奪われた流星


「私が貴様の前に姿を現した意味、正しく理解しているか?」


 ホテルに現れた日向日和はその瞬間から全ての動きを押さえ込んでいた。

 それは竜王の破壊の力に始まり、不意を打とうとしていた軍属達の挙動、怒り狂う妖魔の身動きに至るまでの全て。

 だがそのイニシアチブは容易に覆せるものだ。少なくとも、竜王エッツェルにとっては造作もない。

 それを行わないのは、彼女の言葉に含まれる真意を図りかねていたから。

「次。現れるならば確実な策を練って私に対抗する術を得た時。そう思っていたがな」

 それは遠回しに対抗が不可能であると確信した物言いだった。今の日和はまだ弱体化が戻っていない。当然だ、彼女が力を分けた式神はまだ全て健在なのだから力を戻す余裕があるわけがない。

 であれば、これはどういう展開か。

 竜王はほんの僅かに思考を回す。圧倒的な破壊で一帯全てを根こそぎ壊し尽くしてしまえばそれまで。

 それでも、万に一つの可能性すら捨てきれないのがこの退魔師という女。

 真銀竜。神器。抵抗勢力。原初の火種。

 ここには目障りな全てが集約されている。竜王の襲来はそれらの処理も兼ねたものであった。

 しかし。

「…………」

「…………」

 退魔師は何も語らない。表情には切迫も楽観も見えない。

 殺せるはずだ。確実に、戦えば九割九分に勝ちが込む。

 しかし、残る一分で何を仕出かすかが不明だ。自らの死を代償に永続的な衰退の呪いを掛けて来てもなんらおかしくはない。この女が目先の勝利を棄てて最終的な人類陣営の白星を狙っていないとは言い切れない。

 で、あるならば。

「…その大風呂敷、どれほど真に迫れるか見物だな」

 空間に桃色の風穴が口を開ける。その先へと足を一歩踏み入れ、

「待ちなさいっ!」

 修道女の声に、その不敬に意識を向けた。

 シスター・エレミアがクレイモアの切っ先を向けたまま敵意を放つ。絶対的な脅威を前に、それでも退けない理由があった。

「その子を、ウィッシュちゃんを!返してください!!」

「―――その、子?」

 一歩を戻した竜王は、珍しくわけのわからないことを聞いたような不自然で不機嫌な表情を作る。

 そうして竜王エッツェルは手に掴んだままの子供。自らをウィッシュ=シューティングスターと名乗った少女を持ち上げて見せる。

「まさかとは思うが貴様ら。を異界の人種か何かだと?笑わせるな、よく見ろ」

 胸倉を掴んだまま苦しみ続けるウィッシュを掲げる。何故肉体の半分を喪ってもまだ生き続けているのか。疑問に思った者、不可解に感じた者もその場には多かった。

 そもそもその考えが間違いだったと、総員がその時に気付く。

「……え?」

 エレミアのか細い声が理解不能な事態を何よりも示す。

 破壊の力で消し飛んだはずの、ウィッシュの肉体下半分。

 それが光の粒子によって再生されていた。パキパキと、まるでパズルのピースを組み合わせていくように。再生というにはあまりに機械的で、むしろ修復や再構築という意味合いの方が強く感じられるほど。

 その過程に、とても人間らしさは見受けられない。

「解ったか?コレはそういうモノだ。故にコレは私が有効的に活用する。その為に」

 無知にものを教えるように、語る竜王に時間は与えない。

 妖魔、真銀、老翁、退魔師。露骨に晒した隙を見逃すまいと最速で迫ったそれぞれの一撃が竜王へと刺し込まれる。




     ーーーーー


 火竜、炎竜の祖であるとされる竜種。ブレイズノア。

 未だ一度として種族としての能力を使わずして、無手での交戦において無傷。

 対して五人がかりで挑んだ者達の消耗は著しかった。

 その中で、一人。

「良く避ける。良く受ける。人とは皆がそうなのか?」

「はあ、ぜぃ……くっ、…はぁあっ!」

 一発が肉体を抉るほどの威力を持つ祖竜の武術めいた乱撃を躱し、いなし、受け流す。

 ゾーンからの無形に至った日向夕陽が紙一重の攻防をかろうじて成立させていた。

 そんな夕陽が歯を食いしばる。

(遊んでやがる…!)

 まるで本気ではない。夕陽が出せる全力を見てその少しだけ上の出力で互角に打ち合っているように見せているだけ。決められた手順で行われる約束組手のように、打ち出した攻撃に対し最善の動きで捌く夕陽をブレイズノアは面白そうに間近で眺めていた。

(どうする!?コイツだけでも手に余るってのに、竜王までホテルに侵入してる!総戦力で倒せるのか、この化け物共を!)

