二度目の別れを


 勝ち目のある戦いではなかった。


「―――!!」

 四周を濃く囲う大樹海から迫る無数の木々。蔓の鞭や木の葉の飛刃を呼び出した銀の小太刀にて斬り払いながら突撃の速度は緩めない。

 厄竜化した竜種の力は生前の数倍、自壊を考慮に入れなければ数十倍にまで跳ね上がる禁忌の呪詛だ。当然、元々の素材が上位種のものであるならば上がる性能も並では済まない。

 そんな脅威を前にして互角以上の勢いで迎撃し続けるエヴレナの表情は険しかった。


 軍配はエヴレナに上がっている。この戦いに勝ち目が無いのは真銀竜ではなくむしろ厄竜化した森竜。

 もし厄竜化を施した張本人たる竜王の支配が完全なものであったならば、まず間違いなくエッツェルはこの対戦カードだけは避けたはずだ。


 翼のみを竜化させたお得意の高機動モードで大樹海内を飛び回り、全方位から飛び交う森の大攻勢を巧みに回避し、また刃や爪で斬り捨てていく。森を掌握している竜の姿は視認できる距離にあった。

「…約束、を」

 飛翔したまま小さく呟き、口腔内に白銀の煌めきを溜め込む。

 次の攻撃を薙ぎ伏せ、チャージを終えたそれごとエヴレナが叫ぶ。

「果たすよ!フィオーレ!!」

 同様、同タイミングで厄竜をもがその意気に応えるように黒風を圧縮した緑花のブレスを放った。


 あの時とは違い短期間で多くの死線を超えたエヴレナの成長速度は目を瞠るものがある。純粋な戦闘能力の差として見ても厄竜一体では仕留めるどころか足止めすらも難しいことは容易に判断できる。

 それに何より、森と植物を操る竜にのみ限定してエヴレナは大いなるアドバンテージを得ている。

 だからこそエヴレナは気付いてしまった。お守りにと被せてくれたと思っていたこの花冠はもしかしたら。いや、きっと。


 ブレスの衝突。鋭利な刃と成った枝葉や弾丸と化した硬質な種子の礫を巻き込んだ森竜の咆哮。エヴレナのブレスにもその性質は乗っている。花冠に籠められた加護が能力を後押ししてくれている。

 同質の攻撃に加え真銀竜としての強力無比な竜殺しの特質まで加わってしまえば、結果がどうなるかなど火を見るよりも明らかであった。

「っ!」

 吹き消された森竜のブレスを散らしながら、神竜の雄叫びが樹海ごと厄竜を呑み込んでいく。


 ここまでを読んで。死した骸を再度滅ぼしてもらう為に渡したのだとしたら、それはなんと趣味の悪い贈り物なのだろう。

 けれどそれがこの少女にしか出来ないことだった。苦渋の決断であったであろうことは想像に難くない。

 だから恨まない。責めない。


「……」

 崩れゆく樹海の中を歩いていく。使い手の力が散り散りにされたからか、樹海は起きた時と同じように、凄まじい速度で枯れ果てる。

 歩く道の先。虚ろな瞳で薄ぼんやりと立ち尽くす女性の姿があった。

 ブレスの直撃を受けて左半身が消失してもまだ、厄竜化という呪いに縛られた頑強さが直立を保っている所以だろう。光を映さない双眸は、それでも軽い音で歩き寄って来る少女の姿を追っているようだった。

「フィオーレ」

 厄竜化とは死んだ骸を傀儡として操る外法の術だ。そんなものに語り掛けること自体が無意味であることを知った上で、それでもエヴレナは声を掛ける。

「約束、守ったよ。ちゃんと、…ちゃんと…わたしがっ」

「―――…………ぃ」

 不動で立っていた厄竜フィオーレが、その時僅かに体を振動させた。パキパキと真銀竜のブレスの影響で崩壊していく肉体に構わず、残った右腕を持ち上げる。

「!?」

 まだ動けたことに驚愕するエヴレナが伸ばされた腕に下がりかけるも、その前に右腕がエヴレナの頭に乗せられた。

 ただ、それだけ。

「え…?」

「…………いぃ、こ」

 壊れかけた腕が、銀髪の上を左右に滑る。撫でられているのだと、撫でているつもりなのだとようやく気付く。

「…ぃ、いこ。わた…し……こ。わ、…したち…の…―――み、らい」

「……っ!」

 込み上げるものを押し殺し、熱くなる目頭に力を入れる。誓ったのだ、他ならぬこのひとに。

 涙を流すのはこの戦争であの時を最後にすると。次に泣いていいのは全てが終わってからだと。

 薄く、僅かにそうとわかる程度にだけ口角を上げたフィオーレの微笑みに、生前最期の言葉が再度蘇る。

「……。どぉ、か。…これ…らも……ま、ぇ…を」

「うん。……うん!!」

 竜種の頂点に立つものとして。秩序の銀天を拓く者として。その未来を任された。

 だから泣かない。だから俯かない。

 真銀竜は前を向いて先を征く。


「ありがとう。ばいばい、フィオーレ」

「―――」


 背後に声は無く、ただ何かが静かに崩れ舞う音だけが返る。


 枯れて散りゆく大樹海の『胃袋』を背に、小太刀を消し去った手で頭の花冠に触れる。死した竜のあるはずもない温もりがまだ残っているような気がして。

 しばしの間そうして、エヴレナは未練を断ち斬るように手を離して強く拳を握った。

「……エッツェル…っ!」

 秩序は混沌を認めない、受け入れない。それは向こうも同じだろう。

 共に竜の世界、竜の未来を憂いあるべき姿を目指す最高種。その根底がここまで違うのならば、やはりどちらかが消え失せるまでこの殺し合いは終わらない。

 翼を鳴動させ、ふわりと浮き上がる。最大速度で飛ばせば先行していった皆にも近く追いつけるはずだ。

「待っててみんな。すぐ行くから」

 打倒竜王への熱と炎はまだ胸の奥に仕舞ったまま。今やるべきはそこにない。自分だけが足並みを乱すわけにはいかなかった。

 まずは流星の救出。その為にのみ、少女は飛ぶ。





     『メモ(information)』


 ・『厄竜フィオーレ』、神竜のブレスにより完全消滅。


 ・『真銀竜エヴレナ』、テラストギアラ内部最奥へ向け前進開始。

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