たったひとつの冴えないやり方
誰かがやらなければならない時、きっと私はそれをしないだろう。
私じゃなくても誰かがやれる。私である必要がないのだから、私はそれをしないだろう。
でも、もしそれを彼がやろうと言うのなら。
私はそれをやるだろう。
それはきっと、他ならぬ私がやるべきことだから。
ーーーーー
「引き際だ。潔く退くとしよう」
時空竜オルロージュが真の姿を現した瞬間から、全軍の動きは最速で撤退の陣形に整えられた。一重に鹿島綾乃の指揮能力の高さによるものである。
口惜し気に唇を噛む兵士騎士の隊が後退していく中、浮遊する車椅子に座る少女だけは正面に向き合ったまま動かなかった。
「モンセー殿!」
「遅滞戦闘だ。少しでも猶予を引き延ばす。なに、死ぬつもりは毛頭ないから安心していいよ、鹿島中将」
「なら、アタシもご一緒しようかしら」
ひらひらと手を振るモンセー・ライプニッツに敬礼を返して立ち去る綾乃と入れ替わりに現れたタキシード姿の金髪青年が大弓の弦を弾いて茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「悲哀のマルシャンス、か。悪竜王について色々と尋問したいところだが、今は休戦の上での共闘。そういう落としどころで目を瞑ろう」
「お心遣い感謝するわ、セントラルの若き代表委員さん」
不可視の圧に笑みを苦いものにしつつ、片手を矢筒に引っ掛ける。
「…あと、あの爆走車両はなんだ?有事だからこれも目を瞑るが思いっきり違法改造だろあれ」
「本人曰く合法らしいわよ。殺したくらいじゃ死なないから、気にしないで魔法ぶっぱなしてちょうだい」
直後に撤退する部隊と敵軍とを別つ大氷河の魔法が炸裂したが、不思議なことに車両はまったくの無傷で敵軍の攪乱をこなしていた。
ーーーーー
「各部隊長は損耗状況を掌握し次第こちらへ報告せよ。術師は『森人』の部隊と共に結界術の展開・維持に務めるよう。ここを仮設陣地として態勢を立て直す。時空竜のブレスに最大細心の注意を払え」
百メートルの巨体が遠目に視認出来る程度の場所まで後退し、続々と帰陣する部隊へと命令を与える冷泉雪都には僅かな焦りがあった。
本隊の総指揮は現在元帥代行である雪都が執っている。現状あの時空竜オルロージュの放つ大威力のブレスの射程外まで退いたと見て仮設陣地を敷いたが、それはあの竜がその場を一歩も動かなければの大前提だ。数歩踏み出すだけでその射程はキロ単位で伸びるだろう。
今は雷を纏う竜と白銀に輝く竜の二体に加え、その背に乗る幾人かの戦力がオルロージュ周辺を飛び回りながら注意を引き付けているおかげでこちらへ意識は向いていないが、もしブレスが飛んでくれば約三百人から成る大結界であっても二、三発で砕け散る。
そして時空竜を攪乱させているあの一団とて負傷しているのは間違いないのだ。今後の行動を決める上でも、一度こちらまで退いてきてもらわねば治療も招集も叶わない。
最善は考えるまでもない、自分が出ることだ。
冷泉雪都は驕りを知らない。過信をしない。
この身が間違いなく全隊の中でトップクラスの戦力として確立されたものであることを正しく認識している。少なくとも、個としての実力で並べる者はこの中にはいないと思われる(無論、世界を跨いだ法則性の相違や相性による差は出るだろうが)。
だがこの乱れに乱れた隊の統率はどうする。一個部隊長でどうこうできる規模ではないし、頼りの鹿島中将は生死不明の隊長不在によって荒れている『天兵団』を取り纏めるのに手を焼いている。
超が付くほどの真面目人間である冷泉雪都にはこの総指揮をおいそれと他者に委ねる選択を即断できるほど責任を軽んじてはいないかった。何かあった際、指揮を押し付けたその者にどんな被害があるかわかったものではない。
考えに考えを重ねた先、脳裏に浮かび上がるのは直属の部下。いつでも自分の隣で、あるいは後方で仕事を見て学び、意欲的に取り組んでいた彼女。
「……く」
これは雪都にとっても苦渋の決断だ。
