『天啓3・目的不明の急襲』


「ふう…っ!」

「はわ、お姉ちゃんつよーい」


 クレイモアを腰の鞘に納め、シスター・エレミアは頬を伝う汗を拭う。すぐにウィッシュが駆け寄り、彼女の健闘を賞賛した。

 明らかに人の姿にして人を超えた能力を有する者達その数八体。実際のところは辛勝だったと言えよう。

「すごいね、すごい。あんなにたくさんいたのに勝っちゃった」

 そこら中に散らばる人だったものの欠片、血溜まりを目の当たりにしても怖がるどころかそれらを踏みつけてくるりくるりと踊るようにエレミアの勝利を喜ぶ少女を見て、やはり何かが『違う』ということだけをはっきりさせる。

 しかしシスター・エレミアは少女を畏怖の目で見ることも気味悪がって遠ざけることもしない。何よりも我が神ならば如何なる者であろうともお許しになるはずだから、かのお方が明確に『敵』とするもの以外を彼女は愛する。

 その在り方は歪みなりにも聖職者そのものの姿であった。

「ありがとう、ウィッシュちゃん。…私ね、これからもう少し危険なところに行かないといけないんです」

 血溜まりの真ん中で、無垢な少女と敬虔な信徒は向かい合う。

「その先にいる、何かを見つけて、『めっ』てするんです。この世界を支えてくださる神様はそれを望んでいるのです」

「ふーん?わかった、いこ」

 やはりそれほど興味が無いのか、軽く頷いてエレミアの手を握った。これが大人であれば即刻に斬り捨てているところだが、子供は無垢であり無知だ。

 知らないことを責めることは出来ない。知らなければこれから知っていけばいいのだ。この世界の女神がいかに素晴らしく崇高な存在であるのかを。

 興味のない素振りも、エレミアにとってはむしろ英才教育を施せるいい機会であると燃え上がらせるばかりである。

「…ふふふふ」

「っ!?」

 妖しい笑みを浮かべて紅い瞳を光らせた修道女に、これまで大きな反応を示してこなかった少女が初めてびくりと肩を跳ねさせた。

「というわけで行きましょうか。ウィッシュちゃんぜんぜん怖がりませんし」

「なにがー?」

 こんな光景を見てしまえば先に進むことも躊躇うかと思っての懸念ではあったが、ウィッシュはまるで動じていない。もとよりこんな物騒な場所に置いていくわけにもいかなかったので好都合と言えばそれまでではあるが。

 手を繋いで骸と血で散らばった路上を歩く二人。

(女神様の『天啓』によればこの地にいるはず。この世界を害する何かが)

 先程の人ならざる人のような、異端。いてはならない害悪。滅ぼすべき癌が。

(リア様からの啓示が嬉し過ぎて何も考えず大聖堂を飛び出してしまいましたが、よく考えてみれば大問題ですねこれ。司祭様怒ってますよねきっと…)

 エレミアは直接女神リアを会ったわけでもその言葉を聞いたわけでもない。ただ、女神リアが地上に放った『女神を信仰する者へ向けた信号』を受信しただけだ。

 本来それは無意識化に働きかけて『そうしなければいけない気がする』という程度の行動理念を引き起こさせるくらいの微々たる力の発信だった。女神としての力をほとんど使えない状態のリアではこれが限界だったのだが、狂信的にリアを崇めていたエレミアはこれを明確に『天啓』という形で意図の大半を理解してしまった。

 もはや彼女は冗談抜きに神の代行者を名乗っても過言ではない存在と化している。

(まあいいですよね。神の御言葉以上に大事なことなんてどこにもありませんし☆)

 エレミアはたとえ大聖堂やギルドから追手が掛かったとしても躊躇いなくこれを斬り殺すだろう。女神の啓示を邪魔するのであれば同じ信徒であろうと司祭であろうと敵であるのだから。

「さてウィッシュちゃん。ただ歩いているのも退屈でしょうし、どうしましょうか?聖書を一緒に読みますか?それとも女神リア様の世界再興歴をいちからお教えしましょうか?リア様の素晴らしさはそれこそ何時間何日あっても語り尽くせないのでウィッシュちゃんもあっという間に時間が過ぎてしまうかもしれませんがっ!」

「お姉ちゃん、こわ…」

 女神の話になった途端急に恍惚とした表情で早口に捲し立て始めたエレミアに正体不明の鳥肌が立つウィッシュ。


 楽し気(?)に会話に興じていた二人の背後から、風切り音が高く鳴る。

「んー?」

「っウィッシュちゃん!」

 ただ何気なく振り返ったウィッシュと、それの危険性にいち早く気付いたエレミアの初動の差。エレミアは繋いでいた手を弾きウィッシュを突き飛ばす。

 直後、地上を巨大な竜の顎が通過し、エレミアの姿を掻き消した。

「お姉ちゃんっ」

「ぐ、……竜…っ!?」

 かろうじて抜いたクレイモアと頑丈なブーツで上下の牙から柔肌を守ったエレミアが、突然の襲撃に目を見開く。

 とんでもない顎の力に潰されそうになるところをなんとか堪える。大きく生え揃った牙とその奥に続く口腔。

 その最奥から光が瞬いた。

 吐き出される火炎のブレスに押される形でエレミアが竜の口から飛び出る。空中で二回転し着地。その頃には全身を覆っていた火も自然と鎮火していた。

 彼女が手ずから聖別した特製の修道服でなければ噛み潰されていたし、焼き殺されていたところだ。

 魔力を練り上げ各武装を励起させる。

 何故急に竜種が。確かにここ最近エリアのあちこちで活発化している竜達の話はエレミアも聞いてはいたが、ここまで分別無く凶悪に暴れているとは知らなかった。

 それに、あの竜は。

(…明らかに、狙っていた。あの子を)

 ウィッシュ・シューティングスターと名乗った少女。背後から迫り牙を向けたのはそちら。咄嗟に庇ったことで障害エレミアを消すために行動を変えはしたが、態勢を立て直した竜の意識はやはりウィッシュに向いている。

(どうしてあの子を。いえ、それは今考えるべきことではないですね)

 クレイモアを構え、じりじりと位置取りを変える。竜はエレミアの何を視ているのか、その顔には僅かな嫌悪の色があった。ウィッシュとは別に、エレミアに関しても竜は違う敵意を持っていた。

「ウィッシュちゃん。逃げ…なくてもいいのでなるべく動かないでくださいね。巻き込んでしまうので」

 言って、エレミアは全身の装備に魔力を通す。臨戦態勢を維持しつつ、エレミアの額からは嫌な汗が滲む。

 この剣は竜にも通る神聖が宿ってはいるが、それでも使い手は強化されていたとしても人間だ。

 そしてこの竜は、明らかに並みの格ではなかった。


 敗色濃厚。極めて勝ち目の薄い闘い。

 それでも修道女は罪なき幼子を見捨てられない。献身と慈愛で何がなんでも守ろうとする。彼女の狂う信仰はそのまま転じて女神と同じ視点から世界の全てを愛する。愛してしまう。

 だから命懸けでも少女だけは逃がさねばならないと考えていた。


「なァ、こりゃどういう状況だ?」


 そして。

 そんな絶望的な状況を、降り立った一人の妖魔がひっくり返す。

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