約束 『そして灰は』


 何度、死んだだろう。

 ある時は意識のあるまま全身が炭化して死んだ。

 ある時は手足が千切れて死んだ。

 ある時は瓦礫に潰されて死んだ。

 焼け死んだ回数が一番多かった。

 ラストアッシュに内包された、星が灰に埋もれる前に生きていた者達の魂とその記憶。

 最も恨みを抱いた死の間際。その記憶きばを用いて精神を削り取ろうという彼ら彼女らの強い呪いを感じる。

 本当に辛かったと、思う。とても同情する。

 子供も女も老人もいた。全てが等しく戦火に晒され異世界の蹂躙に成す術なく殺された。

 本当に苦しかっただろう。どれだけ『カンパニー』が憎かったか。意識と精神を強引に繋げてきたからこそわかる。皆の心は今や我が心と同義。

 だから気持ちは、本当に、痛いほど、解る。

 ……だけど。


(邪魔だ)

 過去テメェ現在こいつを、絶望の捌け口に使うんじゃねぇ。


 一つ、引き摺り出す。

 十を鷲掴み、百を放り投げる。

(出て行け、この娘の体を空け渡せ)

 千に呑まれながら、薄れる意識でなんとか薙ぎ払う。

(…っ。巻き込むな、この娘は、まだ!生きてるだろうが…!)

 万の魂、あるいはそれ以上。

 いくら引き剥がしても底が見えない。とてつもない〝憑依〟の体質。死に体とはいえ、ここまで取り憑かれて即死していないこの少女は、きっと類稀なる特異体質に違いなかった。

 だからこそ選ばれてしまったのかもしれない。

 一度死ぬごとに摩耗する。心が死を受け入れそうになる。

 漆黒の先に光明を信じて。負に染まり切った魂を少女の体から分離させる。

 だけど、これは流石に。

(―――俺は。おれ、は…?)

 果たして生きていたのだったか?

 意識が混濁する。他者の魂に触れ過ぎた弊害。自身の存在が正確に把握できなくなっていた。

 日向夕陽は、かつて異世界の侵略に屈した星の一市民、だったか?

 ではなかったか?

 そうでなければこの記憶は何だ?誰だ?私は、僕は、おれは、儂は。

 〝憑依〟の適性値が高いということは、浸食による抵抗値の低さをも露呈させる。

 自己以外を受け入れやすい体質。取り憑かせ易いということ。だからこの手の精神干渉には脆い部分がある。

 それでも日向夕陽は特別だった。数多の死線を潜り抜け闘い、生き残ってきた彼の精神は凡庸な魂を遥かに凌駕した耐久性を獲得していた。

 けれどそれは、あくまでも人の範疇。

 まともな人間が、数百万の負念を前に正気を保てる方がおかしい。

 心が壊される。体が奪われる。

(まだ)

 果たせていないのに。

 瞳から光が失われていく。日向夕陽が日向夕陽でなくなる、その猶予で。

 両手が伸ばされた。

 小さく細い、少女の腕が彼を後ろから抱き留めていた。

「ごめんなさい。あと、ありがとうございます。わたしのために」

「…お前」

 触れた瞬間に思い出した。自分のこと、すべきこと。

「助かった。続ける」

「ううん。もうだいじょうぶです」

 言葉の意味がわからない。

 まだ少女の肉体には数万のラストアッシュ総体の一部が棲み付いている。何もかも大丈夫ではない。

「わたしも、思い出したんです。やるべきことを」

「何を言って…」

「わたし、助けたかったんです」

 意識だけの空間。その暗闇の中で、背後に感じる温もりだけが存在を誇示している。この悪霊の巣窟で、彼女だけが本質を維持し続けている。

「わたしは灰の悪霊を宿す素体として、あの『カンパニー』の空襲で生き永らえた体を利用されました。でも結果だけで言えば失敗していた。実験を行った『よはん』とかいう人はまだ研究が完全じゃなかったみたいで。だから必要な肉体以外は切り離したはずなのに、わたしの意識たましいはまだ残ってた」

 ラストアッシュの容れ物としての素質を見込まれた少女の魂は消された。少なくとも当時未完成な研究でも関係なく人命を利用したヨハン・V・ベニスはそのつもりだった。

「だから気付かれる前に身体を捨てて逃げたんです。その時に、こっそりラストアッシュの一部を抜き取って」

 そこまで聞いて夕陽は合点がいった。幸との二重憑依でありえないほどの出力を感じていたのはこれが理由。少女が持ち去ったいくらかの霊力がそのまま繋げた魂魄を通じて流れ込んでいたのだ。

