VS 緑花竜フィオーレ(前編)
「…あなたは」
「お初にお目にかかります、今代真銀竜。森竜フィオーレと申します」
シュヴァルトヴァルト、濃緑地獄の最奥。あれだけ鬱蒼と茂っていた森林も、ここだけはぽっかりと天蓋に穴が開いており日光が降り注いでいる。
その陽光に照らされて、まるで女神と見紛う服装と美貌で微笑む女性が一人。外見的にエルフに近いが、纏う気配は完全に竜種のそれだ。
「やっぱり竜!もうエッツェルには会ってたりして?」
絡まっていた蔓草を引き千切って数歩下がり身構える。相手は正気を保っているようには見えるが、もし竜王と接触済みだった場合は既に敵対化している可能性は充分にある。
「いえ、わたしのところにはまだ。それに来たところで配下になるつもりはありません。…まあ、彼は否応無しに従える力をも持っていますが」
厄竜化、と巷では呼ばれている竜王のカリスマによる言葉の絶対遵守。命令に応じ死した竜ですら従えてしまう冒涜の呪い。
それを拒み、恐れ、人の陣営に降ろうという竜種も少なくはないと聞く。
フィオーレの言葉を受け、ぱっと華やいだ笑顔を浮かべるエヴレナ。急に敵意を萎ませ緩んだ表情になる。
「そっか!じゃあフィオーレ、わたしたちと一緒に行かない?今わたしたちはね、竜王エッツェルを倒すためにたくさんの仲間を集めてるんだ。だからあなたも」
「エヴレナちゃん」
呼ぶ声に抑揚はなく、放たれる種の弾丸にも忠告は無かった。
手始めに三発、咄嗟の防御を見てさらに六発。そこから強風のブレスを吐くと、葉は刃となり少女の肌を斬り裂いた。
「いっつつ!?」
「あなたは思い違いをしています。エヴレナちゃん」
片手を持ち上げると、それに呼応してエヴレナの周囲の草木がひとりでに揺れ、鋭利な刃物のように、頑丈な棍棒のように変化する。
「ちょっ、と…!フィオーレ!」
「わたしは竜王に従うつもりはありませんが、けれどあなたに従うとは一言も申しておりません」
一斉に襲い来る四周からの植物に、腰を落としてエヴレナが瞳を見開く。開いた五指から伸びる爪がそれらを迫る順からバラバラにしていく。
「まって、待ってっ!別にわたしは従えなんて言うつもりは…ただ一緒に協力してこの世界を守ろうとっ」
「思い違いの二つ目。わたしの世界はこの森で全てです。死力を尽くしてまで、
しなる鞭のような蔓に頬を張られ、一瞬の怒気をブレスに乗せて吐き出す。フィオーレの眼前で厚く何重にも束なった樹木にそのブレスは遮られただ立っているだけの森竜には一切届かない。エヴレナのブレスは魔物や不死者、そしてもちろん同胞たる竜種にも飛び抜けた効力を有するものだが、その竜達が操る火や水、雷、そして植物にまでは作用しない。
純粋な火力不足。
連なった根の槍がエヴレナの鳩尾目掛けて飛ぶ。
「くうっ!」
「そして思い違いの三つ目。一番大きな問題」
どうにか両手で肌を穿つ前に槍を受け止め、勢いに押され十数メートルほど後退する。その隙を見逃さず、地面から突き出た大樹がエヴレナの体を大きく空へと打ち上げた。
フィオーレは依然として微笑みを絶やさぬままに、その内を口頭でのみ示す。
「わたしは怒っていますし、あなたはもっと怒りなさい」
『―――なぁーんなーのぉーー、もぉおおおーーー!!!』
打ち上げられた勢いそのままに空中で竜化したエヴレナの叫びが大気を震わせる。それを見上げ、フィオーレも同様に緑色の光と風を覆われ竜の姿を現す。
互いに同時、真銀と緑葉のブレスが地上と空中から放出され衝突する。
『くううぉおおのおおおおおおおお!!』
『はあぁぁあああああああ!!』
真銀竜のブレスは確かに特定の種族以外には火力不足だが、そもそもの時点でフィオーレの放つブレスはそれより弱い。本質は風を圧縮させ放つもので、そこに鋭利な葉や種を混ぜ込んでようやくそれなりの威力を発揮するもの。
