VS 幻妖狐トラン(後編)


 無人の劇場を段々に囲う無人の観客席。いやより厳密には、そこには二人の少年の姿があった。

 片方は己が力によって光を放つ仔竜シャインフリート。

 片方は。

「―――お、前が」

 無意識で足が一歩退く。

 話には聞いていた。今現在この世界を危機に陥れている元凶がひとつ。悪意の竜。

 確かに、それに納得のいくだけの負念を感じ取ってはいた。

 まさか地下遺跡を探索するという任務の最中に遭遇するなどとは夢にも思わなかったが。

「悪竜王、ハイネ…!」

 名を呼ばれ、長きを生きる少年姿の老翁は嫌々と首を振るった。

 遭遇とは言ったものの、このハイネは実際のところ幻影だ。この場所とて同じこと。

 ただ妖狐の恐怖に当てられた状態のままシャインフリートが行った浄光の注入によって、内部に巣食う悪意を伝って意識のみを接続させたに過ぎない。

 いわば精神世界。妖狐の視界を通じて享楽を貪っていた悪辣な王への殴り込み。

 悪竜王ハイネの表情にあるのは怒りではなく呆れだった。

「劇の最中に舞台から跳び出す者があるか。それも端役が、よくも儂の前に現れられたものじゃの」

 無数の客席のひとつに腰掛けるハイネを見上げる形で、シャインフリートは拳を握る。精神世界故か、現実に受けた傷は全て消え失せていた。

 開いた手の内から短剣を取り出し切っ先を向ける。

「あの子を解放しろ!お前の退屈しのぎに巻き込むな!」

「吼えるな、小童」

 有無を言わせぬ力強い言葉と共に劇場が崩壊する。崩れた足場は黒く淀み粘ついた汚泥となってシャインフリートを足元から染め上げる。

「う、わっ…」

「気炎を揚げても所詮はその程度。劇中劇であらば付き合うのも一興かと思うたが、木っ端が相手では乗らぬも道理よ」

 漆黒の中で客席に座すハイネだけがはっきりと輪郭を保っている。膝まで黒色に埋まり、思考を明滅させるは害意の奔流。

 理解した。あの子狐の自我を喪失させ意のままに操っていた力を、今度は邪魔立てしに来た光竜へと施そうとしている。新たな駒とするために。

く染め墜ちろ、悪意の奈落へ」

 まともに相手する価値もない。無感情な瞳で見下ろすハイネを睨み据える両目が昏く濁っていく。






 ねえ?シャインフリート。


 凍えそうな寒さと暗闇の中で、見知った最愛の声が響く。

(―――かあ、さん)


 ね。あなたはどうしてそこにいるの?何があなたをそこに導いたの?


 そんなもの、決まっていた。

(母さんの。グリムガルデの隣に立つ為に。強さと経験を得る為に。僕は、貴女に見合う男になる為に)

 暗闇の中で、一際暗いシルエットが小さく首を振るう。


 駄目よ、男の子ならきちんと答えなくちゃ。私に見合う男の子は、一体どんな子なのかしら?


 それも、明確な目標はあった。

 自分は弱い。だから強くなりたかった。

 一騎当千の剛力。

 勇猛果敢な気概。

 万夫不当の武威。

 分かり易い強さはもちろん欲しい。けれど。弱い自分は弱いからこそ、弱いものを助けられる強さを一番に求めていた。

 小人を守る為に巨人に立ち向かえる勇気つよさを。

 たとえ愛する者の為に揮える力ではないとしても。

 誰かの為に使える光を、少年は欲していた。

 女性の影は柔らかく微笑む。


 正解。それが私の大好きなあなた。それがあなたの行き着く極致。


 さあ、と。誘うように影の女性は手を差し伸べる。

 もう少年に迷いも惑いも無かった。

 恐怖も悪意も、全てを照らして迎え撃つ。






「…ほう」

 精神世界全てを喰らった悪意の闇の中で、線香花火のように儚く消えかけていた光の粒。それが急速に熱を取り戻し奈落の底から吹き返す。

「何が悪意だ。何が、舞台だ」

 暖色の光に包まれて、汚泥を消し飛ばしたシャインフリートが決意に光る双眸を向ける。

「お前の脚本シナリオなんかお断りだ。『絶望』も『悪意』も、僕達が討つ。いくらでも書き換えてやる、何度だって!」

 橙色の光は闇を呑み込み、最後には悪竜王の姿を照らし焼いた。


「お前に見せるような演劇はここには無い。前座かませが」


 太陽の如き強力な光に焼き焦がされていくハイネはもちろん実体に影響されない。この場は主導権を奪われたが、あの翁への肉体的なダメージは皆無だ。

 あくまでも、肉体的なダメージはだが。

「く、クハハッ!!…いいじゃろう。恐れを知らぬ蒙昧無知な餓鬼が。この世のありとあらゆる責め苦を味わわせた後、儂が手ずから殺してくれる」

「……」

 応じず、シャインフリートは光の熱波で精神世界のハイネを最後の一欠片まで焼き尽くす。

 憤慨と愉悦の間で揺れる曖昧な哄笑の中、最後にハイネの呟きが聞こえた。


 ―――駒はまだある。精々踊ってみせるがよいわ。


「…いいよ。どっちが先に参るか、体力勝負といこうかお爺ちゃん」

 なるべく憧憬の対象にしている彼ら彼女らに寄せた口上で返し、シャインフリートは踵を返す。

 役目を終えて薄らんでいく、光に照らされた心の世界に、既に闇の影はどこにもありはしなかった。




     『メモ(information)』


 ・『幻妖狐トラン』、『悪竜王ハイネ』の呪縛より開放。


 ・『浄光竜シャインフリート』、スキル〝この光は、誰が為にFür wen das Licht scheint〟を獲得。




   〝この光は、誰が為にFür wen das Licht scheint

 『自分以外の(グリムガルデを除く)誰かの窮地』を発動条件として起動する能力。

 〝僕の力は、貴女のためにDiese sind richtig Licht〟に比べ出力は劣るものの、想う力が強ければ強いほどにその能力は底上げされる為、状況次第ではこの能力を上回る性能を発揮する場合もある。

 基本的には〝僕の力は、貴女のために〟の下位互換だが、心の成長に合わせ強化され、グリムガルデ以外に対しても発動可能である為に汎用性自体は高めとなっている。

 また、

 ・元々の光竜としての闇(負感情)への対抗能力の高さ。

 ・幻妖狐トランを介した精神世界への到達によりトランの持つ『抗体』と『属性術』の能力が一部付随した。

 以上二点の要素によって本能力は『悪竜特効』を有する。

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