お約束という名の (後編)
「おーおー、なんだよいいトコじゃねえか」
男湯に鐵之助が現れたのと同じタイミングで、女湯ではリヒテナウアーがやってきていた。
実のところ
本来であれば軍属の一人として鐵之助も入浴など後回しにするべきであるし、アンチマギアに至ってはシャザラックが居残ってせっせと船の修復作業に邁進していた。管理責任なぞ知ったことではない者達の振る舞いがここに集約している。
「…ライラック」
「だぁからリヒテナウアーだっての。私をそう呼ぶのはテメェと日向夕陽くらいのモンだぜ」
夕陽同様、未だ警戒心を露わにしているヴェリテが湯から立ち上がり剣呑な雰囲気を醸し出す。
「えーっと、ヴェリテさんとリヒテナウアーさんは、お知り合い…なんですよね?」
「ああ、よぉっく知ってるぜ」
「かつて、別の世界で殺し合った仲ですものね」
「あー……」
ギスり始めていた空気をなんとか取り持とうとして間に割り込んだあかぎも、その因縁が殺し合いにあるものと発覚するや否や諦観した表情で湯舟に戻っていく。
自分にどうこう出来ないのなら、あと可能性があるのはシスターエレミアくらいのものだが、彼女はバチバチと火花を散らす二人など知らん顔で女児達と仲良く洗いっこに興じている。詰んだとあかぎは悟った。
「―――ハッ」
「―――ふふ」
露天風呂が交戦で吹き飛ぶことも視野に入れていたあかぎの懸念とは裏腹に、両者は睨み合った末にお互い笑い合って湯舟にちゃぷんと浸かった。
(あ、…あれ?)
「しっかし残念だったぜ、五撃目は私の役目だったのによぉ」
「まさかあそこで自傷行為に走るとは想定外でしたね。でもあの直後のリカバリーはたいしたものでしたよ。使い魔の再召喚とはまた負担の大きいことをよくもまあ即断できましたね」
しかもそのまま時空戦役の感想戦に入る。お互い、既に敵意も殺意も消失していた。
(うーん。……戦士って、わからないなぁ…)
まだまだ戦の経験が浅い少女あかぎには、この割り切り方は理解できなかった。
ーーーーー
「なんだと、覗きだ!?俺も混ぜろ俺も!」
案の定、堀をよじ登ろうとしている男衆を見つけた鐵之助の反応は予想した通りのものとなった。
四十を超える大人の男が、まるで子供のようにはしゃいでいるのをジト目で睨む。
「いい歳こいて恥ずかしくないのかアンタは」
「何言ってやがる小僧。どんだけ歳を取ろうが女体はいいものだろうが。特に、死ぬか生きるかの戦争を生き残ったあとはな!」
人は死にそうな目に遭うと子孫を残すべく性欲が増大するという話は聞いたことがあるが、おそらく鐵之助のような人間はそういった経験を嫌というほどに積んできているのだろう。戦争帰りの軍人はまず女を抱きに行くともいうし、それと同じ状態なのかもしれない。
「夕陽だったか?テメェもツラ見りゃわかるがそれなりに死を間近に感じてきた人間だろうが。なんで女の裸が見れる機会に見ようとしねえんだ」
無茶苦茶な理屈を真顔で通そうとする鐵之助だが、他のノゾキ組も同じような顔をしている。こうなってくると異常なのは自分の方なのではないかと不安が掻き立てられてきた。
(待て、じゃあなんで俺はこんなに性欲が無いんだ?いや違うだろそうじゃない。そりゃ魅力的な女性が目の前にいたら劣情くらい抱くのが男子学生の性だろ普通。え、普段から幸とは一緒に風呂入ってるけどそのせい?俺の三大欲求ってその程度で解消されてんの?)