純然たるブレス単体での威力勝負となれば軍配は真銀にあがる。
風のブレスは吹き消され、避け切れなかった真銀のブレスが片翼へ浴びせられる。途端に翼は力を失った。
真銀竜のブレスは威力に劣る分、闘争を削ぐ性質に秀でている。こと竜種にとっては天敵たる力。これこそが竜種の抑止力と呼ばれる真銀の真価である。
『なんなの、なんなのーっ!わたしはただ、みんなが幸せになれるようにってこの世界を守ろうと!あの竜王をやっつけようって!そう思ってるだけなのに!』
『皆が幸せに?世界を守ろうと?自惚れないでください。あなたは己が使命をまるで分かっていない!』
片翼が不全となったことで飛翔が困難になったフィオーレへと、小柄なエヴレナの体が突っ込む。竜二体の争いは共に牙を爪を尾を振り回しての取っ組み合いへと転じた。
『竜種の頂点たるは双璧にあり!黒竜王が混沌を司るのなら、
エヴレナを引き剥がし、速度と威力が段違いに上がった種弾と葉刃を見舞う。
『あなたが行うべきは皆を幸せにすることではなく、皆が真っ当な生を受けられるよう管轄すること!あなたが成すべきは世界を守ることではなく、世界の秩序を乱さぬよう見守ること!それが果たされぬ今、この世は容易に暗黒の時代に呑み込まれることでしょう!』
『……っ!!』
両翼で自身を覆い、蕾のように全身を丸めて猛攻に耐える。物理的な攻撃以上に、その言葉は辛く痛く胸に刺さった。
『
雷竜はまだ未熟だからと。
妖魔はただ弱いからと。
人間は未だ段階ではないと。
やらない
意識しなかっただけで、自覚が無かっただけで、あるいはその優しさにどこか甘えていたことを否定できようか。
それこそ否だ。
偉大で、誇り高く、その使命に殉じる為にこそある真銀竜の行動はあまりにもおざなりではなかったか。
誰も責めない。誰も手を抜いていたとは思っていない。いつだって一生懸命で、必死で、健気に頑張っていた。
でもそれで足りなかったのだとしたら。
たとえばあの人間のように、いつだって血に塗れ死に怯えながらも戦意を絶やすことのない意志があれば。
たとえばあの妖魔のように、どんな窮地にだって諦めず活路を見出す信念があれば。
たとえばあの雷竜のように、いかなる状況においても冷静に滾る竜の誇りを忘れぬ気高さを持っていれば。
『―――…………」
『……!』
猛威に巻き上げられた土煙が晴れた頃、その中心には竜の姿から人型に変わったエヴレナの姿があった。
あえて人型形態に変わることで的を小さくし、被弾面積を最小限に抑えたのだとフィオーレは分析する。
「……ありがと。フィオーレ」
顔と胴体を庇っていた腕をほどき、エヴレナは小さく、けれどよく通る声で自身を傷つけた相手に礼を言う。
「そいえば、まだこっちからは名乗ってなかったよね。聞いてほしいんだ」
『…いいですとも』
何かが違う。雰囲気が変わった。
それを確信して、竜態のフィオーレは本心から笑う。今だけは森を荒らされた怒りすらも忘れかけていた。
顔を上げ、キッと強く敵を睨むその瞳にもはや迷いも惑いもありはしなかった。
「竜種の抑止力。秩序の守護竜。暗黒を晴らし、銀天の輝きで世界の安寧を願い、促す神竜の系譜。…真銀竜エヴレナ、その使命を完遂する」
『ええ、ええ…!であればこそ、今一度我が名を唱えましょう!』
高く吼え、未だ片翼を機能不全に陥った状態のままで森の母は歓びに震えながら名乗り口上を叫ぶ。
『森竜、またの名を緑花竜フィオーレ。我が子らを痛めつけた愚かなる者どもよ、母なる怒りに触れ、その愚行を悔い改めよ!!』
「―――うん。行くよ、
血を流し、劣勢に立たされてなお、その誇り高き銀の意志は翳ることを知らない。
片や拳を握り、片や爪を携え、秩序の竜はいかにも竜らしい、雄々しい笑みで八重歯を剥いて見せた。
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