帰還


 破壊の化身はいつの間にやら体から消えていた。力は貸したからあとはお役御免ということなのだろう。

 礼を言うような間柄ではなかったが、去り際もヤツらしくあっさりしたものだった。いつか、また、あの戦闘狂の女とも矛を交える時が来るのか。

 そうしたら、今度はちゃんと真っ向から地力で勝てるくらいには強くなろう。そう強く思うのだった。

「…さて」

 そうなれば、最後に手放すのはこの力。

「悪いな。お前もお前で手一杯のはずだったのに」

 右腕のスカーフを解き、灰にさらわれるままに中空へ放る。

 本来の持ち主、力の根幹。

 灰を癒す少女の面影が、集束する灰の中から薄っすらと浮かび上がる。

「……っ」

 〝憑依〟を解除したことで現出した幸が小さな両手を伸ばすと、灰の両手が優しく握り締めた。もはや言葉も発することは叶わないのか、姿形だけを模倣した少女の残影は何一つ口にはしない。

 共に無言。だが想いは通じ合っていた。

 それは俺も同じ。言うべきこと、言わねばならないこと。あるような気がするが、長くを語ればそれだけ無駄が生じる。

 頑張っている者にこれ以上頑張れとは言えない。だから俺から少女に向ける手向けの言葉は一つきり。

「出来るよ。お前ならきっと出来る」

 気休めではない本心からの本音。そしていつか叶う事実。

 この子はいつの日かきっと、全てを癒し天上へ昇る。

 俺達はただその日を迎えるまでを願うだけ。

 空の雲間から差し込む陽射しに当てられて灰の姿が霞み始める。繋いでいた手が崩れ始め、ついには幸との接触も離れた。

 名残惜しそうに灰の末端を伸ばした少女も、やがてゆっくりと四肢を垂らして消えゆく灰と共に姿を薄らいでいく。

 最後の表情は笑み。何の屈託も無い、迷いの晴れた気丈な意志が伝わる。

 ラスト・アッシュの総体を抱える無垢なる少女の魂は、そうやって消えていったのだった。




     -----


「初めからそうしていれば良かったのに、と思っているかい?」


 第一コロニーの外縁付近に彼女はいた。追い付いたところで背中を向ける和装姿の日和さんはまずそう問うた。

「最初からあの方法を採っていれば、クローンは一人も死なずに済んだのに、と」

「……いいえ」

 日和さんが言っているのは、あの真名付与の件。あれだけのことが出来るのなら、ここまで無理を通して抹消に力を注ぐ必要は無かったのではないか。

 何も知らなければそういう考えも出来たかもしれない。

 でも。

「貴女は困難な最善を選ぶ人じゃないですけど、短絡的な悪手を択ぶ人でもない。やっていればよかった、よりも、やれない理由があったと俺は思っていましたけど」

 幸を連れて日和さんの背中に向けて歩く。いつもより少しだけ、小さく見える背中が近づく。

「俺に与えてくれた名前。あの時の術式が並々ならぬ技術と力が必要なものだったのは知ってます。本来なら、たった一人でこなせるようなものではなかった」

 予想だが、数十人ほどの術師が纏まってようやく行使できるレベルの難易度ではないのだろうか。

 真名はただの呼称に終わらない。それは性質や属性を内包する個を決定する最大の要素。

 そんなものを簡単にいじくれるわけがない。

 ラベルを貼ったり剥がしたりするだけで、その器の中身までが変化することはない。存在構成を丸ごと変異させた上で名を与えるのが真名付与の真髄。

 それを二人分。一体どれだけの常識破りを重ねれば一人での完遂を可能とするのか、俺にはとんと見当が付かない。

「俺のせいですよね。俺が無理を言ったから、貴女はしなくていい無理を通してくれた。俺が我儘を言ったから、貴女はそれを聞き入れてくれた」

「君は私を納得させた。君は私の提示した条件を満たした。それに報いただけのことだよ。君には責も何も無い」

 日和さんの隣を追い越し、今度は俺が彼女に背中を見せる形になる。そのまま腰を落としてしゃがみこむ。

「なら今度は俺が応える番ですよ。…散々世話になってきたんだ、たまにはこういうのも悪くないのでは?」

「…ふ」

 短く少し笑って、日和さんは靴を擦らせて歩を進める。屈んだ俺の背に、とてもあれだけの怪物傑物を打ち倒してきた者とは思えないほどの軽々しい重量が寄り掛かった。

 後ろ手に腕を回して足を抱え、立ち上がる。

「懐かしいものだよ。遊び疲れた君を、こうやっておぶって帰っていた頃を思い出す」

「そっすね」

 その時と構図は真逆。身長も体格も彼女を追い越そうというのに、未だに内側はまだまだ未熟なまま。

 そんな俺でも、親であり師である女性を背負って運ぶくらいは出来るようになった。

「君の、言った通り。…真名付与は多大な力の消耗があってね。普通は二人同時になんて行える術式じゃあないんだよ。今回は『日向日和』という下地を引き剥がして新たに張り直すという手間もあったから、尚更にね」

 耳元から聞こえる日和さんの声が、だんだんと断続的になる。

「それに…ここに来るまでに、力を使い過ぎた。決戦礼装の結界もあの三人との、戦闘で破壊されたし、割と君の一撃は効いていたよ。だから胸を、張って良いんだ。君は」

 背負う身体が弛緩していく。やはり想像以上に疲弊していたらしい。

「ありがとうございます。それと、お疲れさまでした」

「んむ。……君も、よく、がんばった」

 言葉が萎み、代わりに寝息が聞こえる。隣を歩く幸が人差し指を口元に当てる仕草に笑みを返す。極力、音を立てずに静かに。

「帰ろう。俺達の戦いはこれで終わりだ」


 霊障怪異が跋扈する世界に身を置く異能の者達は、それきり何も話すことなく静かに静かに、異世界の敷居を越えて元の地へと帰還した。

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