VS 黒き死神 ロドルフォ(後編)


「…………」


 巨大な樹から伸びる枝のひとつに体を横たえて、迷彩柄のフードをすっぽり頭から爪先まで被ったダークエルフの男は、唯一フードから飛び出た狙撃用ビームライフルの銃身を下方からそっと押さえ、極限まで手ブレを減らしていく。

 大森林の数キロ先、金色の竜と黒髪の少年が二人同時に左右に分かれて散ったのをスコープ越しに確認する。

 甘い連中だ、と彼は心中で冷静に分析する。

 自分達には一切関係ない排他的なエルフ達でさえ見捨てられない。切り捨てず我が身を犠牲にする。結構な正義感だ。それで勝てれば苦労はない。

 まったくもって下らない。一体どこで情報を掴んだのかは知らないが、この高尚な目的を邪魔されるわけにはいかない。

 人を超え完全なる存在として生命の格を押し上げる究極至高の大願。ある時ふと脳裏に閃いた、天啓とも思える天才的な発想。それをもって彼、ロドルフォは『完全者』と呼ばれるものの基礎を作り上げた。もちろんその基礎は自らの身にも刻み付け埋め込まれている。

 連中がどういった集団なのかはどうでもいい。邪魔をするなら消すだけだ。

 幸いにして、一人は既に王手が掛けられている。

「……」

 矢を受けワイヤーに刻まれ狙撃をモロに喰らった。既にして満身創痍に近い状態の少年はそれまでと比べて明らかに動きが悪い。乱立する樹木で姿を隠しながら移動しているようだが、まるで無意味だ。長くこの森で戦い続けたロドルフォにとって木々は障害物足り得ない。獲物の思考は簡単に先読みできる。

 息を吸い、浅く吐く。途中で止め、スコープから照準。

 そこ。

「……ほう」

 防がれた。何か常人ならざる力によるものか、高速で迫る光弾を寸前で刀を差し挟み弾いた。だがそれだけでも傷は開き散った血が近くの幹を赤く染めた。

 伏せた状態から片足を叩き、アクロバティックな動きで枝から枝へ跳ね移る。

 油断はしない。横着はしない。深追いもしない。

 一発。それで駄目ならすぐに退く。撒いたのならばさらに一発。逃げ回り、いずれ仕留めるまで延々と繰り返す。

 やがて相手は焦れる、心的に追い込まれる。そして暴挙に出る。大胆不敵と言えば聞こえはいいが、それは彼にとって自棄も同然だ。

 優先順位は決まっている。弱い者から狩るのは基本だ。あの少年はあと二、三発も耐えられれば上等な方だろう。

 竜の女はどうか。あの甘ったれた行動から見るに少年を見捨てられず、左右に分かれた意味も成さずに射線に割り込むか。見るからに上位種らしき金色の竜を射殺するにはそれなりに数を当てねばなるまいが、それならそれで死にかけの少年を死ぬまで利用させてもらうだけだ。

 新たな大樹の枝にて伏せ撃ちの姿勢に戻り、次弾を放つ。

 防ぎ―――きれず、少年の体が強烈な衝撃に回転する。

(いや。まだか)

 やけに頑丈な人間だった。交戦前に同化した童女の仕掛けが気に掛かる。この世界には無い術だ。

 次の移動を、と立ち上がった時に、視界を埋める轟雷が瞼を焼く。

「っ…!」

 間一髪回避が間に合うが、振り返る後方は地獄のようだった。大樹は根こそぎ焼き尽くされ、ごっそりと抉られた大地は視界が明瞭過ぎる。すぐに離れなければ間もなく姿を捕捉されるだろう。

 続けて二度、轟雷のブレスは吐き出されたが、いずれも出鱈目に放っただけのもの。威力こそあれど当たらなければどうということはない。

 鼓動を落ち着け、身を隠すに適した大樹へ降り立つ。すぐさま伏せ、フードを被る。

 次。次で少年は殺せる。

 竜の女は守ることを諦めたのか、凄まじい速度でこちらの方角へ突き進んでいる。先程の一射でおおよその方位を掴まれたらしいが、まだロドルフォを視認したわけではない。

 焦らず撃ち、効率よく命を摘もう。

 持ち前のルーティーンを行い、沈着な照準を取り戻す。機械のようにブレの無いスコープの向こうには荒い息を吐きながら血を拭う無様な少年の顔が間近に見えた。

 まず一人。

 いつもの通りに、いつもの射撃を行う。

 結果は、

「…、…!?」

 誰よりも自分自身が驚く。

 精密な照準だったはずだ。間違いなく少年の眉間を撃ち抜くはずだった。

 驚きにスコープから顔を外し手元に目線を落としてみれば、あれだけ慣れていたはずの利き手の指が、僅かに震えていた。

 『完全者』たる彼はまともな人間ではありえない精密射撃を可能とする。指の震えなど、この身体に改造してから先で経験したこともない。

「誰、だ…!」

 何かの干渉と気配を感じ取ったロドルフォが懐から抜き出した高周波ブレードを一薙ぎすると、その迷彩柄のフードから小さな人影が転がり出した。

「わひゃあ!」

「…妖精。貴様か」

 ピンク色のツインテールに蝶々のような羽根が一見してそれが妖精であると裏付ける。

 日向夕陽という囮で気を引き、ヴェリテという規格外の雷竜の猛攻で意識と集中を削ぎ、その間に大森林内のありとあらゆる毒草の花粉を搔き集め凝縮させていたレディ・ロマンティカ渾身の猛毒鱗粉。

 人間はもちろん竜種にさえ(鱗を貫ければという仮定の内では)数秒で死に至るであろう劇毒を致死量の数十倍、針による静脈内注射で投与した。『完全者』故にロドルフォは注射程度の痛覚はもはや感じないに等しかったが、それが今回は悪く出た。

 そしてこれも『完全者』故か。強力な免疫を身に着けていたロドルフォには致死毒でさえほとんど効果を持たず、せいぜいが十数秒程度の痺れを引き起こすので限界だった。


「ふ、ふんだ!このひきょーもの!こそこそとかくれてっ!」

「こそこそ隠れて戦う卑怯者で結構」

 妖精の文句には取り合わず、ロドルフォは妖精を真っ二つにすべくブレードを掲げる。


 たかが十数秒。

 だがその十数秒が夕陽の命を間一髪で救い上げ、そして。


「ええ結構。そのコソコソと隠れた卑怯者の一針で、貴方は敗北するのですから」


 たかが十数秒は、雷竜が敵を捉え戦槌の圏内に迫るには充分な時間だった。

 

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