 だがそれでも疑問は残る。

「お前の力を借りる時、悪霊の気配なんて感じなかったぞ。ラストアッシュは怨念と憎悪の塊だろ」

 そもそも出会った時から少女の内に邪気はなかった。少女は耳元でくすりと笑う。

「そりゃそうですよ。持ってきた魂のひとたちとは、もうとっくに和解しましたから」

「和解…だと?」

「えーと、じょうか?って言うんですかね。とにかくすんごい長い間お話しして、やっと―――十四万と七百六十五人、わかってくれました!」

 理解すると同時に絶句する。

 絶望により黒く昏く染まった怨恨の魂を、一つ一つ丁寧に対話して、悪霊と化していた楔を引き抜いた…浄化したというのか。

 確かに不可能な話ではない。ないが、そんな原始的な方法ではたった一つ浄化するだけでも何年と掛かる。いくら意識体で時間経過の概念が通常の世界とは違うとはいえども。

 この娘、一体どれだけの月日を懸けてそこまでの人魂を癒して来たのか。

「でもさすがに疲れちゃって。気づいたらそこら辺のお家でぐーぐー寝ちゃってました!それに記憶もあやふやになっちゃってて……でもやっと思い出せたんです。ゆーひさんのおかげです!」

 自分のおかげ。笑い混じりにそんなことを言う少女に返す言葉が見つからない。

 喉がひくつく。

「わたしは体にいる残りのひとたちともお話しして、それから外に散らばってるみんなとも、ちゃんと仲良くなります。そうすればきっと、みんないっしょに天国にいけますから!」

 発言の真意を読み取る。

 少女はもう生きることを望んでいない。より正しくは、肉体の死滅を予感している。

「やめろ」

 声が。

「もういい」

 震える。

「お前がこれ以上、頑張る必要はない」

 ラストアッシュの総体がどれだけの魂魄を抱えているか、知らないわけではないはずだ。

 少女は一度壊れた。記憶障害に陥り知りもしない家を拠り所に一時的な休眠を取らねばならないほどに。

 そこまでやってもまだ一部。総量に対し一部でこれだけの負担。

 追い出すだけなら、滅尽ただ一つを目的と掲げるならやれた。だけど、これはあまりに途方もない。

「そんなことしなくていい。んなもんは義務でも責務でもない!お前がやらなきゃならないことなんざ一つもないだろうが!」

 素体に選ばれた彼女が一番不遇なはずなのに。一番涙を流して嘆いていいはずなのに。

 それでもこの娘は笑って見せる。

「義務じゃなくても。責務じゃなくても。わたしにしかできないことなら、それはただひとつわたしがやるべきことなんです。それを…あなたが思い出させてくれた」

 呪いのような覚悟。

 思い出させてしまった自責に潰されそうになる。

 あの時、あの家で。問答無用で斬り捨て強制的に成仏させていたなら。

 ここまで酷い展開にはならなかったのに。




「―――……お前は」

「はい」

「後悔してないのか」

「もちろんです」

「俺はしてる」

「みたいですね」

「でもお前はやるんだろ」

「そうしないと無念すぎて、わたしが成仏できないですから」

「わかった。…ラストアッシュは、お前に任せる」

「ありがとうございます」

「お前のことは俺に任せろ」

「ですね。あなたにしか頼めません」

「……」

「……」

「……」

「…あの。ありが」

「黙れ。お前はもう言っただろ、それは俺に言わせろよ」

「……はい」




 目を開く。そこは意識ではなく肉体も存在する現実の世界。

 ざわめく灰が暴れ回る。宿主の異常を察知して悲鳴を上げる。

 ラストアッシュは〝憑依〟によって力を発現している。一つの生体を介して全ての出力を操っている。

 悪霊の処遇は彼女に預けた。こちらは彼女の最期を任された。

 俺のやるべきことも、また一つきり。

 抱えていた少女を甲板に降ろす。

 刀を取る。体の震えを正確に伝えて、持ち上げた切っ先がカタカタと鳴った。より一層力を込めて、握る柄から血が滴る。

 ならねばならない。彼女はそれを望んでいた。

 俺にしかできないことだから。

「ありがとうな」

 少女は瞳を閉じたまま、少しだけ口元に笑みを浮かべる。

 それを返事と受け取って、刃は静かに少女の胸へと沈む。

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