信じていないからではない。信じているからこそ重荷を負わせてしまうことへの罪悪感が大きい。
それでも、今ここを自分以外の誰かに任せるのであれば、彼女以外にはありえないのも事実。
目まぐるしく負傷者と救護員とが行き来する仮設陣地の往来で慌ただしく動いていたエルフの男を捕まえ、その女性を呼ぶように伝える。彼女は今、エルフの部隊『森人』の指揮をしているはずだ。
ややあって、息を切らしながら走ってきたのは件の女性でもなければ、要件を伝えた男のエルフでもなかった。
『森人』を率いている部隊長、エルフの族長エインが、雪都の顔を見るなり声を荒げた。
「ああよかった、はあ、はあ…。長曾根副官殿より伝言を預かっておりまして、こうして探しておりました!」
「要さんから…?」
指揮を任せていたはずの部隊を離れ、一体どこにいるというのか。
雪都の額にじわりと嫌な汗が滲んだ。
「一言一句違わずお伝えします。―――『勝手と無茶をお許しください。五十分、竜を縫い留めます。どうかその間に、逆転の策を』」
ーーーーー
正直なところ。
私は別に、この世界をそれほど愛おしいとは思っていない。
この地は故郷ではないし、なんなら生まれ育った世界ですらない。
命を懸ける理由はひとつも、一欠片もない。
退魔士だって望んでなったわけじゃなくて、人一倍正義感が強かったとか、そういうわけでもない。
なんの因果か素質を見込まれこの仕事を続けているが、言ってしまえば事なかれ主義。平々凡々大上等。
…でも。
そうでない人もいる。
弱きを助け、強きを挫く。他者の為に憤り、他者の為に悲しめる人。
ヒーロー。羞恥心を取っ払えば、その言葉が一番しっくりくる人。
それが私の目指す人。それが私の好きな人。
私はヒーローにはなれない。
私は私にとって大切な人の為にしか本気で怒れないし、私の大好きな人の為にしか心底泣く事はできないだろう。たぶん。
それでいい。
それがいい。
あなたがそれをやろうと言うのなら、私が代わりにそれをしよう。
それがきっと、他ならぬ私がやるべきことだから。
反重力を用いて空を跳ぶ。飛ぶではなく、跳ぶ。文字通りの空中跳躍。
重力操作。それが私固有の能力。
使い勝手に困る時もあるけれど、今回はこれが抜群に活きる。
札を用いて、重力弾を飛ばして、斥力の盾で防いで。
数えきれない獣の総軍を跳び越え打ち払って、ようやくそこへ至る。
既に水晶型通信端末にて連絡は送った。あの竜達は巻き添えの前に離脱してくれるはず。
見上げる巨大な竜は、直立したままこちらを見下ろす。竜の表情は読み取れないけど、そこには露骨に怪訝さがあった。
『愚策と嘲笑うべきか、蛮勇と誹るべきか。判断に困るな』
「そうですか?…そうですね。賢くは、ないかもしれません」
時空竜がその大きな口腔を覗かせる。人間の女一人を相手にあの大出力を放つつもりか。
もちろん、させるわけがないが。
『っ。……女、お前か』
時空竜の足元が急速に抉れ、クレーターを生む。時空竜自身の自重によるものだ。
ただし、その重量は現在進行形で跳ね上がり続けている。それは周囲一帯の獣達も同様だ。貼り付けにされた昆虫標本のように、痙攣する竜と獣は身動きを封じられる。
確かに賢くはないかもしれない。これは冴えたやり方ではない。
でもたったひとつ、私が導き出した最適解だ。
私は私の為に、自分の幸せの為に戦う。
雪都さん。
私は、あなたの傍にいられるだけで幸せなんです。
だから。
「時空竜オルロージュ。…私の素敵な未来の為に、ここであなたは寝ていてください」
リミッター解除。重力操作全開。
彼の道を切り開く、その足掛かりを果たそう。
『メモ(Information)』
・時空竜討伐軍、『時空竜オルロージュ』の射程圏外まで撤退。
・『長曾根要』、『時空竜オルロージュ』及び『救世獣』の中心地へ単身特攻。
・『長曾根要』、〝
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