タイムリミット


 『「ネガ」との結界戦闘は原則十分間を基準とし、それを越えた場合は増援を送る』

 これがネガへの対策として探索組が定めた方針である。

 誰が捕らわれることになろうと、それが何人であろうと、基本的には結界への追加戦力は投入しない。結界に引き込まれた者だけで対処することが最善だからだ。

 けれど、ネガ結界内が特殊なルールと法則で縛られている以上誰であっても敗北する可能性はありうる。

 だから結界内で『ネガ』の撃破が難しいと判断した場合には時間稼ぎをすることが共通認識として共有された。その目安が十分。

 これを越えた場合、外にいて尚且つ戦力として余裕のある者がその結界へと突入することで元いた人員と協力して結界を破壊する。

 逆に言えば、誰であれ結界に呑まれた時点でどうあっても十分は凌がねばならないということ。他の戦力が投入されるまで逃げ続けなければならない。

 おそらく、現在のロマンティカはそういう状況にある。




「…………」

 いくつもの巨大な塔や建物が立ち並ぶ古代都市。その中でもドーム状の建物が目視で確認できる位置。

 そこが戦闘区域の中でもっとも熾烈で苛烈な戦場となって荒れ果てていた。

 しかし今や自重を支えきれなくなった建物が崩れ落ちる音以外には何も聞こえない。

 倒壊した塔の瓦礫を布団のように積み重ねたまま身動きひとつしない竜。体躯の五倍ほどもあるクレーターの真ん中に沈む竜。

 どちらも四肢のいずこかが損壊し五体不満足の状態となった二体の厄竜が沈黙している中、紫電を弾けさせながら槌を地面に突き立てた女が小さく息を吐く。

 雷竜ヴェリテ。その揺るぎなき武力、確たる信念が一体でも手を焼く厄竜を二体同時に相手取り、勝利を手にしていた。

 だがさしもの黄金竜とはいえど無傷とはいかず、そして相手は厄に呑まれ本来の性能から数段階も上の力を引き出されている疫毒竜。少しの手傷から蝕む毒素が次第に竜の身体を軋ませていく。

(じき十分。……行きますか)

 それでも休むことはなく、寄りかかっていた槌を担ぎ直してヴェリテは空間の揺らぎを見据える。

 エヴレナが呑まれそうになり、そしてロマンティカが割り込んだ結界の入り口はまだ移動せずその場に存在していた。

 ちょうど厄竜二体との交戦も終わり、ほんの少しだけ息を整える時間も得た。どの道自分にはあまり時間が残されていない。こちらから跳び込んでロマンティカの解毒鱗粉による治療を受けた方が都合がいいだろう。

 自由が奪われつつある肉体を叱咤激励し、痺れる足を前に進めた時。

「ヴェリテ!」

 靴底を滑らせながらスライディング気味に地面を勢いよく滑走してきたディアンの声に動きを止める。

「ディアン。……と、シャインフリート…これは」

 少年の両腕に抱えられたままひゅーひゅーとか細い呼吸を繰り返す同胞を見て瞬時に理解する。自分と同じ、毒による症状。それも重度のものだ。

「時間がねえ!ロマンティカはまだあの結界ん中か!?」

「ええ。これから助太刀に参ろうかと思っていたところです」

「俺も行くぞ!急がねーとこいつが死ぬ!」

 早口で捲し立てるディアンの言う通りなのだろう。顔色は蒼白、発汗は異常。呼吸器系もまともに働いているようには見えない。

 竜種でも長くは保たない重症だ。

 ヴェリテは小さく頷く。

「…わかりました。ではディアン、この場は任せます」

「ああ…!?お前は!」

「貴方がいれば事足りるでしょう。さらに十分動きがなければ私も入ります」

 ふらりと上半身を揺らして、ヴェリテは足の向く先をドーム状の建物へと変える。

 『ネガ』への追加戦力は逐次投入すべきである。一人の参戦で撃破出来ればそれが次善であり、それでも無理ならばさらなる追加投入。

 一つ所に何人もの戦力を纏めておくほどの余裕はこの陣営には無いのだから。

「私はエヴレナのもとへ。まだ安全とは言い難い状況ですからね」

「つったってお前も…毒が回ってんだろうが」

 やや覚束ない足取りと顔色を見てシャインフリートと同じ症状と判断したディアンが引き留めるも、振り払われる。弱っていても力は竜のそれなのだ、人間が力づくで止められるものではない。


 二人が会話しているすぐ近く。『ネガ』の結界内。

 時間の流れが曖昧になっているその内で、妖精は奇妙な状況に目をぱちくりさせていた。

「えー……っとぉ」

 外での懸念とは大きく逸れ、ロマンティカは現在それほど危機的な場面に陥っているわけではなかった。

 ふっかふかの椅子にちょこんと腰掛け、大きな丸テーブルに広げられる茶菓子とティーセット。湯気の立つカップからは良い香りが鼻孔をくすぐる。

 歓待された風呂敷の中で、なんともいえない笑顔を浮かべるロマンティカが小さく呟く。

「……ぃ……いただきます?」

 対面の椅子に縛り付けられた、女の子を模したぬいぐるみ。それが少しだけ微笑んで見えた。

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