『拝啓、愛しき我が森の子らよ』


 随分と長いこと話し合いは続き、ヴェリテに呼ばれて会議室へ赴く頃には日も暮れて薄暗くなってきていた。


 端的に言って会議室の中は地獄だった。

 椅子に座るエルフのお歴々達はぐったりと机に突っ伏したり何かに怯えるように震えていたり、あと焦げていたりパチパチと音を立てながら帯電した状態で気絶していたり。

 部屋の隅では意識を取り戻した魔女が二人、横に並んで正座を維持していた。どちらも酷く青白い顔をしていて今にも倒れそうだ。

(なにこれあの世?)

 部屋の誰もが亡者のような有様だった。扉の先が黄泉に繋がってるのかと思うほどに悍ましい光景である。


 唯一すっきりした表情でご機嫌な様子のヴェリテに無言で顔を向けると、彼女は顔の横でダブルピースなんか作って、

「平和平穏無事解決です♪」

 とか言ってみせた。美人のクセに可愛い仕草と明るい語調でそんなこと言うものだから、こっちもそれ以上追及できなかった。

「……そ、それで!結局話し合いはどう落ち着いたの?」

 しばし唖然としていたエヴレナも、なんとか落ち着きを取り戻して本題に迫る。

「なんてことはありませんよ。簡単な不可侵条約を結ばせました」

 ちらと死屍累々のエルフ達と魔女を一瞥して。

「エルフ達は現状以上の大森林への干渉・侵攻の類を一切禁止。魔女リエーリヴァの森林拡大にも不干渉。リエーリヴァは森を維持さえできればこれに不服はないそうです。あとは無駄に小競り合いをしないこと、これは主に魔女二人に対しての相互抑止の意味が強いですが」

 言いながら、懐からぺらりと一枚の紙を取り出した。

「エルフの魔術を利用した『誓約書』なるものを作らせました。書いた内容を破ると誓約書に記した全ての命が即死するとか。あ、これその写しです」

「しれっと恐ろしいこと言ったなお前」

 全ての命が即死。

 受け取った『誓約書』の写しに目を通してみると、どうやらマジで『「誓約」を破った者がいた場合、記載される全ての生命の活動を即停止する』という記述とその下に魔女二名の名、それからエルフの民総員の名(数えきれないが六、七百くらい?)がぎっちりと書き込まれていた。

 これつまりこの数百名の内誰かひとりでも誓いを破ったら道連れで全員死ぬってこと?やばない?

「よくサインしたなこんな激ヤバ書面に」

「この場で死ぬか誓約するかの二択なら普通にサインすると思いますよ」

 それ要するに書かないと殺すって言外に脅したんだよね?大丈夫?悪竜王サイドに堕ちてないかこの雷竜。

「あとこの誓約内容の項目多すぎないか?目ぇ痛っ、いくつあんのこれ。二百…五十?縛りすぎだろ生活に支障でるんじゃねえの!?」

 サインの下にもこれまたびっしりと二百五十項目もの誓約内容がナンバリングされていた。文字数が多すぎて〝倍加〟した視力じゃないと読めないくらい紙が黒い。悪徳業者が用意する詐欺契約の書類みたいだ。

 二百五十個のルールを順守しないと皆殺しになる『誓約書』を書かされたエルフ重鎮達の心労やいかに。そりゃ地獄の亡者にもなるわ。

「当たり前のことしか書いてませんよ。いくつか重複している部分もありますしね。…姑息で小賢しく頭の働くエルフ達の抜け道を全て潰すにはこれくらいしなければ、ですよ。誰よりもそれは夕陽がわかっていると思いますが」

 伊達眼鏡を光らせクイと押し上げたヴェリテの言葉に軽く頷く。確かにエルフはそういう方面では秀逸だ。何かしら書面の裏をかいて誓約を突破するやり方も見出す可能性はある。

「…も、もはやそんなことをするつもりはありませんよ。特に貴方達に対しては」

 よろりと起き上がったのはげっそりとやつれたエルフの族長エイン。

「貴方達がここを出てすぐ、草花で編まれた使い魔が手紙を運び飛んできました。……緑花竜フィオーレ様からのものです」

「えっ。フィオーレが!?」

「…そう、ですか」

 エインの話に食い付いたのはエヴレナとヴェリテ。俺にはなんの話だかわからないが、おそらくロドルフォ戦の後で森に残った一件に連なることなのだろう。

 先程の『誓約書』とはまた別の、樹皮から作ったらしき紙面に樹液のような茶褐色の文字が綴られているものを見せられる。

「貴方達へ最大限の助力をしてもらいたいこと、この森に住まう全ての命に争うことをやめてほしいこと。そして……自分の命はそう長くないこと。その自分に免じてこれらの願いを聞き届けてほしい、と。これにはそう書いてありました」

