幕間5・一難去って、また


 敵を、殺さねば。

 勝たなければ。

 退魔師として、最強として。

 私は。


「違うよ」

 何が。

「君は私じゃない」

 わたしは。

「違う。君は日向日和じゃない」

 なら、いったい。

「君は私の子。大切な我が子。思い出しなさい。幸と生涯を結び、人と人ならざるものの為に戦う決意を秘めた君は誰だい?」

 わた、しは。

 いや。

 俺は。




     -----

「…はぁ。まったく。かつて自分が死にかけた時より肝を冷やしたよ」

「ぁ…」

 真っ先に視界に入ったのは、曇天の空。コロニーの天井を背景に顔を覗かせた幸の顔。

「…っ」

 意識が戻ったことに気付くや否や、ばっと胸元に顔を埋めた童女の頭を、ほとんど無意識に撫でる。

「幸」

「動かないで。即席の処置だが君の致死を今、抑えている最中だ」

 初め、撫でようとして動かそうとした左手が動かないことで思い出した。

 ガーデン・ライラックとの死闘。

 俺が行った禁忌の〝憑依〟。

「色々と言いたいことはあるけど、まず一つ。もうアレは使わないこと。あれは人格汚染だ、君を君以外のものに染めて上限知らずの化物へ変転する外法。幸と、…地縛霊かい?その子が全力で君の自由を奪わなければ戻ってこれない領域まで踏み込んでいた」

 覚えている。俺はもう俺を日向夕陽だと理解していなかった。当たり前のように思考は日向日和として動いていた。

 最終盤で酷使された身体が限界を迎えて停止したと思っていたあれは、どうやら内に居た二人によって強制的に機能を止められたことに起因するものだったらしい。

「夕陽。痛みは?」

「え…ありません」

 まったく体を動かさず仰向けに寝ているだけなので、起きればまた違うとは思うが。

「ならいいか。ゆっくりでいい、起き上がってみて」

 何かを確認したのか、日和さんが俺の背に手を回して起きる手助けをしてくれた。言われた通りに緩慢な動作で上体を起こしてみると、痛みは微々たるものだった。

 驚くことに左腕も動く。今は包帯の代わりか、日和さんが着ていた長羽織の一部が指から肩まで巻かれていた。

「まだ無理は厳禁ね。形代による怪我の肩代わりは通常受けた瞬間でなければ発動しないが、当人以外の高等術者がいれば事後での傷病代行はある程度まで可能なんだよ」

 言って、日和さんは手の内にあった人型の紙札をくしゃりと握り潰した。俺も使ったことがある、致命の一撃でも代わりに受け止めてくれる呪具、〝形代・穢祓〟だ。

「とはいえ致命傷だけだ。他の傷にまでは回せなかった。まあ、そこは私の真名とそら姉ぇ―――陽向家の精鋭の〝模倣〟によって補った」

 俺を中心に地面に浮かぶ光芒が円陣を描き、そこから仄かな光が昇っている。身体を見下ろせは確かに酷い傷もまだ多いが、不思議と痛みを感じないのはこれのおかげか。

「『陽向昊』によって回復力を爆発的に引き上げ、『陽向日和』で君の精神汚染を消し去った。傷口を縫うのに私の髪を使ったりしたけど気にしないで、痕も残らないし傷ごと同化するから」

「相変わらず、お見事な手際で…」

 意識を失ってからどれだけ経ったかわからないが、まだそれほど時間は経過していないはず。その間にこのコロニーへ戻ってここまで処置を施したのだから、なんというか、日和さんだなぁという感想しか出て来ない。

「そうでもないさ」

 謙遜でもなさそうにおざなりに答えた日和さんが、俺に紙束を差し出す。

「これは?」

「あまり時間は無かったが、この世界の情報をいくつか、重要そうなものだけ見繕って持ってきた。ことは『カンパニー』だけでは済んでいないらしいね、探偵事務所だの、うるくすすなんちゃらだの、随分錯綜している」

 プリントアウトしてきたもののようだ。ペラペラと捲ってみれば各勢力とその所属、危険度などが付随されている。

 あの狂戦士の情報もあった。ミザネクサ、とかいう組織の幹部。

「狙われているのは私と、君もだった。異世界案件に関わり過ぎたね、サンプルとして回収するつもりだよ」

「上等。と言いたいとこですけど、それはマジでヤバいですね…」

 異世界者はあまりにも強過ぎる。俺では勝てない相手の方が多い。

「灰の怨霊についても記述があった。ラストアッシュとかいうそれは前から出現記録があったようだが、今回のはそれに輪を掛けて厄介だとある。危険度指定は堂々の星5だ」

 そんな気はしていた。

「ただ、やっぱり場所までは分かっていないんですね」

 紙に載る情報を目で追いながら言う。船で起きた事件やそれ以前、灰の怨霊達の生前についてもいくらか書いてあったが、問題の居場所は依然として不明とある。

「場所なら、分かりましたよ」

 横合いからの声に顔を上げると、人化状態のヴェリテが金髪を手で払いながらこちらへ戻って来ていた。

「あの痴女が去り際に教えてくれました。彼女もある組織の幹部らしく、そういった事件の云々に関して嫌でも耳に入っていたそうです」

「ルーチェ・メリル…」

 甘々な交換条件に乗ってくれた『四牙』の一人。もう行ってしまっていたか。結局、礼も言えなかった。

「それで場所は?」

 一度も会っていないからか、興味なさげな様子の日和さんが単刀直入にそれを問う。ヴェリテも勿体ぶることなく即答した。

「外です。コロニー外」

「そうか」

 これは俺も日和さんも予想していた。となると戦場は…。

「夕陽。君、無呼吸で何時間保つ?」

「基準がそもそもおかしいんですけど」

 人間って酸素無しで何時間も生きていられたっけ?

「んむ…。しかし五行は使えるだろう?精霊種を使役できるのだから、風精を使ってコロニー内部から酸素を送り届けてもらえばいい」

「んなこと出来るんですか?やり方わからないですが」

 いくらか泣き腫らしてしまった目元を拭ってあげながら視線で訊ねてみても、幸は首を左右に振るうばかりだった。

 圧倒的に練度不足だ。日和さんのようにはいかない。

「なら別に方法を考えないとだね」

 考えると言いつつも、既に何か妙案があるかのような自信…いやこの人はいつもこんな感じだったか。

〝……〟

 次は二酸化炭素の満ちる死の星、灰の海での一戦となる。

 だがそれを考える前に、俺は意識が戻ってからずっと無言を貫いていた地縛霊の娘の方に気が向いていた。

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