少女三人寄れば迷子の集い
戦艦ドミニアの窓から、竜種の人外めいた視力で捉えた少女には見覚えがあった。
かつての大戦、未覚醒の暗黒竜とそれを操る人間とを相手取った『天地竜王決戦』。その最前線にて闘い続けていた人の子。彼に付き添う人ならざるもの。
確か旧友である雷竜ヴェリテとも親しい仲だったはず。となれば見過ごすわけにもいかず。艦内の者達が何事かと声を上げるのも構わずヴェリテは甲板から地上へと飛び降りていた。竜の身体能力であれば人型でも着地は容易。
だったが、まだ竜種として幼い彼女は涙目になる程度には怖いフリーフォールであるのは間違いない。
そうして見つけた朱色の着物を着た黒髪の少女。気を失っているのか仰向けに倒れて目を閉じていたその娘を起こすと、彼女はきょろきょろと四周に視線を転じ、やがてじわりと目に涙を浮かべた。
やはりか。どうやらあの少年とは何らかの理由で離ればなれになってしまったと見える。あれだけ強固な絆で結ばれておきながら、おいそれと離れるようなことはないと思っていたが、それなりの理由があるのだろう。
だから以前の借りを返す意味でも、エヴレナは少女に手を差し伸べる。
「彼に会えるまで、わたしがあなたを守ってあげる!」
戦艦へ戻ろうというところで、大事なことを思い出した。
「あなた、名前はなんていうの?」
「……っ」
訊ねられた和装の少女は再度きょろりと周りを見て、手近な小石を拾って地面に二つの文字を書いた。
『さち』と。
「ふうん…?さち、さち……幸、かな?
ヴェリテが夕陽の世界に赴く際に勉強していたのを、少しだけ同席していたことがある。この程度の簡単な文字(漢字?と呼ぶらしい)はかろうじて記憶の中に留まっていた。これでも竜種の中では最高位のエリート竜でもある真銀の一族である。
「じゃあサチ、改めてよろしくね!わたしは偉大なる竜の抑止力、エヴレナだよ!ってわたしのことはもう知ってるか」
「っ」
あの時も話こそしなかったが、互いに夕陽を介して顔は合わせている。
「さて。じゃあ自己紹介も済んだし……って、んー?」
「……、!」
共に感知と直観には秀でた身。すぐさま接近してくる何かの気配を感じ取った。
「サチ下がってて。何か来る」
単身では戦闘能力のない幸を庇うように立ち、迫る気配に対し正面から構える。
次の瞬間、山を駆け上がり二人を覆い隠すほどの大きな巨体が岩場から跳び出した。
「…あん?おいあれ
足を組んでエヴレナの独断を面白そうに上空から眺めていた青年、ゼルシオス・アルヴァリアが見覚えのある特徴に同意を求める。
「ですね、ご主人様。あれ
彼の傍に控えていたヒルデが給仕服のミニスカートから伸びる竜の尾を揺らしながら主の言葉に首肯するが、厳密には『こちらにもいる』のではなく『こちらに来た』が正しい。
女神の杜撰な異世界人招来の影響で彼らの世界からは
彼らにとってはさして手を焼くような相手ではないが、はて彼女らではどうだろう。
ゼルシオスは意地の悪い笑みを浮かべつつ、戦艦に内蔵されている拡声機能をオンにして自身の声を地上に届ける。
「おーいエヴレナ!手ぇ貸してやろうか!?」
「いらない!!」
着地間際に繰り出された爪撃を幸ごと下がって躱しながら叫ぶ。巨大な白虎は少女二人のことなどついでとばかりに、仕留められなかったことも気にせず再び山肌を駆け上がる。
「サチここで待ってて!今なんか大変なものを見た気がするっ」
「っ!」
四肢に力を込め、跳ねる。その瞬発力たるや、出遅れたにも関わらず数歩で虎の怪物に追いつくほどであった。
「ねえ、あなた!平気!?」
空虎に並走し、安否を問う。もちろんそれは獣に向けられたものではなく。
その大きな口に嚙みつかれたまま運ばれている、不憫な少女に向けられていた。
「……そこそこ」
