〝同一〟の概念体【Theseus's】


『その髪は私。その爪は私。その指も、その眼球も、その垢も唾液も心音も』

『私私わたしワタシわたし私全てが私たとえ欠損しようと断裂しようと破断しようと私が私であるからには私は必ず私である』


『わたしは、わたしじゃなくても、わたし???』





 ボロボロの布切れのようなものを幾重にも身に巻いた矮躯の女性形の概念体。髪を振り乱しうなされたように何事かを呟き続けるその姿は、自身の理に侵された結果として概念体の本質そのものに亀裂を生んでしまった『異常流出』の一体におけるさらなる異常エラーの権化。

 



   【Identity Paradox】


 Theseus'sの領域は他とは少しだけ違う。あらゆるエリアを当てどなく放浪している点は同じだが、Theseus'sは生物と出会った瞬間から領域を展開する。強制転移にも近いもので、抗う術はほとんどない。気付いた時には引き摺り込まれている。


 そこは巨大な廃船の上。周囲は海ではなく一面の流砂。死んだ船を死んだ世界が流していく灰色の世界。歪曲された法則の観る果ての夢。

 世界を支配する彼女の法則は『同一性』。ある物をある物として成立させるに足る要素たるや如何なるものかの問答を具現化させたもの。

 攻撃方法は素手のみ。はっきり言って弱い。

 ただし死なない。いや違う、厳密には殺せない。

 傷も欠損も、瞬時の内に『無かったかのように』元に戻る。その際、苦痛は消しきれないのか狂気に満ちた叫び声を上げる。

 治癒ではない。再生ではない。見た目は元通りでもそれは代替しただけに過ぎない。ダメージを負うごとにTheseus'sは本来の形からかけ離れていく。


 脳や心臓といった人体における急所を破壊した場合、あるいは代替率が八割を超えた場合、Theseus'sは真に狂う。

 それは同一領域の暴走、過剰代替とでも呼ぶべき現象を発現させ、Theseus'sはそれまでの(狂ってこそいたが)まだ人の形を保っていた状態を棄て、異形の怪物と化す。

 腹から腕を生やし、足から内臓を生やし、頭から頭を生やす。とにかくちぐはぐにバラバラに無秩序に不安定に。それはまるで自身が無くしたものすら分からなくなった異常を体現するかの如く、滅茶苦茶に体の部位をあらゆる箇所に生やし続ける。それは際限なく続けられやがては廃船を押し潰すほどの巨塊となるだろう。


 純粋に広範囲殲滅の力があればさして苦戦するような相手ではないが、一瞬で巨大な肉塊を蒸発させるだけの火力は必要。少しでも肉片を残せば、それに思考能力が備わっておらずともオートで再び増殖を開始する。

 常に自身の存在を確立させる問い掛けを投げ続けてくるが、これに対し否定的な意見を強く言い続けることで自壊する特性がある。あるいは『増え続けるその体は既に本来のお前ではない』といった旨の回答をすることで絶叫と共に弾け飛び自害する。






   『攻略メモ』

 元々のイレギュラーがさらに異質化したもの。法則が意思を持つことでその矛盾性に耐え切れず狂った。

 戦場たる廃船は、その法則の由来となった船の逸話から具現されている。構成する全ての部品が別のものに置き換えられた時、現在の船は部品を入れ替えるより前の船と同じものであると言えるか?


 Theseus'sは自身が過去現在未来で必ず同一の存在であることを信じて疑わないが、破壊されるたびに理の修正が働いて失った肉体が補填されていくことに耐え難い不快感と恐怖を覚えている。全身くまなく破壊されたのち、同一領域の法則にて全快した自分は、果たして本当に破壊される前の自己と同一なのか。その思考に行き着いたのが発狂の原因。


 同一領域を正しく概念体として機能させていたならばほぼ真性の不死を得ていただろうが、歪み狂ったせいでその性能をほとんどまともに動かせていない。

 しかしながら概念体としての面倒臭さは例に漏れず、完全に倒しきるにはそれなりの手間と工夫が必要。法則・理としての厄介さは消失したが、無限に増え続ける『同一のTheseus's』が一塊となって巨大な腕(のようなもの)や脚(のようなもの)を振り回してくる物量攻撃は純粋に鬱陶しい。

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