隔絶の混戦
引き摺り込まれた先は五感を狂わす悍ましき異界だった。
殺風景な灰色の景色のそこかしこに見えるのはゴミ処理場らしき施設。しかしそんなものよりも目を引き鼻を封じ耳を劈くのは蠢く黒色の塔。
幾千幾万、あるいはそれ以上の羽音を重ね、積み上がる蛆と蠅の群体。それが見渡す限りに聳えていた。
着地と同時に落雷と斬撃がそれらを何十と消し飛ばすも、数えきれないほどの蟲達はまったく勢いを衰えさせない。
「ディアン。無事ですか?」
「長くは保たねえ。
嫌な汗をじとりとかくディアンの感覚器官は早くも異常をきたし始めていた。無理もない。まともな精神性を持つ人間であればこの腐臭と異音は正気を削るに充分すぎる。
「では早々に脱出するとしましょう。他の皆のこともありますし」
『『腐乱』のゴーン・オフ。その性質は「愚直」。腐り果てた魂魄はただただ動くものに集る。ただそれだけの、ただそれっぽっちの存在さ』
聞いてもいないのに、またもやいつの間にか現れた白ウサギが『ネガ』の正体を示す。
ウサギの視線の先にある、一際大きい球状の蠅を見据える。
「あれですね」
言うが速いか、迅雷が奔る。
帯電したヴェリテの吶喊を受けて、大きな力も持たない蠅の王は雷撃のもとにその身を四散―――させることなく。
無数の蛆と蠅を流動させて雷を受け切って見せた。
バスケットボール大の蠅の腹部には蠢く黒色の中でさらに色濃く刻まれた奇妙な矢印が見え隠れしている。
「…どうやら、先程の『
「厄介な『ネガ』らしいな、クソが」
「ねえ早く出よう?可愛いカナリアちゃんの羽根が蛆の体液まみれになっちゃうからね!?」
敵性を認めたのか、『腐乱』は結界内全ての蟲を総動員してたった二人の生命体を食い散らかさんと全方位から蛆蠅の雪崩を差し向けた。
ーーーーー
セントラル市街に匹敵する(あるいはそれより広い可能性のある)地下遺跡を、唯一無事に降り立ったのは竜と妖精の一組。
しかし、無事で済んだのは降り立つまでの間だけだった。
「シュー!」
「竜王の手先……か」
広大な地下空間を風の力で安全に降りたシュライティアと、落下途上で拾われたロマンティカを囲うのは十数体の竜種。
それぞれに属性も種族も異なるそれらではあるが、皆が一様に理性を手放しているのは明白だった。
竜王の
(エッツェルめ、野生に帰した同胞を手勢に迎えたな。そして恭順を示さねば殺して造り変える…)
シュライティアは武に生きる為にこの世界に居残ることを選んだ竜だ。強さこそが全て。強きことこそが正義であるとしてきた。
だが強ければ如何なる非道も許容されるなどと考えたことは一度とて無い。
我ら竜種の王として頂点に座すべき器は、このような残虐な男ではない。
「強さとは武のみに非ず、というわけだな。我らの王として戴くべきは、見上げるべきは、黒天ではない」
だが、それが銀天であるとも限らない。風刃竜はまだ一介の竜として見極めの途中にあった。
その答えに行き着くのはそう遠い未来ではないと半ば確信じみたものを感じつつあるが、今思考を費やすべきはそれではない。
抜き掛けた双剣をしまい、一呼吸の内に本来の竜としての姿に戻る。これだけ広い空間であれば、そうそう暴れたところで崩落はしまい。
暴風が身体を取り巻き、すぐ傍を飛ぶ妖精の周囲にも吹き荒れる。
『レディ。我が風の圏域から出ぬよう』
「う、うん。…でもシューだいじょうぶ?すっごいたくさんいるけど…」
竜化したシュライティアが、ロマンティカの懸念に牙を剥いて笑い返す。
彼はこの事態に高揚していた。勝てるかどうかではないのだ、問題は。
竜王によってブーストされた同胞達。曲がりなりにも強者達との戦闘を前にして、この男もやはり己の本能を押さえ切れずにいた。
『…来い!!』
吼える風の咆哮が竜都を揺るがす。
「あっは!」
風化した古塔の縁に腰掛けてその激闘を遠巻きに眺めていた少女が悪辣な笑みを浮かべる。
「
悪意に満ちたその視線は、中空を暴れ回る風刃竜にのみ向けられていた。
ーーーーー
「はハッ!ホラ、ほら!遊ぼウよ!壊レるまで!!あッハハははは!!」
あれだけ怯えていたはずの妖狐が強襲してきたのとほぼ同時期に、シャインフリートはずっと抱えていた違和感の正体にようやく気付いた。
(そうか…そうだ!まずい、僕の、僕のせいだ!どうして気づかなかった!!)
時空竜戦以降の短い付き合いでしかないが、それでも彼と共に寝食を過ごしたことで知っていたこともある。
シャインフリートが焦燥に駆られながらも妖狐との戦闘を開始した頃。
「…………。ふざけるなよ、劣等種」
炎壁に囲われた戦場の中央で、女火竜は口元を静かに震わせる。
四周の炎よりも燃え滾る激情に任せ、今だけは消え去ったメティエールのことすらも忘れて叫ぶ。
「どういうつもりだ貴様。何故全力を出さない!!」
その言葉が聞こえたわけではない。だがシャインフリートは炎壁の外側でその答えを心中でのみ明かしていた。
(アルさんは今、全力を出せない……!!)
炎の只中、瓦礫に埋もれ。
「―――ハッ」
鮮血に染まる妖魔は仰向けに倒れたまま小馬鹿にするような、自嘲するような笑いをひとつ、溢す。
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