「あれっ意外と大丈夫そうだね!?」
下腹部から胸部にかけてをがぶりと噛まれているところから致命傷にも見えたが、よくよく見ればなるほど、牙は少女の肌はおろか衣服にも食い込んでいない。何か強固な守りの式でも持っているのか。
ともあれ、生きているのなら助けるべし。
「待ってて、ねっ!」
言うが早いか駆けていた足を地面から離し、小さな両足を揃えた渾身のドロップキックを虎の首へ叩き込む。
深く埋まった足が気管を圧迫し、虎は喘ぎにも怒号にも似た声を吐き出し真横に転がる。
口から離れた少女を抱き留め後退。大きく息を吸う。
体勢を立て直し飛び掛かる様子を見せた虎だったが、何をするにもエヴレナが一瞬早い。一気に吐き出した呼気に乗って白く輝く霧が噴き出る。
勢いよく放たれた白霧は直撃し虎を囲い込む。しばらく唸り叫んでいた虎は飛び上がる力も湧かなくなったのか、やがて弱ったように地に伏せその巨体を消滅させてしまった。
真銀竜の持つ固有能力、神竜のブレス。対象を安楽死へと誘う極めて凶悪な力である。
「ぃよし、快勝!このくらいならわたしの世界にだっていたもんね」
「……おみごと」
「うーんマイペース。さては結構修羅場潜ってるな?」
眠そうな半眼でパチパチと手を叩く少女を抱えていた状態から下ろし、とりあえずサチを待機させていた場所まで戻る。
「この辺に巣でもあったのかな。エサとして運ばれていたのかもしれないね、あなた」
「……あぶなかった」
「……」
あまり多くを話さない少女と、完全に言葉を発さない少女。そして唯一無邪気に沢山喋る少女。
これで案外バランスは取れているように見えなくもなかった。
「あなた、お名前は?わたしは誇り高き…いやもういいか、エヴレナだよ。こっちはサチ」
「…っ」
喋れない分、目いっぱいのジェスチャーで自らを示し、両手を前に出す。
しばしその手を見つめ、得心がいったのか同じく両手を出して握手を交わした少女は二人の顔を交互にじっと見、
「……シラノ、だよ」
「シラノ。また判別に困る名前だなー…サチと同じ世界っぽくはあるけど」
だぼっとした大きな白シャツは果たして本当にこの子のものなのかと疑いたくもなる。太ももまで届いているためまさか下半身は何も履いていないのかとややヒヤリともしたが、どうやら短パンを着用しているらしくエヴレナは無言で安堵していた。完全に部屋着か何かの恰好にしか見えない。
ただ藍色の瞳と自身と同じく銀色の髪、それに纏う神聖な雰囲気はどこか自分と似た性質を感じさせる。幸と同様、人ではない何かなのは間違いない。
首に掛けている黄金色のアクセサリーからも、神性すら漂わせる尋常ではない威圧を受け止めた。おそらくこれが空虎の噛みつきにも平然と耐えてみせた要因、彼女に絶対防御を敷いているものの正体。
「……アルと、はぐれちゃった」
「ああ。あなたもそのパターン?」
幸と同じように、しかしそれよりのほほんとした調子で周りを見回して件の相方がいないことを確認する
保護する対象が二人になった。
(なんて、わたしもヴェリテとまだ会えていないんだけどね)
三者三様、おそらくは捜索されている真っ最中の身。
「まあいっか。とりあえずあなたも一緒に行こ。いいかなー!?」
見上げる戦艦に声を張ると、甲板の縁から上半身を乗り出した
竜種の視力でそれの挙動を捉えたエヴレナは、竜化して二人を乗せると振り落とされない速度で戦艦へ帰来した。
「はっ。保育所じゃねぇんだがな、ここは」
「まあまあ。賑やかになりそうじゃないですか、ご主人様」
視線を戻し、広い大空を仰ぎながら呟くゼルシオスの表情は、彼の直観によるものか、言葉に反し楽しそうなものにヒルダには見えた。
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