『ただいま』と『おかえり』を
十秒間の拮抗。確かに神鉄の防壁は竜王の破壊を真っ向から受け止めた。
そしてそこがアルの限界。指先ひとつで破壊の指向性を曲げた竜王が一手上だったと言わざるを得ない。
それでも防御で削げた破壊の力、しかも強引に捻じ曲げた上での威力などたかが知れている。いくら連戦からの包囲で消耗しているとはいえ誰しもがこの世界の戦争を生き抜いた猛者である。そんな一撃を迎撃することも回避することも容易だった。
だから竜王は誰も狙わなかった。防壁から弾かれるように逸れた破壊の一端は彼らの持つ一縷の希望へと向かい。
「クソったれがァ!!」
「馬鹿な、あんたどこまで…っ」
気付いたアルの怒声、誰よりも間近でそれを目の当たりにした瀕死のカルマータが青い顔で呟く。
破砕された転移の術式陣が光の粒となって消えゆく。敵を磨り潰すよりも前に逃走手段を封殺した竜王はあらためて防壁の破壊へと注力する。それすらも、もうあと数秒保てればいい方だった。
皆が一様に心折れそうになるところ、流石は多くの死線を潜り抜けてきた胆力がものを言いすんでのところで踏み留まる。だが意思強く保ったところで状況は何も変わらない。
だから敗北を予感した陣営も、勝利を確信した竜王達も、それは何もかもが予想外だった。
「【
『!!?』
その文言が
「【
「…おうさ!」
灯光を纏う修道服が揺らめき、かざした片手から放たれた橙の煌めきが同じ地点に砕け散ったはずの転移術式を再び出現させる。
他ならぬシスター・エレミアの御業である。
「エレミア!?」
「嘘だろ、なんで…」
「その眼は…っ」
交戦の最中にもあって驚愕に迎撃の手が疎かになる。纏う光にもそうだが、何よりも驚いたのはエレミアの瞳から絶えず散り零れる光の雫。
〝成就〟の概念体と呼ばれていた少女の特徴と一致する変化に戸惑うのは味方だけではなかった。
「貴様。…まさか概念体を」
神鉄が効力を失い破壊の余波に吹き荒れる戦場で、竜王だけがその変化の正体を看破していた。
それもそのはず。それは、竜王が復活の際に辿った経験則だ。
生物が、非生物であるはずの理法を取り込む。それにより引き起こされる存在強度の劇的な向上。死滅し掛けていた竜の躯体すらも復元させたのは〝絶望〟の概念体という異端中の異端を吞み砕いたが故のものだが、それと同じことを修道女は発生させていた。
共に願い、皆が祈ったこと。その実現はこのような形で成された。
「退くよっ!!」
動揺に止まった一秒が決め手となり、完成直前だった転移の術式がようやく起動し全員の身体が次々と消えていく。
「
「させません」
最後に振るわれた破壊の一撃を、最後に残ったエレミアの放つ光が受け止める。
まるで相手にならなかった攻撃の衝突。瞬く間に光は突破され破壊の奔流が一帯に爪痕を刻んだが、そこには既に破壊すべき対象は何一つ残されていなかった。
ーーーーー
「っっっぷはぁ生きてんぞオイぃ!!」
「言ってる場合かアルお前死ぬぞ
「ティカ最優先にカルマータとアルを治療専念!最低限命を繋げば問題ない!」
「やっと帰って来たばっかなのにまだやることあるの~(泣)」
転移先の海辺、砂浜を血で汚しながら大笑し仰向けに倒れたアルと転移魔術の発動で傷が開いた瀕死のカルマータを囲んで皆が大急ぎで動き出す。とてもあの死地を命からがら抜け出した直後とは思えない有様である。
転移の光を目敏く悟ったホテル駐在の兵士達がどんどんと人を呼び集めてくれている中、衣のように淡い光を纏うエレミアがゆっくりと立ち上がる。傍にいたエヴレナが、躊躇いがちに修道女を見上げた。
「…それが、最善だったの?」
「はい」
対してエレミアは躊躇わなかった。胸を張って答える。
「形を保てるほどの力は残っていませんでした。だからあの子の最後の願いで、私達は『共にあること』を望んだ。大丈夫、ウィッシュちゃんは、ここにいます」
「…………」
担架に乗せられている重傷者達も、自力で動ける程度には軽傷だった者達も、エレミアの言葉に沈黙を返す。
自分の胸に両手を当てて、祈るような仕草で顔を伏せるエレミア。次に顔を上げた時、その表情は晴れやかだった。
「エレ」
「あの子は私の中にいます。もう自分で形を取り戻すことはできませんけれど、それはあの子が自分で扱える力が無くなったというだけのことです。だから」
切り替えの早さを疑うより前に彼女は答え合わせを矢継ぎ早に行った。胸に当てて両手を、今度はゆっくりと前に突き出す。
ちょうど、小さな誰かを抱え上げるような恰好で。
「それを、私が代わりにやれば、ほら」
ぽむっ、と。
軽い音と共に灯光が瞬き、エレミアの腕には一人の少女の姿があった。
紺色の長髪、二つ結びのおさげに流れる光の粒。さながら星夜空を背に負うような不思議な容姿。
エレミアとお揃いのように瞳から溢す光に混じり、その瞳には本物の涙が流れていた。
「おねえちゃん」
「はい」
どよめきは歓声へ。歓喜に暴れる重傷者は兵士達にすぐさま取り押さえられ担架に縛り付けられる。そんな様子すらも、今は誰しもが笑って見ていた。
「ありがと…お姉ちゃん」
「お礼よりも、今は聞きたい言葉があります」
勝利も敗北も無い一戦。ただ奪われた少女を取り返す為だけに命を賭した大馬鹿の一団。どの陣営よりも世界を蔑ろにした反逆者と誹られても彼らは一向に気にすることはない。
そんなものよりも得たものは大きかったのだから。
概念体などではなく、年相応の少女らしく泣きじゃくるウィッシュを、エレミアは優しく抱き締めた。
「…ただいま…。ただいまっ!お姉ちゃん!」
「はい…はい!おかえりなさい、ウィッシュちゃん」
これにて懸念、心残り一切無し。
世界を救う最大の決戦、その火蓋が切られるのはもう間もなくのこと。
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