 幸い(?)なことに兵軍主力を含む多くの戦力がこのホテルには集中している。避難誘導と退避さえ完全に済めば、その全てが全力を出して戦えるはず。

 ただし、その場合はこのエリアは更地か荒野になるだろうが。

「!?」

 二度目の爆発がホテルの上層階で起きた。その異変と振動に意識を取られ、眼前に迫る祖竜の拳に対処できない。

 脳漿が爆ぜ散り無残な死体を晒すビジョンが見えた夕陽の視界を、突如として薔薇の花弁が覆った。

「うん?」

 ブレイズノアの呑気な声が聞こえ、次に花弁が晴れた視界には一人の少女が立っていた。

 奇妙なことにあれだけ間近で戦っていたブレイズノアと大きく距離が離されている。転移の魔術か何かで強引に移動したのだと判断した。

「顔合わせより前に戦場を共にすることになるとはな。わからんものだ」

「そういうもんだろ。常在戦場、傭兵にとっちゃそれこそ日常茶飯事だ」

 やけに達観した物言いをする幼い白髪少女の隣には左腕を赤い翼に変質させた青年の姿もある。見覚えのない者達だが、この振る舞いから察するに兵軍の新規加入者。

「避難が済んだんでこっちに加勢しに来たが、こりゃ一傭兵団でどうにかなるレベルじゃなさそうだな」

「…いや、充分です。これでまだ」

 まだ、時間を稼げる。

 ダメージが抜けて態勢を立て直した竜達とディアンに加え、周囲には翼の青年が言っていた傭兵団の仲間なのか、アイドルっぽい恰好の少女やら猫耳カチューシャの少女やら黒和装の少年やらと種々様々な特徴の味方が配置についていた。よく見ると新たに人化した竜の娘も追加されていた。

「おお、良いな。とても良い。ヒトとは数が多いのも特徴と聞いた。群れてこそ強くなるともな」

 囲まれた状況にあって、ブレイズノアはにこやかに手を打った。遊べる玩具が増えて喜ぶ子供のように映って、つい戦意が削がれそうになってしまう。

 祖竜にとっては本当に遊びのつもりなのだろう。だから敵意も殺意も極めて薄い。

 だからこそ時間は引き延ばせる。精鋭の総合戦力で一気に仕留めるつもりでなければ倒せない。今はまだその戦力が足りない。

 時空竜討伐時と同程度がそれ以上の力が必要になることは分かり切っている。だからそれまでの時間を。

 そう考えていた夕陽が、ブレイズノアの背後から桃色の孔が空いたのを見て愕然とする。

「ブレイズノア」

「黒竜王か。所用は済んだようだな」

 孔より現れる竜王エッツェルの存在に、まだ真銀の加護が与えられていない傭兵団の皆がその圧力に全身を震わせる。

 最大級の脅威が二つ揃ったことで手の打ちようがない状況を自覚した夕陽が汗だくのまま打開策を見つけんと高速で思考回路を働かせる中、竜王はちらとだけ夕陽を見て、そのまま視線を外した。

「戻るぞ」

「やれやれ。短い物見遊山であったな」

 首を振るって肩を竦めるブレイズノアには取り合わず、竜王は孔の向こうへと消えていく。

 その間際、手に掴まれた少女の姿が視界に入る。思わず足が前に出ていた。

「ウィッシュ!?」

 動揺のままに斬りかかった刃は、いつの間にか手元に呼び戻していた大剣を使ってブレイズノアが受け止める。

「退け人間。また死合おう」

「ふっざけんな!こんだけ荒らしといて逃げる気かよ!ウィッシュをどうするつもりだテメエら!!」

 遮二無二振るう刀の全てを打ち払い、逆手に握った剣の柄で打たれ夕陽の身体が大きく後方へ吹き飛ぶ。

「っ」

「おっと!」

 それを白髪の少女と翼の青年に受け止められ、再度前を向いた時にはブレイズノアは半身を孔に進ませていた。

 完全に姿が消える直前、思い出したようにブレイズノアは大剣を持ち上げホテルへと向ける。

「荒らした詫びはしよう。これでどうか」

 緩やかに一振り。剣の先からぼんやりと揺らめく焔が散る。

 

「……ッ…!?」

「ではな。アレを取り戻したいと奮起するのであれば、暴竜の胃袋へ飛び込んで来ると良い。歓待しよう」

 まるで大規模な手品を見せられたように理屈の合わない状況に思考を止められた間、ブレイズノアはゆったりと老人のように喋りながら孔の中へと消えて行った。




 十分にも満たない激動の一幕。

 得たものは少なく、失ったものは大きい。

 ウィッシュ=シューティングスターの拉致、強奪。

 これの意味するところを正しく理解している者は、今のところ数名に留まる。




     『メモ(information)』


 ・『日向日和』、エリア1に現着。


 ・『黒竜王エッツェル』、『ウィッシュ=シューティングスター』を拉致。撤退。


 ・『厄竜ブレイズノア』、撤退。


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