VS 疫毒竜メティエール (後編)


 一つの大きな塔を巻くように下層から上層へと翔け上がっていくシャインフリートの後方から密度と濃度が飛躍的に上がった毒の投擲を繰り返すメティエールが追跡する。

 変色を始めた胸の傷が熱を持ったように熱く疼く。風邪に似た症状に併せて込み上げる嘔吐感と眩暈が意識を濁らせていく。

 放射状に伸びるブレスをすんでのところでなんとか回避し、さらにシャインフリートは翼を駆動させて空へと昇る。

 チャンスは一度切りだ。何度も挑めるほどの体力は残っていない。

 ポイズンアーティストによって生み出される毒の砲弾を、飛び続けながら周囲に発生させた光弾を射出しノールックで撃ち落とす。

 飛翔しながら攻防を展開する両名はやがて塔の頂上付近まで高度を上げていた。ふと鼻先に当たった水滴にシャインフリートが疑問符を浮かべた。

(地下なのに、雨が…?)

 そんなわけはないとぐらつく頭で考えようとしたとき、全身を襲う虚脱感に思わず翼の動きが止まる。強烈な倦怠感。回る毒の影響が一気に押し寄せたように感じた。

 懸命に力を入れ直した翼で落下を防ぐも、勢いを増した雨の雫が竜の身体を濡らした。途端にますます毒の効果が顕著になっていく。

 勘付く。これはただの雨ではない。手あたり次第に放り投げているだけに見えていたメティエールの毒物は全て上空に打ち上げられていた。それらが空中で爆ぜ、散開し、塔の周囲を青黒く赤黒く染めている。

(毒の雨ポイズンレイン…!!)

『とったッ!』

 毒の雨滴を全身に浴びたシャインフリートが対処に回るより早く、竜化メティエールが飛び掛かりその腹部に噛みついた。

 振り払おうと身じろぎするも既に遅く、その口腔から練り上げられた高濃度の猛毒ブレスが放たれる。

 ゼロ距離直撃。毒の咆哮に呑まれ押し上げられたシャインフリートの体躯がみるみる内に毒に侵され不気味な色合いに変色した。

 ぐるりと白目を剥いた光竜が脱力したまま空中で一瞬留まり、そして重力に引かれるまま落ちていく。

 その様をただ見送ることもなく、メティエールは完全にトドメを刺すべく翼を畳んで垂直にシャインフリートへ追撃を掛ける。


 混濁していく視界と思考。もはや上も下も分からぬままに、自分が今どうなっているのか知ることも叶わない。

 死ぬのか。ここで。

 シャインフリートの胸中にあるのは死への恐怖…ではなく、己の役目を全うできないことへの悔恨。

 神器へ至る為の障害を止めるのが、自分に与えられた貴重な役割だった。それを果たせなければ、ここにいる意味がない。

 意味を、成す。

 ここで死んでもいい。けれど、成すべきことは成さねばならない。


 カッと瞳に活力を取り戻した光竜が余力全てを注ぎ込んで翼を広げる。落下速度が軽減されたことで垂直落下してくるメティエールとの距離は自然と縮まった。

 メティエールには勝利の予感があった。ここからの逆転などありえるわけがないと思い込んでいる。それが若輩故の経験不足であり慢心となった。

 何をしてこようと問題ない。もう一度特大のブレスを叩きつけて今度こそ毒殺する。

 翼を広げて敵の突撃を招くように四肢を伸ばしたシャインフリートへと、受けて立つようにがばりと口を開いた。

 毒液が体内器官からブレスとして放たれる数瞬手前。

『〝光域光明リヒト・レギオン!!〟』

 全ての体力を光に換えて、浄光竜の全身が太陽のような光量で古代都市を照らした。

『えっ―――くぅっあぁあああ!?』

 間近にいれば皮膚すら焼ける大発光。何よりそんな光を眼前でいきなり受けた生物の視覚など容易に潰される。戦場となっている古代都市自体が暗闇の世界であったことも後押しして、即興の目眩ましは最大の効果を伴って疫毒竜の網膜を焼いて一時不全にした。

