VS 狂瀾竜デイジー
「あら?」
暴風の中をワインレッドのドレス姿が舞う。竜化状態のシュライティアに対し、狂瀾竜デイジーは人化形態で交戦していた。
基本的に竜種としての解放出力は竜化と人化では段違いだ。様々な利点の多い人化形態であれ、単純なスペックのぶつけ合いになれば竜本来の姿を前に拮抗できるほどではない。
だというのに竜化シュライティアが未だ悪竜を倒し損ねているのには二つの理由があった。
シュライティアの疲弊が大きく出力低下が激しいこと。そもそもデイジーが本気で倒そうとせず回避と迎撃にばかり逃げていること。
この悪竜は負けるつもりこそないが、おそらく勝つ気も無い。
ドレスのスカートを押さえ、刃に転じた突風をバックステップで躱したデイジーが何かを感じ取ったようにふと顔を上げる。
「随分と頑張ってますこと。てっきり、最後まで生き残れるのは
『何を言って…』
期待していない返事を待つより前にシュライティアも言葉の意味を知る。
たった今まで自分の操る大気の風切り音で耳に入っていなかったが、自分達が入って来た大扉が盛大に砕け散り火炎が噴火のように伸び上がる光景と轟音。
あの場を受け持っていた仲間が征したのだと確信し、竜の面が凶悪に笑む。
『成程。では我も、ここで足踏みしているわけにはいかんな』
自身の周囲を鎧のように風を纏い、一撃の重みに重点を置いた重装ならぬ重風形態を取る。
「ふふ。お仲間に叩かれて満身創痍の
言葉で乱し、悪竜としての力で精神を揺さぶる。あの女の詐術めいた台詞回しは聞き飽きた。
『ああ、するとも』
翼から伸びる風の大刃を振り落とす。
『だがそこに貴様の存在は必要無い!』
「そうですか、残念」
この悪竜は遊んでいる。そもそもこの地下における神器を巡る戦いにまともに参加していない。
盤上を掻き回し、盤内が荒れることだけを目的に暗躍する悪趣味極まりない竜種の面汚し。
それが悪竜という一族だ。
あらゆる意味で見逃せるものではない。
「うふふ…」
対するデイジーには余裕があった。
そもそも彼女がしたことは自前の能力で他者の欲望を解放したことのみであり、実質的な戦闘行為はほぼ行っていない。故に余力は十二分に残してある。
その余力で行うべきことは悪竜王の余興に障害となる存在を少しでも減らすこと―――ではなく。
(さて、いい加減に引っ掻き回しましたことですし、そろそろ頃合いですか)
悪竜王の配下たる狂瀾の竜は、あくまで戦況を乱すことにのみ傾倒する。
誰が勝っても文句は無い。誰が負けても愉悦は変わらない。
ただ一方的な勝敗では面白くない。互いに死力を尽くして死に物狂いで殺し合ってこそ、劇場は盛り上がるというもの。
デイジーはいわばその為の調節者。ハイネの観劇を彩る為に暗躍する黒子。
真銀・暗黒の両陣営はどちらも疲弊しきった様相を呈している。これでようやく天秤は釣り合ったと言えよう。
……もっとも、現在神器に一番近い位置にいる真銀竜がそれを手にしてしまえばパワーバランスは一気に崩れるだろうが。
(次はエヴレナ嬢を揺さぶると致しますか。未発達の精神、存分に乱して差し上げますわ)
暗黒竜に並ぶ竜種最高峰の存在とはいえ、その心はまだ少女そのもの。ほんの少し言葉を投げかけてやれば、容易にブレるだろう。その虚を突いて、修道女や風刃竜に行ったのと同じ悪意の楔を打ち込んでやればいい。
内心でほくそ笑み、デイジーは地上で存分に蓄えた悪意を竜巻のように巻き起こす。
それは狂瀾の奔流。悪意の記憶。直撃すれば精神は平静を保てないが、不可視のものとはいえよく目を凝らせば回避自体は簡単だろう。
あくまで煙幕代わりだ。こんなものでも、今の風刃竜であれば撒けるはずだった。
踵を返し巨大な建造物の間にある細い通路の先を目指す。
デイジーはどこまでも悪竜だった。
そのまま一目散に撤退すればよかったものの、彼女の悪竜としての本能が、どうしても風刃竜の憤慨に満ちた顔を見たくて仕方が無かったのだ。どうしようもなく、どうにもできない事態に直面した生物のなんともいえないあの表情たるや。悪竜一族にとってはフルコースの御馳走に等しい。
だから逃げ切る前にその様子だけでも見ておきたくて。ふと通路に逃げ込む前に背後を振り返る。
『…………ふ』
(…どういう、ことですの)
笑っている。
どう足掻いても届かない射程の先にある怨敵。一応は攻撃の予備動作に入ってはいるものの、明らかにデイジーが建造物の影に隠れる方が速い間合い。
もうどうしたって間に合わないのに。シュライティアは竜の面に小さな笑みを浮かべていた。
悪竜としての本能が招いた興味で一秒。理解不能な挙動に戸惑い二秒。
都合三秒の隙が、とある修道女の来襲による懐への潜り込みを見過ごさせた。
「……さま、が」
モルゲンシュテルンを振りかざし、シスター・クラリッサは小さく小さく、しかしはっきりと耳に届く呟きを漏らす。
「リア様が、私に、もっと!―――輝けと囁いているッ!!!」
利用するだけして放り捨てた悪意の駒が。その楔を仲間によって引き抜かれたこの世界屈指の信教者が。
全ての怒りと祈りを込めて全霊の一撃を見舞う。
「そぉい!!」
地面を穿つ渾身の鉄槌。それ自体はデイジーに直接は当たらなかったものの、地面を割ったことで噴出した爆炎が人化狂瀾竜の全身を呑み込む。
「くううっ!?」
火竜の力にも等しい、噴火に似た勢いで爆裂する炎熱にデイジーも思わず防御姿勢を取る。いくら竜種特効が無いにしても、これは純粋な威力だけで竜に傷を与えるクラスの大技だ。
だがそれでも、上位竜種を打ち倒すにはまだ足りない。
「ふんっ!この程度で、狂瀾竜が倒れると思って!?」
『だろうな』
声は横合いから。
全身の傷が開き、流れる血が大気に乗って朱色の爆風を練り上げている。
何故シュライティアが逃げるデイジーへ追撃を掛けなかったのか。
たとえ充分ではない威力だったとしても、障害物へ到達する前に風の斬撃を浴びせることは出来たはずだ。それをしなかったのは、ただ威力を蓄える為の時間が間に合わなかったから。
そしてシュライティアは一切の葛藤も逡巡もなく、ただ威力を蓄える選択をした。
逃げられる、という懸念を一切抱かず十全に力を練り上げた風刃竜の奥義は完成している。
竜が、人を信じていたから。
人と竜の信頼関係あってこその現状がここにある。
「…こんの、人間風情が。悪竜王様に捧げる為だけの、餌風情が」
静かに青筋を浮かべる狂瀾竜の竜化は間に合わない。人化で事を成せると踏んだ慢心が祟る。
「調子にっ、乗るなぁぁあああああああ!!!」
『歓喜しろよ、これが貴様が望んだ人と竜の
渾身の〝
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