『一緒に帰りましょう』 (後編)


 日和には確信があり、アルには予感があった。

 既に概念体としての核は竜王の干渉により再起不能なレベルで破壊され、数十秒後に迫る消滅の時を待つばかり。

 だがそうはならない。何の要素も無しにこの結論に行き着いたわけではなかった。

 何せ、があるのだから。

(とはいえだ)

 魔神化の解けた身体で無理を押し呪詛を吐いた影響か、喉から多量の血を吐き出し両膝を屈したアルが懸念を胸中で抱える。

 あと僅かな時間を稼がねばならない。だがアルの〝歪曲原語ガルドラボーク〟は効力を失い、弱体化した日向日和の結界も割れる寸前だ。他の仲間達がエッツェルとヴァルハザード以外の竜種を足止めしてくれてはいるものの、正直竜王にこの場を突破された時点で戦況は詰む。それほどの規格外であるのだ。

(死ぬほどやべェ賭けになるがもう一度『完全反転』を…!)

 今やアルには一振りの刀剣を生み出す余力すら残されていない。その中で唯一振り絞れるとしたら魔神化しかありえない。

 今度こそ死ぬ手前まで寿命を縮めることになるかもしれないが、ここで死ぬよりはよほどマシである。そう考え自身の最奥にあるブレーキに意識を向ける。

 と、

「……アル」

「白埜…!?馬鹿お前下がってろって!」

 破れた服の端を引っ張ってむくれ面をした白埜の声に全ての思考が遮られる。珍しい妖魔の狼狽が見られたが、それよりもと少女は胸元に抱えていたものをアルへと差し出した。

「……これ」

 この世界に渡った直後、白埜へ絶対の防御を付与する為に三度に限定された神格権限を用いて生み出した、三重のルーンを刻んだ神鉄の首飾り。竜王の一撃すらも軽傷に留めるほどの防御性能を所持者に与えるアクセサリー。

 それを、今この場で白埜はアルへ返還した。

 その意味を、余力無き妖魔が問う。

「…オイ、白埜。それはこの世界でずっとお前を守って来たモンだ」

「……知ってる」

「なら手放すのがどういうことかもわかるよな。コレが無きゃ、お前を守れねェ」

「……それも知ってる。でも」

 こっくりと頷いて、それでも白埜は迷いなく首飾りをアルへと押し付ける。

 そうして、今度はこの苛烈な戦場の只中で余りにも不釣り合いな笑顔を見せて、言う。

「……コレがあれば、アルはきっとみんなを守れる」

「―――」

 全幅の信頼。故の微笑。

 返す言葉も紡げぬ内、胸に押し付けられた神鉄を受け取り立ち上がる。魔神化から回帰した身に残る最後の神性を振り絞り、術式を練り上げた。

 余力無くとも、その負担は神鉄という破格の存在が代行している。

「敵わんぜ、お前には」

 天目より至りて神技。打ち鳴らす金床の響き。鍛えた鉄鋼は大神にも劣らぬ凄絶なる器へと成る。

 すなわちが天目鍛鉄大神絶器てんもくかてつたいしんぜっき。あるいは北欧の霊妙より戴きし〝最も旧く巧みな鍛冶の最奥ウェーランド・スミス〟。

 かつて存在した神域の武具からではなく、この今世に誕生した新たなる魔神は過去の神秘に頼らずして新世代の神域へと到達していた。

 だからこそと言うべきか、その神鉄より生まれたモノに固定のカタチは無く、然して確実に脅威を弾くナニかであった。

「〝防壁・盾〟」

 無名の防具。無銘の防御が壊れた結界の上からさらに強固な護りを敷き、不可視の防壁を挟んで竜王と妖魔は睨み合った。

「貴様」

「もうちょい付き合えや竜王。今ァ、最愛の女にいいとこ見せてるとこだからよ」

 虚勢なのは明らかだった。未完成な術、不完全な神性をもってこれだけの拮抗を見せているだけでも奇跡的。

 結局どこまでいっても、これは見苦しい悪足掻きにしかならない。




     ーーーーー


「一緒に、帰りましょう」


 声は震え、所多くで交わされる激闘の音響に掻き消されるほど小さい。

 それでも彼女と、少女の肌が触れ合うほどの距離でならば届く。

 一度目の願いは修道女の本心だった。


「ね、ウィッシュちゃん。…たとえ消え逝くものだとしても、今じゃなくていい。だからほら、帰りましょう。私と、皆と一緒に」


 二度目に願うは陣営の総意。少女一人を取り戻す為に彼らは集ったのだから。

 流星は三度の願いで〝成就〟を果たす。エレミアはその条件を満たそうとしていた。

 


「帰りましょう。共に見届けましょう。この世界の安寧を取り戻すその時まで、共に。…だから」

「…ぁ、あ……【三度の願い、聞き届けま」


 ウィッシュの身体から放たれる星の光に、エレミアの身体から光った力が喰らい付く。残る信仰心を燃やして宿す女神の加護が、余計な言葉を封殺していた。

 黙れ、引っ込めと。

 訊いているのはお前ではないと。


「私は概念体あなたに訊いているのではない。〝成就あなた〟に願っているのではない。…ねえ、ウィッシュちゃん。あなたは、どうしたい?」

「【願いを、三度の願】―――お、ねえちゃ【いを、聞き】ん。【届けま】わたし―――わたしはっ!」


 弱弱しく消滅に追われていた少女の瞳が、その言葉尻と共に大きく見開かれる。同時に少女の光は橙色に温かく変化した。

 持てる力を声に乗せ、ウィッシュ=シューティングスターは願う。

 三度目の願いは他の誰でもない。流星が願ってはいけないなどと誰が決めた。

 願いを聞き叶え続けた星は、ついに己の願いを吐露する。


「まだみんなといっしょにいたい!お姉ちゃんと一緒にいたい!まだ消えたくない!最後までみんなといたいよ!!」

「―――そうですか。なら、叶えましょう?我らが女神も、そして私自身も。それを強く強く、祈っているのですから」


 橙の灯光は女神の光と合わさり、そして同色の燐光としてエレミアに宿った。


 そして。


「クソったれがァ!!」

 魔神の防壁は突破され。


「馬鹿な、あんたどこまで…っ」

 魔女の術式は砕け散り。


 急遽援護に駆けつけた日和ごと夕陽は祖竜の業焔に吹き飛ばされ、仲間が次々と敵の竜種の攻勢に押し負け、陣営が死守していた円形の防衛ラインが全て破綻して。




「【wish】」




 真なる流星が、瞳に灯光を宿して告げる。

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