呪縛を凌駕するもの


 エヴレナには覚悟があった。

 剣を介して先代神竜の残留思念と対話を果たした今のエヴレナには。

 その一閃に曇りなく、同胞であれ世界に暗雲をもたらす存在であるならば躊躇いなく斬り捨てる気概があった。

 だから。

 その場にいた全ての生物が反応できなかった神器での一振りにて起き得た結果の全てに、エヴレナの落ち度は微塵もない。


「な―――」

 愕然とする。

 まず初めに仕留めんと懐に潜り込み、あらゆる行動に先んじて振り上げた神竜の剣は確かに肉を断った。

 だがそれはメティエールの肉体ではなく。

「え。……え、あれ?」

 唖然とする。

 凄まじい勢いで引っ張られ、後方に投げ飛ばされたメティエールは地面に転がるまでの数秒間、空中でその光景を見ていた。


「……」

「―――」


 腕が落ち、内臓が零れ出る。

 明らかな致命傷は、体内から止め処なく漏れ出る漆黒の霧あるいは汚泥に似た粘質の何かが補填し傷と欠損部位を埋めていく。

 その異形は既に生きとし命の在り様ではなかった。

 誰よりもソレの近くで、エヴレナは目を見開く。

 誰よりもソレに縁深い、メティエールは我が目を疑う。

 長い数秒を掛けて埃の積もった床に尻もちをついた少女が、ゆっくりと確認するようにソレを呼ぶ。


「ぱ、パパ?…ママ……?」

「「…ォォオ―――!!!!!」」


 応じる声は竜の咆哮。

 生前を遥かに超える力で厄竜はエヴレナを薙ぎ払い、真銀陣営に向かい立つ。

「メティエール!」

 そこまでのやり取りを見届けて、ようやくティマリアはメティエールのもとへ駆け寄る。幾許かの余力を練り上げて炎の剣を生み出しながら、ティマリアが問う。

「あの厄竜は……お前の父母は、お前が…!?」

「ううん、違う!わたしは、なにも。……なんにも命令おねがいしてないのに…っ」

 厄竜に意志は無い。厄竜に自立行動はありえない。

 一部例外はあれど、それらは存在自体が規格外の者達ばかり。一介の竜種程度では生前に竜王の言葉に抗ったケースはあれど死して傀儡と化してなお意志持つ行動を起こした例は見たことが無い。

