切迫と逼迫 (前編)


「エッツェル様!?」

 毒霧の充満した『胃袋』にて、主君に何かが起きたことを察したメティエールが顔を身体ごと振り返る。

 その首へ向けて容赦なくディアンは片刃の剣を振り落とした。

「くっ!」

 竜の鱗を現出させた手の甲で受け止め、弾き返すメティエールの表情に怒りが滲む。

「状況が真逆になったな。付き合ってもらうぜ」

 刻印の多くを防毒に回したディアンが誘うように剣の切っ先を揺らす。

 ディアン自身も直接報告を受けたわけではない。各々が携行している水晶型通信端末で端的迅速に現状を伝える為の簡易手段としてモールストン・ツーを採用している。『到達トウタツ』の意を持つ信号はメティエールの動揺直前にディアンの耳に届いていた。

 つまりメンバーの内誰かが(あるいは複数名)が最奥、ウィッシュの捕らわれた部屋にまで辿り着いたということ。

 こうなった以上足止めを受けていたディアンとしては無理にこの場を突破する必要性が薄くなった。むしろ今にも駆けつけんとしている竜を行かせないようにすることこそが最優先。

(とはいえ呑気に粘ってる場合じゃねぇ。無論として倒せるものならばここで倒す!)

「このっ……邪魔を」

 血走った目で睨みつけるメティエールの矮躯が毒煙に包まれ、膨れ上がった瘴気の中から竜化を遂げた巨体が現れる。

『しないで!人間!!』

「生憎とそうはいかねぇ。意地でも足引っ張ってやんぜ小娘」

「でも毒の中和は長く続かないよディアン。解毒と防毒で常に魔力使い続けてるからね!」

 ばさりとディアンの肩から離れたリートの忠告通り、人が生きられる環境ではない毒霧の中ではどの道長く勝負は続けられない。

 既に少量吸い込んだ毒で意識が揺らぐ中、ディアンは剣を両手で握りギリギリまで時間を稼ぎに掛かる。




 熱波が大気を歪め、胃液の代わりとばかりにマグマが満ちたある『胃袋』の内部では、同じように逆転した状況下で飛び回る二体の竜がいた。

『退け!貴様の相手は後回しだ!』

『いいや断る!盟友達の邪魔立ては私が許さん!』

 炎と風が中空で吹き荒れ互いの身を喰らい合う。業火で空気を喰らい風の刃を打ち消すティマリアと、暴風で火焔を散らすシュライティアとではどちらも致命打に欠けていた。




 ただ、この状況を利用する者も一人。

(あれだけ人間を貶していたわりには行動が早い……ですが好都合です)

 シスター・エレミアは先程の戦闘で消耗した魔力を回復薬を嚥下することで取り戻しつつ、水場の『胃袋』から離脱した水竜セレニテを追っていた。

 エレミアも現状は大方把握している。セレニテは回復術に長けた竜。おそらくはこの事態を前にして己の術が必要と判断したのだろう。となればあの竜が行く先に目的の地はある。

 自身と共に敵の竜種一体も同時に到着することになってしまうが、それよりもエレミアは一刻も早い救出に専念すべきと考えていた。

 先に到達した仲間達も含め乱闘に持ち込むことになるだろうが、それならそれに乗じてウィッシュ救出も容易になるかもしれない。

 今ある手札で全ての状況を利用する。エレミアは黙々と竜の姿を見失わないように駆けたまま回復薬の瓶を放り捨てた。




     ーーーーー


 全ての意識が集う地、玉座の間。

 渾身の槌撃を片手持ちの大剣で受け止められたヴェリテが全身から雷を放出する。

「何故お前は叛意を抱く?竜の世界を取り戻さんとする竜王に何故同胞おまえが歯向かうのか、儂にはよく理解できん」

 最大速度。最高出力。

 ブレイズノアの周囲を雷の帯が何重にも取り巻いて見える。実際は雷化したヴェリテが通過した余波でしかないのだが、これを常人の目では帯や閃光のラインとしてしか認識できない。

 それほどの超速。しかしブレイズノアには一撃とて届かない。

「お前はかつての時代を取り戻したくはないのか?」

 頭上に掲げた大剣が大地に突き刺さる。剣から漏れ出た火炎は地を熔かし触れたものを問答無用で塵芥へと変える原初の火。

 全てを雷速で躱し、落雷に似た勢いと轟音を伴って戦槌の落撃を見舞うも、やはり防がれる。

「確かに途絶えた栄華が再び返り咲くことも歴史の中ではありましょう。それが竜の世紀であってもなんの不思議もありません。同胞達が最大の力を誇っていたあの頃を蘇らせるというのなら、それは竜種冥利に尽きるというもの」

 軽々と振るわれる大剣は直撃をもらった時点で死が確定する。あれに宿る祖竜の焔はあらゆる全てを強度硬度関係なしに焼き捨てる最古の神秘だ。

 何度目かの回避の先、雷速を捉えたブレイズノアの刺突を戦槌で受け止める。

 まったく重さを感じさせない片手持ちで、ほんの小突くように突き出された大剣。受けた瞬間に重機の突進を錯覚させる衝撃でヴェリテの両脚が踏ん張り切れず地面を深く抉った。

「ッ…ですが。ですがね」

 物理的に竜の肉体が押し潰されそうになる圧力を受けたまま、ヴェリテは強気に歯を見せて笑う。

「物足りないんですよ、もう」

「む…?」

 大剣が叩き上げられる。

「私達に並ぶものがいる。私達を超えるものがいる。それを見てしまったら、その可能性を目の当たりにしてしまったら、とてもとても竜だけの世界などくだらなくて仕方がありません」

 凄まじい質量と存在強度を持つ祖竜の獲物が弾かれ、特大の一撃が横合いから人化の祖竜を打ち抜いた。

 ブレイズノアの瞳がほんの少しだけ細まる。


「私は人間ひとに惚れた竜として此処に立つ。雷竜ヴェリテは全ての生命との共存を望む真銀の使命を代行する者なれば!」

「その意気や良し。であれば魅せてみろ、人理に寄り添う武勇の竜よ」


 無傷ノーダメージ

 渾身の殴打はブレイズノアを一歩も動かすこと叶わず、浮き上がった大剣が再び熱波を噴き返しながら舞い戻る。巨山を打ったような反動に痺れる腕で戦槌を手繰るのは間に合わない。

「〝刻印奥義シールド〟」

 突如として現れた気配と影が、淡く光る紋様を刻む腕を引き絞って瞬速の抜刀を行う。

 この一秒にも満たない居合の瞬間だけはまだ誰一人にも見切られてはいない。彼の出せる最大速。

「〝朧鞘離アブストラクト!〟」

 シンプル故に雑味の無い純然たる斬撃一閃が燃える大剣ごと祖竜の肩を裂く。

「…そういえばまだ、名を聞いていなかったな。人間」

「日向夕陽。ひとならざるものと共に世界を救いたがってるただの人間だ」

 そうして隠形術に紛れて玉座の間へと至った夕陽は次の手が来るよりも早く、ひとつの鈴を放り投げた。

 リィンと小さくよく響く音を鳴らして、鈴は。


『はいよ、呼ばれて飛び出て即結界!ってね!』


 これまた何も無い虚空から出現した人影の打ち鳴らした手の音に掻き消され、都市に伝わる異聞が術式を起動させた。





     『メモ(information)』


 ・『日向夕陽』、玉座の間に到達。『朱色の鈴』発動により顕現した都市伝説の起動した『隔絶結界』内に祖竜を捕縛。


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