依頼その玖 『VSヨハン・V・ベニス(中)』


「悪霊の宿主、つまり〝憑依〟の対象に相応しい人間は極めて稀だ」


 景色の変貌にも特段驚く様子もなく、自らが従える悪霊を意のままに操るヨハンは大成功した研究の結果を報告するように機嫌良く語る。

「誰でもいいわけではなかった、確かな適性を持った者でなければならなかった!有象無象の役立たずでは人外を受け入れる器足り得なかった!選ばれたことは非常に誇らしいことだったのだよ!!」

「それがあの娘か」

 声まで幼く戻った日和が、身の丈の倍ほどになってしまった剣帝剣・白兎を器用に扱ってフェイトなる悪霊を牽制する。

 これまでの段階でもそうだったが、これは殊更に接触を避けねばならない。不意打ち気味だったとはいえ日和の決戦礼装の防護を貫いて干渉を及ぼした能力は危険だ。

 次触れれば赤子か、それ以前…人の形すら保てないかもしれない。

「私としては日向夕陽という最高のサンプルに迫る適性を期待していたのだが、ハッ!中々どうしていないものだ。…いや、あの小童だけが特殊過ぎるだけの話だったのかもしれんがな」

 船の基盤を利用した金剛の術は触れた瞬間に腐り落ちてしまう。炎は着弾したと思えば鎮火。超速で時を刻んでいるらしき悪霊の体に定速の技は威力が追い付かない。

「はあ。〝我が身は陽を宿す者〟」

「やはりそうくるか退魔の直系者!」

 日向日和の真名解放。同時に悪霊の腕が伸ばされる。

 あえて受けて立つ。小さな拳が悪霊の掌に打ち付け、衰退と繁栄が競り合いを始める。

(やはり時間操作。それも性能があの魔女に匹敵する)

 触れた箇所から流し込む真名が押し留められる。急速な衰えが超速で経過する時間に流されゆく。

 かつて高月あやかと一戦交えた際にも起きた、〝増幅〟の異能による再生能力との拮抗に状況は似ていた。

「あのガキは一体何者だ!?答えろ日向日和!」

 しばらく能力同士の優劣合戦を繰り広げていると、悪霊の後方からがなり立てる狂気の研究者が両手を広げて問うた。

「あれは〝憑依〟を得手とするのではない、あれは適性があるという話では収まらない!〝憑依〟の為だけに設計されたかのような、不自然なまでの調整痕を私は見逃さなかった!!」

「……」

 日和は黙して何も返さない。

 押し付けたままの拳を握る力が強まる。

「貴様の世界ではあんなものがいるのか!?ははは!これは研究意欲がまるで尽きんなぁ……そう。あれはまるで、貴様と同じ―――」

「〝壱式・鳳発破〟」

 拳の先から大気を喰らった火球が膨張し炸裂。ダメージこそ無いが衝撃で悪霊が弾き飛ばされる。

「関係があるのか?」

 酷く冷たい声が、殴打と共に悪霊を叩きつける。接触に際し、肉体の変動は起きていなかった。

「なんだ…?」

「貴様に関係があるのか?」

 突然の不変に訝しがるヨハンには答えず、日和の連撃が純白の装甲を破壊していく。

「これから死に逝く、貴様に?」

「…っ、そうか貴様。〝反転〟の異能…!」

 彼とて天才の部類。すぐさま現象の正体を見破るに至った。

 日向日和の持つ異能が一つ、〝反転〟。

 表を裏に、天を地に、光を闇に。

 そして逆行を経過に。その逆も然り。

 接触で起きる若返りを止め、悪霊の憑依経験歴を逆戻りさせる。

 全盛期に最大七十時間の時間反転を行い過去改竄と未来修正を施したなら、この程度は造作も無い。

 悪霊は能力を自身に掛け続け性能を天井知らずに上げている。今はまだ勝っている上、真名によってその能力を抑え付けているから勝算は大きいが、無限に強くなる敵に対してはいくら日向日和とはいえ余裕を見せてはいられない。