 ブレスを吐く余裕すらも無くし空中で身悶えするメティエール。その首元へと、仕返しのようにシャインフリートの噛みつきが炸裂した。

 竜種の咬合力で鱗が罅割れるほど強く牙を突き立て、決して外れないように噛み締めたまま。

 シャインフリートは地上へ向けて翼を羽搏かせ、敵もろともに錐揉み落下する。

 視覚を失ったパニックでメティエールの抵抗も僅かなもの。出せる速度で最大のエネルギーを捻出しながら繰り出された飯綱落とし。

 しかし自らも直前で離脱する体力は残されておらず。二頭はまったく同時に地表へと墜落し盛大に土煙を巻き上げた。




     ーーーーー


「ごっほ、ごほっ!……ぅ、うう…」


 片手で目を押さえたメティエールが煙の中で呻きながら立ち上がる。

 凄まじい落下の威力でダメージを負ったことで省エネモードでもある人化状態へと切り替わった。ごしごしと両目を擦り、ようやく少しだけ戻った片目の視界が煙の晴れた地上を映す。

 その先、うつ伏せに倒れるシャインフリートがいた。こちらも無意識で行ったのか人化している。

 ビクビクと痙攣する身体。あれだけの毒に侵されれば身動き出来なくなって当然だ。むしろ最後のあの動きは一体どこから出した力なのかが不思議でならない。

「なん、なの……あの真銀竜といい、この光竜といい…」

 出所不明の力に思わず身震いする。勝利したはずなのに、得体の知れない敗北感を覚えさせられていた。

 生かしておいてはならない。殺さねばならない。

 何か、竜種というだけでは説明のつかない何かを秘めていることだけは今のメティエールにもわかった。放置していても死ぬ怪我と毒ではあるが、もし万一にでもこの瀬戸際を乗り越えることがあれば、この光竜は間違いなくさらに強くなる。

 ふらつきながらも手の内から毒のナイフを生み出して一歩踏み出し掛けたメティエールが、肌に感じる気配を前に逆に一歩後退る。

 完全に煙が晴れ切った時、さっきまでは見えなかった影がひとつ、シャインフリートの傍に立っていた。

 片刃の剣を鞘から抜き放ち、少年は顔を伏せて倒れるシャインフリートの容体を確認していた。

「ッ……ニンゲン!」

「―――…」

 噴出する殺意を受けても、その人間はまるで反応を示さなかった。しゃがみ込み、毒で死にかけている仲間を抱え起こす。

 それ行為が、メティエールの存在を無視しているように思えて無性に気に入らなかった。人間が、人間風情が。

「なにしてる。どこ見てるの!弱くて意地の悪い劣等種が、なにを」

「テメエの相手はあとだ」

 有無を言わさぬ言葉がメティエールの激昂を遮る。

 一度だけ向けられた、その冷えた瞳に底なしの敵意を見て。

 次いで振るわれた剣の一閃を避け切る刹那を奪われた。


「失せろ、負け犬」




     ーーーーー


 瞬間的に励起させた刻印術を用いた斬撃。塔を二つほど両断した飛斬の衝圧が通過した先、いくらかの手応えを得たはずの竜は姿を消していた。

 仕留め損なったことに心底からつまらなそうに舌を打つ、剣士ディアン。そんな彼を諫めるように肩に乗ったリートが声を掛ける。

「深追い無用!今は敵を追うより大事なことがあるでしょ!」

「わかってる!くそ、どう見ても無事じゃねーよなシャインフリート…っ」

 滝のような汗と肌を染める毒色に命が風前の灯火となっていることを悟る。怪我の治療よりも最優先すべきは解毒。

 だがそれが出来る妖精は今ここにいない。

「ロマンティカんとこに急ぐぞリート!!『ネガ』の結界を探す!!」

 現在いずれかの結界に囚われている妖精レディ・ロマンティカの解毒鱗粉が何よりの頼りだ。急ぎその結界を見つけ、場合によってはシャインフリートごと結界内に跳び込む。

 死にかけの光竜を抱えたまま立ち上がり、ディアンとリートは異界へ繋がる情念の怪物を探して走り出した。

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