『天啓6・女神の信徒と竜王の臣下』


 文字通り敵の胃袋に飛び込んだ彼らの陣営は既に不利を強いられている。

 己が力に絶対の自信があった閃光竜チェレンや何も考えず飛び出した破岩竜ラクエスなどはその優位性を一切発揮出来ずにいたが、他の竜達は違う。

 ティマリアは溶岩で埋め尽くされたマグマの領域で敵を待ち構え、メティエールは多種多様な毒物が絶えず噴き出る地獄のような毒林の『胃袋』で侵入者を迎撃していた。現在それらと交戦中の二名も苦戦は必至だ。

 そして此処は大きな水源からいくつもの滝が流れ落ちるのが遠目に見える渓流のほとり。


「ほんとは私も誰かと一緒に行きたかったんですが、チェレンくんはいつの間にかいなくなってたし、ラクエスも大声出しながらどっか行っちゃいましたし」


 修道服の裾を濡らしてバシャバシャと歩くシスターが、進行方向の先に立つ竜を静かに見据える。

「ティマリアは火竜だから私の力とは相性悪くてあんまり組むメリットないし、メティエールちゃんは毒竜として全力出すなら私の協力はむしろ邪魔になっちゃうもの。そしたらほら、私もひとりぼっちで戦うしかなくなってしまいました。嫌ですね、私あんまり強くないのに」

 頬に手を当てておっとりと話すのは水色の髪を持つ女性。ミニワンピースの上に羽織った白衣を揺らして、彼女は困ったように小さく吐息を漏らす。

 取り合わず、シスターエレミアはクレイモアを引き抜いた。

「退くならば追いません。そうでないなら斬り捨てます。世界に仇成す竜王の一派に女神の慈悲はありえません」

「あら怖い。でも必要ありませんよ、神の慈悲など」

 その微笑みに感情は無い。もとより竜に非ず生命に向ける情すらこの女は持ち合わせていなかった。

「この世界は竜王様のもの。主が戻ったのに、何故新参の女神などに媚びへつらうことがありましょう?世は須らく竜のもの。あなた達のような下等生物が息をしていていいはずがありません」

 敬愛すべき神を貶され、人の尊厳すら否定され。

 普段から感情豊かに表情をころころと変えていたエレミアの顔は今、一切の容赦を消し去った無と化していた。

 クレイモアの切っ先を向けるのと、竜の口が大きく開いたのは同時だった。

 刃の先から魔力によって練り上げられた光の砲撃が飛び出し、それに対抗する高水圧のブレスが衝突する。

 拮抗は数秒、相殺もまた同時。渓流の水が高く飛沫上がり、エレミアが聖別されたブーツの性能によって爆速で飛び出す。飛沫が収まる頃、視界の先にいた女性は竜化を終えていた。

『私は命泉竜セレニテ!全域水で浸されたこの空間で私に挑むなど愚の骨頂!これだから人間とは烏滸がましい下等生物だというのです!』

「遺言は終わりですか?」

 狂信者たる彼女の能力は数段増している。あれだけ女神を虚仮にされたのだ、エレミアは人間が出せる限界以上の出力を叩き出すことに成功している。本来であれば自壊すら伴う火事場の馬鹿力、リミット解除のデメリットは真銀竜の加護たる『眷属化』の強化によって無効化されている。

 今のエレミアは人間という種族を大きく逸脱したポテンシャルを発揮していた。

 加えて聖別武装たるクレイモアには素で竜種特効が乗せられている。

 セレニテの攻撃が迫るより速く、すれ違いざまにエレミアの一閃が竜の喉を斬り裂いた。

『ぐっ…!』

「―――」

 斬られた直後は苦悶の表情を浮かべていた水竜も、エレミアが浅い水面に着地した頃には調子を取り戻していた。未だ出血の見える傷口だが、手応えの割に浅いことに疑問を覚える。

(違う。斬った瞬間から治している。回復術に秀でた竜ですか…)

 刃に付着した血を振って払い、思考を巡らせる。

 常時回復する術があるのだとしたら、仕留めるまでにはそれなりの時間が掛かるだろう。自分達は敵を倒しに来たのではない。『仲間』を、妹同然の少女を助けに来たのだ。

 こんなところで足踏みしている暇は無い。

「…ふふ」

 無表情を通していたエレミアが、ここでほとんど無意識に笑いを溢す。

 の彼女であればきっとこう考えていたであろう。『女神に反する異分子を長くゆっくり断罪することが出来てちょうどいい』と。

 それが今は焦りを感じている。より早く助けに行かねばと逸る自分がいる。

 女神リアはもちろん至上であり最優先するべき存在であることは間違いない。

 けれど、今のエレミアはそれと同じくらい、あの少女を大事に想っている。

 可笑しくなるほど自分に芽生えた人間らしさに胸が躍る。

 その笑みを、竜はどう捉えたのか。

『何を笑っているのですか、我々竜種の糧としてしか価値の無い存在が―――何を』

 少なくとも良い方向には考えていないのだろう。セレニテは不満と不快を半々にした声色でいくつもの水の使い魔を生み出していく。

 いよいよが水の竜としての本気だとでも言いたげに何十体も形を成していくのを見ながら、エレミアも剣を握る手に再度力を込める。

「負けるわけにはいきませんね。リア様の為に、―――あの子の為に」


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