「枯れてんだな。さては女に興味が無いソッチ系ってことか」
何の気なしに放った鐵之助の言葉に、夕陽の中の何かが切れた。
「……………………」
「ゆ、夕陽さん…?」
「おい…待てや……」
ザパァ…と波を立てないようにゆっくりと立ち上がった夕陽が塀に手を掛けていた男衆を呼び止める。
「―――俺も行くぞ。女性の裸体を覗きになァ……!!」
「夕陽さん!?」
最後の砦があっけなく破られたことに驚愕するシャインフリートが湯から上がろうとする夕陽の手を取って引き留める。
「正気に戻ってください夕陽さん!こんなの乗る方がダメですから!」
「シャインフリート。お前は、興味が無いのか?」
「えっ」
逆に手を引かれ、振り返った夕陽に両肩を掴まれる。その瞳はいつもの理性的な少年のものではなかった。少し血走っている。
「俺達とは違う、凹凸のある女性の肉体に興味はないのか?いやある。あると言え。でなきゃお前は男じゃねえ!」
「そこまで!?」
シャインフリートは己が貞操を捧げるべき相手をもう決めている。この生涯、竜生において彼女以外と交じることは無いと断言できるほどの愛を掲げている。
だがそれとは別に、興味があるのか、ないのか。そう問われれば答えは。
長湯しすぎたせいなのか、シャインフリートも最早まともな思考を保てずにいた。
「…わ…わかり、ました…。僕も行きます…」
「よし!!」
こうして男湯の総員が己の怪我も疲労も無視した強行軍を決行したのだった。
ーーーーー
「な、な。ちょっと隣覗いてみねえ?」
ひとしきり露天風呂を泳いだアンチマギアが突拍子もないことを言い始める。
「何を言っているんですかあなたは…」
呆れ顔でヴェリテ。他の者達も特に興味の無い様子だった。そもそも女性側は平均年齢が低すぎた。幸や白埜に至っては想い人とは親子のように毎日共に風呂に入るのが茶飯事である以上、わざわざ異界の風呂でその身体を見に行くメリットが無い。
アンチマギア・ヴェリテ以外の成人女性といえばエレミアとリヒテナウアーくらいのものだが、エレミアはそもそも男性の身体などより女神リアの方に遥かに興味があるし、リヒテナウアーに至っては、
「あ?見てーなら見せるし見たいなら無理矢理剥ぎ取ればいいだけの話だろ」
と暴君ばりの意見を一貫していた。女性陣の方がずっと我欲が強く見える。
「ふんだ、いーよいーさ。じゃあアタシだけこっそり見てくっから」
それにむくれたアンチマギアが単身塀を掴んでぐいぐいと軽々登っていく。
ヴェリテが止めるより前に塀の上端まで辿り着いてしまったアンチマギアが顔を男湯の方へ覗かせるのと、対面からディアンの顔が現れたのはほぼ同時のことだった。
「―――……」
「……―――な」
目と鼻の先ほどの距離で数秒見つめ合い、やがて短く声を漏らしたのはアンチマギア。
次にはそれが怒声に変わる。
「何覗いてやがんだこのドスケベ野郎っぉおおおおおおおお!!!」
「おめーもだろ!?」
理不尽にぶん殴られたディアンが塀から滑落すると、向こう側で落下したディアンに押し潰されたらしきいくつかの悲鳴が聞こえる。
「えっ!?覗き?だ、誰が……駄目だ誰が犯人でも納得できちゃう!」
「……アル?」
「もしかしてユー?なーんだそれならはじめっから言ってくれればー…」
「ロマンティカちゃん駄目だよ?誰が相手でも安売りしちゃ駄目!」
「……っ!」
「わー!のぞきだのぞきだー!いけないんだー!」
「ウィッシュちゃんほら前向いててください。まだ全身洗えていませんよ?」
「んだよ、だから見たいならセコイ真似してねーで言えってのに」
マイペースが多すぎる女性陣がそれぞれの反応を返す中、風紀委員長じみた勢いでヴェリテがタオルで局部を隠しながら前へ出る。
「なんにせよ大罪!きちんとした手順を踏まず裸体を拝もうとするその魂胆は万死に値します!!」
意外と(?)貞淑だったヴェリテの指先から雷が迸り、一度空に上がってから男湯の方へと一気に落ちる。
「おおいちょっと待て!!」
「馬鹿お前風呂ん中でそんなん撃ったら…ッ」
「カナリア脱出っ!」
「インガオホー!!」
「畜生お手本のような自業自得だ!!」
「クッソ慣れないことするもんじゃねえな!!」
「グリムガルテごめぇえええん!!」
男衆の悲鳴が空に木霊し、身体を癒す為の湯治は通電による電気治療へと様相を変える。
結局お約束は結末までをお約束として幕を閉じるのだった。
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