お約束という名の (前編)


「っはあ゛ァあー……っ」

 湯船に肩まで浸かり、アルが肺の空気を全て抜くような息を吐く。

「沁みるの覚悟してたが、全然…むしろ痛みが和らぐくらいだ」

「あァまったく、この薬湯俺らの世界にも欲しいくらいだぜ」

 血で汚れた衣服と包帯を解いて露天掘りの風呂に入る面々。その誰一人として無傷の者はいなかった。

「…むう。なるほど、これは確かに」

「僕たちって基本竜形態だと湖とかで水浴びくらいしかしませんしね」

 風呂の良さを初めて知ったらしきシュライティアとシャインフリートもご満悦の様子だった。

「……」

 そんな中、畳んだタオルを頭に乗せて入浴していたディアンの視線は夕陽に注がれていた。正確には、その両腕へと。

「…少し、進んだか」

「あ?…あー」

 指摘に、夕陽はふっと笑って頷く。

 戦闘モードではない今はそれほど目立ってはいないが、その生身に刻まれた紋様は塔で施した最初期に比べ、いくらか面積が広がっている。手の甲から始まった刻印術は、現在首筋の付近まで広がっている。

 追加で刻印を増やしたわけではない。

「前にも言った通り、生体に直接刻み込む刻印術は術者の力を喰らい『浸食』するんだ」

 一羽、風呂桶に汲まれた薬湯の中で行水をしていたリートが夕陽の蝕まれた両腕を見て言う。

「夕陽、君は僕達と違って魔力というエネルギーを持たない。それを扱う回路も無い。ではどうやって刻印術を使用しているか?答えはおそらく、君が二種の異能を扱うものと原理は同じだろうね」

「……」

 〝倍加〟と〝干渉〟。〝憑依〟も含めれば三種になる日向夕陽の異能力。

 これは主に体力と精神力で発動を成り立たせている。そしてそれらが限界に来れば、次に使うのは自身の生命力だ。

 刻印術は、これを強引に吸い上げ奪い糧とする。

「刻んだ僕がこれを言うのもどうかと思うけど、使い過ぎは厳禁だよ。これも前に言ったけど、生体刻印はセーフティが効かない。君が望めば本当に死ぬまで術は起動し続ける」

「…わかってるよ。程々に、しておくさ」

(どーだか)

 おそらくは守れないであろう忠告にひとまずの無難な返事で答えた夕陽にディアンは危機感を覚える。最悪の場合は、意識を落としてでも止めるべきなのかもしれない。

「しかしオルロージュ戦は厳しかったな。刻印術ありきでの〝憑依〟でもかなりしんどかった」

 話題を逸らすように数時間前の戦闘のことを振り返る夕陽に、その心情を知ってか知らずかアルとシュライティアが乗っかる。

「人と竜が手を組むとあんなバケモンが出来るってわけだ。ただでさえ、竜はそれ自体が厄介だってのに」

「しかし大いなる可能性を示した竜でもありました。もし、我々が大戦など起こさず手と手を取り合えていたら、この世界は神の干渉などに怯える必要もないほどの軍事力を誇っていたかもしれないわけであるからして」

「そうですね。僕達はこれから神と、そんな神に等しい竜の王達と戦わなきゃならないんだ…」

「神。カミ、ね…」

「……」

 それぞれの感想。ディアンとリートだけは妙に含みのある表情をしていた。

 各人が今後に対し思いを馳せた一瞬の静寂に、それは聞こえた。


「おらおらー!見てみろこの鮮やか軽やかなバタフライを!アタシはまだまだやれんだっつの火傷いってぇー!!」

「アンチマギアさんお風呂で泳ぐのやめてー!」

「えっ。エヴレナここにまでその花冠持って来たんですか…?」

「え、駄目かな。枯れちゃう?」

「白埜ちゃんこっちおいでください。アルさんにお願いされましたし、しっかり体洗いましょうねー」

「……ん」

「いいないいなー!」

「ふふ。白埜ちゃん、ウィッシュちゃんのお背中流してあげてください。ウィッシュちゃんは、幸ちゃんを。みんなで一緒に洗いっこしましょう」

「うん!」

「……っ」

「んー?なーにサチ。…え?ティカをあらってくれるの?いいけど、やさしくしてよね」


「「「「「「……」」」」」」

 六者六様。真意不明の沈黙が続く。

 最初に声を発したのは、ディアン。

「よし、行くか」

「座れディアン。俺はお前を殺したくない」

 ザバァ、と湯舟から立ち上がったディアンへ夕陽が即座に制止の声を掛ける。

「お約束だろ。すぐ隣が女湯なんだぞ」

「いらんお約束やめろ。お前らもなんか言ってやれ」

「オイ、ディアン」

 険しい顔でアルが仁王立ちしたままのディアンを見上げる。両者揺らぐことなく瞳が交差し、

「…白埜を視界に入れないことを約束できるか?」

「誓おう」

「よし行くぞ」

 ザバァ。アルが立ち上がる。

「おいコラ!?」

「結構高いなこの塀。三メートルはあるか」

「余裕だろ、よじ登る」

 男湯と女湯を隔てる塀の近くまで歩み寄る二人。モラルとマナーを順守する夕陽が賛同者を求めて振り返ると、先手をアルが打って来た。

「シュライティア、何してんだ早く来い」

「アル殿。私は人の裸になど興味は」

雷竜ヴェリテがいるぞ。一応真銀竜エヴレナも」

 ザバァ。

 風刃竜が無言で立ち上がる。

「くっそ色ボケ竜が…!はっ!?」

 どんどんと湯舟から人がいなくなっていくことに動揺する夕陽が、最後の希望と視線を合わせる。

 ちょこんと体育座りで薬湯に浸かるシャインフリートが天使のような笑顔を返してくれた。

「僕は味方ですよ夕陽さん。一緒にゆっくり湯治しましょう」

「もし最高の竜種を決める会があるとしたら間違いなく光竜に一票入れるわ」

 光竜の中にも数多の冒険者を夢の世界に閉じ込める悪辣な者がいることを夕陽は知らない。

 六名中四名(リートがしれっとディアンの肩に乗っていた)がお約束という名の王道ノゾキを実行しようと話し合い始めた時、露天と室内を繋ぐ引き戸が勢いよく開かれ、大声が風呂場中に響き渡る。

「ガッハハ!!いいねえ最高じゃねえか!!これで酒と酌してくれるイイ女でもいればなおご機嫌なんだがなぁ!!」

 サングラスを外した禿頭の大男が、筋骨隆々の肉体を惜しげも無く晒して現れた。

「やべえ終わった……」

「これはもうダメですね…」

 こういった話にもっとも乗り気になりそうな軍人が参入してきたことで、止めることが絶望的になった夕陽とシャインフリートは湯の中で顔を覆った。

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