天が地に墜ち崩れ去る時


 勝機はここしかなかった。

 この場にいる全ての者が最善のタイミングで最高の戦果を挙げた。それで漕ぎ着けたひと時。逃すわけには断じていかない。

 大天使ナタニエルは確かに存在強度の面ではひたすらに強固であり強靭だ。並大抵の攻撃では、あらゆる世界異界の強者であっても傷ひとつ付けることに難儀する程度には。

 であるからこそここが最適だった。

「ぐがっ!?がっぁああがああああああああ!!!」

 焼けるようにその姿形を崩壊させていくナタニエルを、日和は盾のように用いて着実に砂時計へと突き進んでいく。

 では単身でこの規格外の怪物を打倒することは不可能だ。真名を使えればまだ話も変わっていただろうが、その力すら今は六体の式神へ余すことなく注ぎ込んでいる。

 だから利用した。一瞬で押し負けない存在。確実に負けるとしてもある程度は『崩壊』に抗える素材。

 ほんの一秒でいい。あの砂時計に届くことが出来れば。

 それは苦痛なのか、それとも欠損していく自身の喪失感からか。叫び続ける大天使ナタニエルの形がみるみる内に崩れ去り消えていく頃。百メートルに届く巨大な砂時計は間近に迫っていた。

 何事か怨み辛みを唱え続けていた大天使の姿はついに全壊し、防ぐ手立てを失った『崩壊』が一挙に日和へと押し寄せるのを、彼女は突き出した片手で押し留める。

 『最強』から『並外れた強さ』程度にまで落ち込んだ日和では抗し切れない。

 それでも前進は止めない。落ちる砂は間もなくその全てを下辺へ落とし切る。退魔師としての眼と直感が、その瞬間が世界の終わりだと警鐘を鳴らし続けていた。

 指先がぼろりと崩れ落ちる。欠損の激痛などは思考を鈍らせる一因にすらならない。手足が喪失する程度で泣き喚くようでは歴戦の退魔師、ひいては数十世代に一人現れれば奇跡とすらされる退魔の神子は名乗れない。

 僅かずつ進む片手の先が、暴れる向かい風に対して伸ばすような弱弱しくも力強い片腕が。

 崩れゆく肉体よりも早く、刻一刻と終幕を降ろしつつある砂時計の、その硝子へと触れた。




 〝反転〟の、異能がある。

 善を悪に、是を非に、表を裏に、進行を逆行に、順転を反転にする日向日和の異能。

 その最大出力。

 終わりを告げる砂時計に対し行使した〝反転〟は、遡って始まりへと至る。簡潔明快に言ってしまえば、『「終わり」が終わり始める前に戻した』だけのこと。

 巨大な砂時計はもうない。

 それがあったはずの高山。もっと言及すれば高山があったはずの更地。

 そこには呆けた様子の少女がぺたりと座り込んでいた。常に崩れ続ける顔と身体を維持したいのか壊したいのか不明なまま、ぐずぐずに崩れては元の形に戻りかけている少女の姿をした『崩壊おわり』。

 本人自身がこの事態を把握し切れていない限りは、しばらくはあの終末の魔法は休眠することだろう。情念の怪物とはいえ、その心に惑いがあれば能力は十全に活きない。

 時の干渉を試みた〝反転〟の異能は無事に機能し、『「崩壊」が完全に成す前』に戻した。一時しのぎであることは間違いないが、これでもうしばらくの猶予は得た。


「……。さて、次だ」


 最大の脅威は取り除いた。確定された終幕エンドロールを回避した今、次に向けるべきはあの巨人以外にはいない。

「―――日和、さん」

 どういう原理か術式か、砂時計の消失した高空に立つ日和を、真由美に回収されヴェリテの背に送り届けられた夕陽が見据える。その瞳は、今にも泣き出しそうに潤んだ水分を張り付かせていた。

 そんな少年へと、日和は母親のような姉のような、あるいは師のようでもある優しげで慈愛に満ちた表情を返す。

「問題ないよ夕陽。私はまだ、まだまだやれる。…少しは、普段無茶をする君を案じる私の気持ちが伝わったのなら幸いだけれどね」

 彼にしか見せない、向けない。そんな柔らかい笑みを浮かべた日和が、片手を突き出してピースを作って見せる。


 まるでその意味も意義も感じさせない、日向日和がピースするのとは逆の腕。

 そこは二の腕半ばまでが『崩壊』の影響で崩れ、消え去っていた。





     『メモ(information)』


 ・『創造の天使ナタニエル』、『「終演」ラストコール・エンドフェイズ』の魔法により完全消滅。


 ・『ラストコール・エンドフェイズ』、『日向日和』によりネガ堕ち解除。一定時間停滞。


 ・『日向日和』、崩壊の魔法により右腕消失。


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