それでも術式の構築には一切の綻びを見せない。

 秒間で立て続けに塞がる回路への防護壁を次々に貫通させながら干渉の八割を完遂させる。


『馬鹿な、ワシが編み上げた回路を解明しながら防護と阻害の術式まで突破じゃと…!そんなことが』


 カルマータとて不死人と化した時間の中で驕ること怠ること無く研鑽を積み重ねた埒外の魔術師。

 さらに言えば、猟奇的なまでに悪竜という存在を突き詰め、狂気的なほどにハイネという存在を調べ尽くした埒外の魔術師、である。


「そりゃあ出来るだろうその程度。何せ、あんたを誰よりも知ろうと躍起になった世界で唯一の理解者なんだから」


 いつか殺す為に。いつか報いる為に。

 彼を知り、己を知ればと孫子に曰く。人の身の丈で語る戦術論法を何百年も懸けて一個の生命体へと指向し続けたのならば、なるほどこれも道理とするべきか。

 手の内を思考能力ごと全て理解したのであれば、それはまあ百戦重ねたとて危うきこともなかろうと。鏡の魔女は当たり前のように言ってのけた。


 残すところ出力の問題。自身の肉体に魔力を通わせ続け、急激な魔力の往来で焼け付く身体を気にも留めず、天空での一戦から快復したばかりの魔女は再び血に塗れながら薄っすらと笑む。

 解析完了。供給機構解明。逆探知完遂。経路供給権奪取。

 使い魔から流れ込む悪意の流入先へ繋がった。

 ようやく、渾身の術式ウイルスを流し込める段階へと至る。

 小さな小さな針のような痛みがハイネへと届いた。


『っ…なんじゃこれは。貴様なんのつもりか』

「あんたがうちの馬鹿息子にしてくれたことと同じさ」


 かつて救世竜オルロージュが悪竜達に討たれた戦。ハイネ筆頭の悪竜達は自分達と正反対の性質を持つオルロージュの性能を封じる為に人間の大虐殺を行い、悪意に満ちた死の都市に誘い込んだ人造竜を倒し封じた。

 人の善意や誠意、救いを求める清廉な心や声を活力として無限の強化を果たす救世竜は、真逆に位置する悪意の力で性能を著しく減衰させられた事実がある。

 これはその意趣返しとでもいうべき術式もの


「それは種。希望を糧として成長する最弱の魔術。人々の心が折れればたちまちの内に発芽することなく自己消滅する最下級の術式。…だがね」


 どこかの世界で暗黒竜王の竜化状態にも比肩する巨躯を浮かばせていたハイネは、その内側で広がる刺すような痛みが徐々に膨らんでいく感覚に焦りを覚えた。


『ぐ、く……これは、貴様。カルマータ、貴様ァ……!』

「逆を言えば、人が諦めさえしなければ、希望を失いさえしなければ、最後まで尊ぶべき善き想いこころを捨てなければ!それは悪意を穿つ刃の華と成る…!」


 カルマータが術式の肥料として指定した領域はセントラル全域。悪意の供給先へと届けられた善意の術式は、付随してハイネが転移した先の世界すらも『想い』を観測する領域として認識した。

 つまりは世界二つ分の善意。


「あんたには聞こえないだろうが、私達には聞こえている。戦火に包まれてもなお、誰かを助け誰かの為に戦い続ける人間の声が。馬鹿息子が望んでいた清く美しいものが。そっちの世界の人間達も、今頃は賢明に悪竜王へ立ち向かっているはずさね」

『くぅ、オォおおああああ!』


 種が芽吹く。路を奪われ防ぐ手立てのない善意の種子が、ハイネの炉心で咲き狂い暴れ回る。

 人で言えば、胃袋の中で栗のような棘だらけの形をした風船が割れることなく膨らみ続けているようなものか。


『貴様、貴様!!人間如きが、我らの餌風情が!よくもよくもよくも!!』

「…くっ、はは!私のなけなしの悪意でよければ腹の足しにするといい!それよりも抜け出る力の方が遥かに大きいだろうがね!!」


 ようやく思い切り感情を発揮することが出来るようになって、セントラルの空には居るはずのない悪竜王の怒声と大魔女の大笑が高らかに入り乱れ響き渡った。





     『メモ(information)』


 ・『鏡の魔女カルマータ』、『悪竜王ハイネ』へ術式流入。悪意の供給路強制断絶によりフロンティア世界からの膨大なエネルギー供給停止。

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