憤怒を携え殺意に燃え


「…また、貴様らか」


 気配を読み取るや否や、買い物袋を全て持たせた上で連れていた小鬼の少女・篠を即座に自宅へ帰らせた。今からでは引き留めるのもおそらく間に合いはしないだろう。彼は雷竜と共に異世界へ渡った。

 それ自体は別にいい。数多の経験を積むことはかの愛し子、日向夕陽の掲げる悲願を成す為に大なり小なり糧となるはずだから。

 問題は、その引き金となった原因に神なる存在が絡んでいること。

「今度は一体何を企んでいる?あの子を誘い、私を弾く、その魂胆を吐け」

 商店街に連なる建物のひとつ、四階建ての屋上に影はふたつ。

 時刻にして七分前、この世界から別の異世界へと跳んだ夕陽の親にして師、人にして人を超えた力を秘す古強者。

 決して我が子には向けぬであろう鋭利な瞳と冷たい言葉を放つ日向日和が、片手で締め上げた女神の首を今にもへし折らんばかりに五指をさらに力ませる。

 出現を感じ取ると共に肉薄し、町民の誰一人に気付かれることなく屋上まで殴り飛ばしその手足をまず砕いた。此度の女神は少しばかり意向が異なるらしい。

 夕陽には懇願をもって来訪を頼み込んだそうだが、少なくとも先刻、商店街で夕飯の買い出しを行っていた日和の頭上に突如として現れた女神から指向された意思は明らかなる敵意。

 どうやら今回、日向日和の存在は歓待されていないらしい。

 まあ、そんなことも、正直どうでもいい。

「どうした。四肢を砕いた程度では神にとっては脅しにもならないか。心臓を抉り出して眼前で潰して見せたあと、丁寧に蘇生させてやるくらいでなければ口も割らないか」

 普段の彼女からは絶対に聞くことのない凄絶な言葉は耳に刺さるだけで恐怖を引き摺り出される。相手に人と同じ心や感情があればの話だが。


『簡単な話ですよ。退魔の神子』


 日和の右手で握られ圧迫されているはずの喉元から、一切の動揺を感じさせない声が発せられる。

『貴女の存在はわたしの世界に要らぬ火種を撒くからです。その力、即断で利用より排除を選ぶ程度には、わたしも考える頭はあるつもりです』

 新米女神もまた、他の者達に見せる『わかりやすく同情を誘う』スタンスを棄て、その態度は冷徹に障害の除去のみに変化していた。

『日向夕陽は我が意志に賛同を示しました。…まあ、目的は黄金の雷竜によって多少挿げ替えられてしまったようですが、修正するほどの大きな歪みには成り得ません。貴女とは違って』

「は」

 ゴキリ。

 小さな嘲笑と共に右手の握力がついに女神の首を折る。

「真新しい神格だと思っていたが、貴様本当に頭の足らん新参らしいな。ここまで来ると可愛げも出てくるか」

 全身を脱力させた女神の肉体を屋上の中央へ放り投げ、日和は夕暮れの涼風になびく黒髪を押さえて空を仰ぐ。

 そこには、たった今殺害したはずの女神の姿が浮いていた。

「あの子は貴様如きにどうこうできるほどやわではない。精々悔やまぬように賢く立ち回ることだ。利用などと、甘く見たことで貴様の世界が地獄を見ないようにな」

 仮にも女神。浅くとも神格。自身と同質の実体を生み出すくらいはやってのけよう。屋上に転がっていた死体はいつの間にやら光の粒になって消えていた。

『……初手初見にて、仕損じた時点で抵抗は無意味ですか』

 滞空する女神は背に光翼を生やし、真下から見上げる日和を無機質な瞳で眺め、人差し指を向ける。

『どうぞご自由に、おいでませ。とてもとても、歓迎は致しませんが』

「気が済んだのなら失せろ。もとより貴様の許可など要らん」

 日和が真横に掌を伸ばすと、その空間が楕円形に歪曲する。

 もはや日和にとっても茶飯事となりつつある、独自の術式による強引な世界転移。

 溜息ひとつ、日和は異世界の入り口に片足を踏み入れながら怒気を孕んだ殺意の言を投げる。


「貴様が無造作に異世界へ孔を空ける弊害、よもや理解していないわけではないだろうな」

『ふむ。…はて?』


 今度こそ日和は常人であれば卒倒するほどの殺気を全開にして歪む空間の先へ消えた。






 新米女神は多くの異世界へ空間の孔を抉じ開け、そこから異界の強者を呼び出している。

 世界と世界を歪ませる影響。行き来するものは生物だけではない。

 たとえばこの世界。夕陽と日和の住まう世界から流出したのは理と法則。

 在るべきものが無くなった世界には何らかの形で違和感が残る。それはやがて広がり世界の維持、根幹そのものに揺らぎを生む。

 早急に流れ出た世界の理を引き戻し孔を塞がなければこの世界が壊れる。


(ここは君が住み、君が学び、君が生きる世界だ。はた迷惑な女神の一挙一動で綻ばせてなるものか)


 日向日和は極大の力を持つ人を超えた人であるが、正義の味方ではない。

 世界を救う為に、などという大義名分は要らない。

 彼女が一心不乱に何かを行う時、そこにはいつも愛しく大事な我が子の姿がある。

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