 それでも理由を探すとなれば、行き着く心当たりはひとつだけ。

 強靭な魂。ともすれば狂っているとも取れる、がある者の執念。

 ティマリアは総毛立つ。

 まさか、この雌雄は。


『ァ、ガ…―――かん、しゃ』


 二体の内、男の疫毒竜が壊れかけた声帯で呟く。それに、妻の竜が同じように濁った声質で答えた。


『えェ゛。竜オウさまに、かン謝を』


 竜王の呪縛に縛られた厄竜は、死の中で崩壊と強引な再生を繰り返しながらその身を変異させていく。膨れ上がる体躯は竜化の前兆。


『アあ。あの方のオかげで』

『はい。竜王さまのおかげで』


 その最中、夫妻は自我を振り絞るように、心の底からの願いを汲み上げる。

 それは純粋で純真で単純で明快な、たったひとつの愛。


『『おかげで最期に、まだ愛娘あのこを守れる』』


 神器が眠っていたドームの壁や天井を破壊して、本来の姿へと変化した二体の竜が渾身の叫びを上げる。

 同じ竜種でさえ耳を塞ぐような、心身の余命を全て捧げる大咆哮。完全竜化した二体が真銀の陣営と竜王の陣営とを分断するように重々しい音を上げて屹立する。


『征くぞ。竜王様がくださった今生最期の灯火だ。全て賭して、…!!』

『もちろんですとも。……ああ、ティマリア様、でしたか』


 先んじて飛び出した雄竜を追いかける寸前、穏やかな声で呼ばれたティマリアは次々と落ちてくる瓦礫からメティエールを庇いつつ顔を上げる。


『差し出がましいことは承知。ですが、どうかその子を。私達の、宝物を…』

「―――あい、確かに承った。貴殿らに代わり、我が身命を以て必ずや守り切ることをここに誓う」


 ドームが崩れいく中、最後にその厄竜がなんと呟いたのかは聞こえなかった。

 ティマリアがぺたんと座り込んだままのメティエールを抱え上げる。

「っ!?やだ、離して!だってまだパパが、ママがっ」

「聞き分けろメティエール!お前の父母は、己の全てを使ってこの時を稼いでくれている。わからんか!?これがどれほどの奇跡であるかを!!」

 

 ティマリアはこう言ってメティエールを諭そうとした。

 我ながら酷いことを言ったものだと悔いる。あの時の言葉は全て、この場において覆された。

 まだなんとか瓦礫に埋もれず残っている、ドームの出口へとメティエールを抱えたまま炎のジェットを用いて飛び出す。

「死骸がそう想ったのだ。死んだ命がここに戻ったのだ。…亡くしたことは覆らずとも、お前の!…お前のパパとママは、死したあとの最期まで、お前の両親として愛に生きたのだぞ!!」

「…っ」

 瞳が潤む。線がぼやける世界がぴたりと止まる。出口手前で立ち止まったティマリアが、振り返って必死の戦闘を行っている二体の竜へ向き直る。無言の火竜は最後の言葉を送る猶予をくれていた。

 泣きじゃくっているわけにはいかない。今言わなければきっと一生後悔する。

 嗚咽を噛み殺して、どうにか紡ぎ上げた二言。


「ありがどう!!だいすぎだよ!!」


 もう声は応えなかった。圧倒的戦力差の真銀陣営を前に一歩も退かず戦い続ける父母の背は、それでも何故か震えて見えた。

 歓喜、離別。如何様にも捉えられるその震えをしかと見て、最大限の返答と受け取ったメティエールは今度こそティマリアの胸に顔をうずめて大声で泣く。

「……ありがとう、ございました」

 小さく強く呟いて、ティマリアはドームから脱出すると同時に猛り燃える竜の姿へと変わり地下世界の空を舞い飛ぶ。

 任務は失敗に終わった。失ったものは多い。

 ただ、それでも。

(生きている。私も、メティエールも!まだ終わりではない、まだ!!)

 命を繋いだ、この意味は大きい。




     ーーーーー


「フン。これじゃ悪者はこっちみてェだな」

 鼻で笑って、アルが両手に刀剣を構える。

 半壊し今なお崩れ落ちるドームの中で、真銀の一団は二体の厄竜と対峙する。

「…………」

「キツイなら下がってろエヴレナ。俺らで仕留める」

 きゅっと唇を噛んで顎を下げているエヴレナの頭をポンと叩き、アル含む総員が前に出る。

 エヴレナはそれでも彼らを追い抜き先頭に出た。

 神器たる剣を両手で強く握る。

「ううん。やるよ。わたしがやらなきゃ、ダメだから」

「そうかい。なら」

「援護はお任せを」

「満身創痍ではあるが、今の貴公がいれば不足は無し」

「ええ、はい。信徒として、愛深き竜へ祈りを捧げましょう」

 竜としての覚醒を経た真銀の少女を支えるように四名が並び立つ。

 毒の竜は吼え、挑み。


 そして完全に息絶えるその時までを精一杯に、全力で、生きた。







     『メモ(information)』


 ・『火刑竜ティマリア』、『疫毒竜メティエール』、古代都市を離脱。撤退。


 ・『真銀竜エヴレナ』、

 神器『神竜の剣』を取得。

 〝聖なるブレス〟が〝神聖なるブレス〟へと強化。

 〝神竜のカリスマ〟が〝秩序の祝福カリスマ〟へと昇華。

 新たなスキル、〝真銀の眷属〟を獲得。

 以上の変化は当該項目にて追記。


 ・『厄竜化』した疫毒竜二体、古代都市にて完全消滅。

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