 受け取ったヴェリテが素早く文面に目を通し、俺に首肯を返す。嘘偽りは無いということだ。


「……緑花竜さまには何度もエルフの危機を助けられた。魔獣の侵攻からも、食糧難の時も」

「疫病が蔓延したときなんかはどこからともなく抵抗力の上がる果樹なんぞを生やしてくださった」

「あの方こそ我らの女神だった。祈ったところでなんの助けにもならん本来の女神なんぞより、ずっとな」


 ヴェリテの『話し合い』ですっかり憔悴しきっていた他のエルフ達も、次々にその竜のことを口にする。

「緑花竜様がそれをお望みになるのなら。近く亡くなられるあの方の心残りがそうだとするならば。我らはそれをなんとしても果たさねばならない」

 『誓約書』の本書の手に、エインは俺達の前まで来て片膝を着いた。後に続く重鎮達も同じように跪く。

「我らが非礼、無礼をどうか許されよ。そしてどうかこの世界の為に、彼女の愛したこの森の為に。我らが力を振るわせてほしい」

「……いや、こちらこそ。共に戦ってくれること、とても頼もしく思います」


 俺はその竜のことを知らない。一体どんな顛末でそんなことになったのかも聞いていない。

 けれど、これだけの人々から想われる竜だ。きっと、たくさんの愛を向けていたのだろう。愛していたから、愛された。それだけは確かだ。

 だから、きっと仏頂面で壁に体を預ける魔女も何も言わない。

「…あんたらも、それでいいんだな?」

「べっつに。わたしはそもそも邪魔さえされなけりゃ邪魔もしないっつー話だったじゃない。そこの長耳共がもうわたしに関わらないってんなら、それでこの話はおしまい」

「あのかたは森に生きる全てに愛を向けていました。それは私や、そこの不出来な魔女にだって。エルフ達に襲い掛かる魔獣を払った時とて、殺しまではしなかったくらいですからね」

「あ?誰が不出来な魔女だって?種蒔きしか能がないグズ女が」

「あらあら?不愉快な羽音が聞こえるのはここですか?あらまたこんなところで不細工な蛇の姿に変化なんてされて、危ないですよ?」

「今はなんの変化術も使ってないんですけど?バラして森の肥料に使ってやりましょうか?」

 不可侵条約を結ばせて正解だった。この二人永遠に相容れないわ。こんなところで喧嘩すんな。


「さて。約束通りに我らエルフの兵軍加入について、それから『完全者』のこと。色々と話すべきことはありますが、見ての通りもう日暮れ。ひとまずは我らが聖域で体を休まれてください。話は、それからでも」

 族長エインの提案を受け入れ、俺達はこの日をエルフの聖域にて宿泊することにした。

 謎の狙撃に端を発し、森に住まう竜種との激突。エルフとの確執、魔女との戦闘。

 色々あったが、収穫もあった。『完全者』の情報、新たなる戦力の確保。…それにエヴレナの雰囲気も少し変わった。あの頭に被っている花冠に何の意味があるのかはわからないが、その身に秘める決意の程はより強まったように見える。

 それと。


「―――こんなものまで、蘇るとは」

 ぐしゃりと足元を這う銅色の蟻を踏み潰し呟いたヴェリテが、背後にいた俺の気配に気付いたのか風になびく金髪を片手で押さえて振り返る。

「話があるって、なんだ?楽しい話じゃないのはわかるが」

「ええ。人造の竜、かつての罪が息を吹き返しました。……荒れますよ、この大戦」


 悪意の竜、破壊の竜。そして人造の竜。

 ますます混迷を極める存在の出現に、ヴェリテは心底からの溜息を吐いた。






     『メモ(Information)』


 ・『大森林不可侵協定』、締結。


 ・大森林のエルフ485名、兵軍加入。


 ・『黒抗兵軍』全軍に対し通信にて『時空竜オルロージュ』の情報共有。『エリア0 セントラル』にて対策本部設立。

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