 短期に決着をつける。

 〝反転〟を編み込んだ真名を通しあらゆる攻撃が敵の影響外となった。着物を引き摺り、懐から放った短刀が悪霊の足裏を穿ち後退を阻害。苦無が胸を貫き膝蹴りで胴を破壊。くの字に折れた悪霊に振り落とした長剣が断頭した。

 崩れる体は鱗粉のようなものを撒き散らし崩れ落ちる。だが決着にはまだ早い。

(まだ変わるか)

 散った粒子は白色から澱みを帯びた黒色へと変化し、新たな何かを形成する。

 完成前に仕留めるべくもう一度落とした剣はいちはやく形を成した槍のような形状の武器に阻まれ、立て続けの三撃もいなされた。

 明らかな戦闘能力の上昇。段階を経るごとに強くなっている。

「ふふ、ははは。まさか、まさかここまで到達できようとは!!フェイトの時間加速、貴様という最強との経験。これらが無ければ不可能だっただろう!貴様にはいくら礼を述べたところでまず足りん!」

 高らかに喜びを謳う科学者には取り合わない。無言で特大の火砲を両掌から撃つ。

「無駄だ」

 並の人外なら防御も間に合わず消し飛ぶ威力。それを槍を携えた悪霊は器用に。極めて精密な技量を以て火砲の指向性を分散し、飛び散った火球は数百メートル後方先で着弾。周囲の船を破壊し燃え移る。

「跪け。貴様を含む諸人は、既に私という創造主に頭を垂れねばならんのだ!」

「貴様のような気狂いが何を創造すると?」

 剣にルーン文字の強化を施し槍との近接戦に臨む。日和の慧眼はこの悪霊の新たな性能を看破しつつあった。

 火砲を散らした瞬間、肌に覚える奇妙な感覚があった。純粋な技術による逸らしではない。いや、確かに逸らしてはいたのだろうが、そこにこそ黄金と化した鎧の姿に変貌した悪霊の真価がある。

 自身は直接戦闘に参加していないにも関わらず、興奮からか息を荒くするヨハンは日和の発言にこう返した。

「世界だよ。私は新たな世界を作る。そして歓喜の歌を紡ごうではないか」

(話にならん)

 もう何を返す気にもならなかった。研究者もこれ以上無意味な言い合いをする気は無いのか、それでも一人いつまでも興奮に満ちた戯言を吐き続ける。

最終段階アン・ディー・フロイデ…ここまで来たからには、この世界になど用はない。既存の世界を書き換える必要は、無い!!」

 意思に連動した一際強烈な刺突を長剣で防いで下がり、槍を天へと掲げた悪霊の動向に注意を向ける。

「さあ!我が喜びを祝え!星空の上に主を求めよ!彼方にこそ神は必ず住みたもう!」

 天空に突き翳す槍の切っ先が、歪む。

「新たなる世界へ勝鬨を上げろ!〝時流の刃カレントリィ・シュヴェールト!!〟」

 歪む切っ先が空へ一閃を引く。

 それは文字通りに世界を斬り裂き、未知への扉を生み出した。

(空間を歪ませ、次元を裂く力…。この男、本当に世界を超える気か)

 火砲を防いだのも、あの力の応用によるもの。

 空間を断ち、次元を渡る。それは人間が到達するには遠すぎる所業。

 ヨハン・V・ベニスは独力の知識と研究で神の領域へ足を踏み入れようとしている。

 かつて殺した現人神とはまた違う方向性だが、成し遂げた御業は確かなもの。

 であるならば。

「やはり殺さなくてはならない。その力、人には過ぎたるものだ」

「…貴様とて神に至れる人間だろうに、持ち腐れおって」

 木行で生み出した蔓を紐代わりに、余る裾と袖と腰回りを結って縛る。幼き瞳には確然とした意志が静かに燃えていた。

 狂った研究者には万の言葉を尽くしたところで止まる術は持たない。それにどの道、空に開いた次元の扉は悪霊を滅するまで消滅しない。

 開き切ったら終わりだ。それまでに片をつける。

(まったく。済まない夕陽、君の援護には間に合いそうにない)

 大船団の中心で闘っている子へと心の中で深く謝り、日和は体勢を深く沈める。

 歓喜の歌を止める為に。

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