VS 幻妖狐トラン(前編)


 強襲と同時に灰色の霧を展開させた子狐の姿は元々のすばしっこさもあって中々捉えられない。

 それどころか、シャインフリートは自身の心が明確に弱っていく感覚に苛まれていた。

(同じだ、あの時と!精神干渉系の能力を持ってるな…!)

 セントラル地下道で初遭遇した際、シャインフリートは件の子狐から直接この干渉を受けている。そのせいで一時的に我を見失うほどの恐怖に見舞われ無意識的に竜化して暴れた上に地下道を崩落させてしまった。

 口の中に広がる苦いものを噛み締め、仔竜は子狐へのリベンジに臨む。

「あァ、あはっ♪わかルよ、キミも怖いンだよね!だから……そうだから、ぼくと、同じ……くっ、アァアあああああ!!」

 だがそんな心意気のシャインフリートも相手の並々ならぬ状態を前に戦意を揺さぶられる。

 何か、普通じゃない。子狐に纏わりつく瘴気は彼由来のものではなく、それはまるで不可視の責め苦を受けているようにすら見えた。

「……ねえ、君。もしかしてほんとは」

「うぅうあうああああああああああああ!!!」

 回避の為に運んでいた足を止めるや否や、シャインフリートの声も受け付けず子狐は瘴気と霧を全方位へと拡大させ、それらから無数の魔物を生み出した。

「これは…!?」

「行け、やっちゃえぇ!!」

 手の内の光から短剣を呼び出し、少年の身体から放たれていた発光が強まる。臨戦態勢を確立させ、四周から襲い来る魔物に備える。

(召喚術の一種?いやでもそれにしては早いし多い!こんな手軽に使える術ではないはずなのにっ)

 グリムガルデから聞いたことはあるにしても、それにまったく見合わない召喚速度、そしてありえない魔力負担。あの小さな子狐からはそれだけ莫大な魔力は感じ取れなかった。

 カラクリがある。

「ふっ!」

 飛び掛かる四足の獣の歯牙を躱しつつすれ違い様に一閃。刀工鍛師たる妖魔アルの手製による短剣『極光』は光竜としての性質を乗せた上で信じられない切れ味で獣を両断した。

(すごい、握ってるのにまったく重さを感じない。自分の身体の一部だからって話だったけど、ここまで…)

 実際のところは爪を伸ばして戦うスタンスとほとんど違いは無い。巨大な戦槌を軽々振るうヴェリテとて、純粋な膂力や腕力で扱っているわけではないのだ。

 己が肉体。手足を動かすと同義。ただ自身の骨肉を武具として手の内から扱っているだけなのだから重さを感じるはずもない。

 これが竜種人化形態としての利点。強大な竜の力を人型に収めコンパクトにし、人の文明を模倣した武具を己の肉体から編み上げる。

 被弾率軽減、能力運用効率化。人化はただ過ごしやすいからという理由だけで生み出された技術ではないのだ。

 ただ。

「……っ?」

 それにしても、

 より厳密には仕留めた感覚があまりに希薄だった。薄紙を切った程度の手応えしか無いのはあまりにもおかしい。

 横目で仕留めた四足獣を一瞥すると、既にその姿は霧散していた。

(幻覚!)

 そうと判明しても、シャインフリートは鬼気迫る怪物の軍勢を無視することは出来なかった。たとえ刺さることなき爪牙だったとしても、いざ間近まで迫れば反射的に迎撃してしまう。

 角の生えた悪魔の殴打を回避して一撃を見舞った時、背中に軽い衝撃を受けた。

「えっ?」

 次いで背面に走る痛み。背を濡らすものが自身の血液であると気付き、斬られたのだと行き着く。

(馬鹿な、これでも僕だって竜種の一角だ。……どうして、あの子が僕を傷つけられる?)

 竜の表皮は人化竜化に関わらず相当の硬度を有している。少なくとも子狐が引っ掻いた程度では擦過傷の一つも作れない。

 どうやら何らかの能力で自身の姿を透明化させて幻覚の怪物達に紛れていたらしい子狐がシャインフリートの後方から現れる。だがその姿は奇妙であった。

 子狐の前腕部のみが、異常なまでに肥大した長い爪を持つ剛腕と化している。

 鱗を纏うその腕を見て、シャインフリートもようやく子狐の能力の一部と傷を与えた謎の解に至る。

「…変身能力!のかっ…」

 竜の外殻は竜の力でなら突破できる。竜種特効とは基本的に同じ竜の素材から造られた武装に付随する力だ。

 もしそれを模造することが可能なのなら。いや出来るのだろう。こちらの陣営にだって、鱗を用いて刀剣に加工する力の使い手はいる。

「あっは!アハハはは!!ネえ!キミもぼくと同じ気持ちニなろうよ!!」

 背中の傷口から何かが沁み込んでくる。これは悪意か、あるいは瘴気の類か。

 直接的に体内へ取り込んだ悪影響はすぐに出た。全身総毛立ち、ガクガクと勝手に震え始める。

 覚えがあった。この子狐に最初会った時と同じ、精神への干渉。嗤いながらも泣く子狐の抱える恐怖と同期している感覚。

 根源にあるのは死への恐れ。悪逆に染まる意識への忌避。

 死にたくなくて、苦しい目に遭いたくなくて、仔は子のままに精一杯に足掻いていた。


「ハハ、アハハハははは!!死ネ!壊れロ!!みんなミンナ、いなくなれッ!!」

 いやだ、いやだ。しにたくない。だれか。

 ―――たすけて。


「っ!!」

 同じ感情、同じ恐怖、同じ悪意に同期した瞬間。

 小さな子供の、小さな声を聞いた。

 手に握る短剣を自らの腕に突き刺す。声の限りに叫び、恐怖を痛覚で黙らせる。震えて動けなかった四肢にようやく力が戻る。

 走り出した。

「…なっ、ナんで動ける!?怖くテ仕方が無いクセにっ!!」

 驚きに目を瞠りながらも、その挙動は早かった。灰色の霧、足元は泡立ち、幻影の怪魔が真正面から殺到する。

 腹を括り、手をかざす。

「やあっ!」

「っぐぅ…!?」

 浄光竜の能力がひとつ。〝光域光明リヒト・レギオン〟の最大出力。

 その光は幻覚を照らし打ち消す。だが本命はそこにない。

 

 普段から薄暗い地下空間での急激な大発光。思わず目を覆った子狐もしばらく視力は取り戻せない。

 シャインフリートは走る。獲物の短剣は腕に突き刺さったまま。無手で走る少年竜に出来るのはブレスか、光弾か。あるいはその無手で獣を絞め殺すのか。

 何れも非ず。

 トン、と。至って軽い音だけが光のあとに続き。

「―――え?」

 小さな狐の仔を、竜の仔が抱き締めていた。

「…………、っ!!」

 途端、全身を裂くような痛み。心が壊されそうになるほどの負の感情が内部で暴れ狂う。

 だが離さない。倒すべきはこの子狐ではない。

(誰だ。戦いたくない子を戦わせて、嗤っているのは一体誰だ……!!!)

 同期したということは。その一端に触れたということ。

 子狐を介して、この悪意の大元を辿る。

 シャインフリートの身体から放たれる光量が最大まで高まり、そして。

 そして。






「―――なんじゃ?仔竜コマ風情が。身の程を弁えず観客席へ上がり込むかよ、道化」

 悪逆非道の竜翁りゅうおうは不快気にそう吐き捨てた。



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