依頼番外 『逆鱗暴走vs逆鱗乱舞vs…(後)』

 初めの一撃は雷竜だった。

 球状に囲う水の檻をブレスで破壊した時、顔を真横から殴りつけられ地面に落ちる。七メートル大の竜の質量をものともしない重撃に、怒れるヴェリテの矛先はすぐさま竜舞奏から眼前の女へと変更された。

「曲がりなりにも貴様に託したのが間違いだったか?ならば私が謝ろう」

 暴風の如き竜の挙動を完全に押さえ、鞘でカウンターを叩き続ける。『竜殺し』を獲得している刀の鞘にも込められた霊力は黄金竜ヴェリテに確かな痛撃を通す。

「済まなかったな。やはりきさま如きにあの子を任せた私の過失だよ」

 顎を沈める竜の頭を踏みつけ、嘲りの言葉を落とす。

『……ッッ』

 ギロリと睨み上げるその瞳には、これまでとは違う感情の流動があった。

 力任せに足を振り払い再びの飛翔。今度は広範囲に渡る雷撃と自身に流す電流の鎧も展開した。

「ふん、なんだ。暴れ回っている割りに自我は残っているじゃないか」

 激怒。

 逆鱗に触れたことによるものではなく、ヴェリテ自身が日向日和へ向ける確かな怒り。

 竜種の本能が特定部位への接触に対し半ば強制的な暴走を引き起こしているのだとしたら、これは全てを破壊するまで終わらないだろう。そうでなければ、強大な力を有した誰かが止めるまで。

 止めるなどという生易しい行為ではなく、殺してもよかった。

 ただ、

「……はぁ。なまじ力を示し過ぎるのも良くないな」

 出来るだけ頑張ってみたけど止められなかった。だから殺した。

 そんなことを彼が鵜呑みにするとは思えない。想像がつくのだ。

 『貴女なら止められたはずだ。俺の信じる最強の貴女なら』。

 きっと少年は臆面もなくそう言い切るはずだから。

 そうと分かれば手は抜けない。彼の期待に外れるわけにはいかない。

「感謝しろ。生かして止めてやる」

 指に挟んだ苦無を五つ、手首のスナップで器用に投げつける。

 狙いは竜ではなく、全周へ五方。刃に刻まれた文字、そして切っ先に結わえた術符の式が起動する。

 あらゆる起源、現象、発端、伝承、伝奇から口伝に至るまでの性質の全てに精通し、その下地を元に定めた術式に書き換え直す改竄を得手とするが退魔師の御業。

 この世界で起きたこと、起きたとされること、起こったのではないかとされるもの。信憑真偽に係わらず、退魔はこれを力に換える。

「〝さあ竜よ、大いなるそらの御遣いよ。小さく弱き、人の呼び声に応えよ〟」

 詠うように唱える言霊の旋律。

 日和の声を煩わしいとばかりに掻き消す雷鳴が絶えず敵を追い回す。けれども落ちる雷も、放つ雷撃も投擲された苦無にばかり引き寄せられて一向に敵を撃たない。避雷針などで説明のつく現象ではなかった。余波で流れる電撃も地面に落とした紙札一枚に阻害されて届かない。

「〝旱魃かんばつ退けしその遺業、慈雨を齎す深き思慮。なれの剛気を奉ろう〟」


 ―――日ノ本各地で語られる伝承の一つにそれはある。降雨の恵みに命を賭した、名も無き竜とその逸話。


 人の住める環境ではないその星に、どこからともなく雲が出た。コロニーの内側に発生したありえない黒雲は次第にその範囲を広げ、ついには第①コロニー全域を覆う雲はぽつりぽつりと雫を落とし始める。


 ―――竜は人の為に雨を降らせた。雨で人を救い、その為に自らの身を裂いた。


 降り始めた雨を利用して高出力の水行を操る。こんなものはおまけの効果だが、おかげで雷竜が放つ攻撃の大半は通電による電流操作で捌き、さらに被弾を抑えることに役立った。

 と思っていた矢先の破壊音。背後で砕かれた土の立方体の破片がいくつも空高く飛んで落ちる。

 降雨によって弱まった土の獄。五行思想は例外なく属性の相性相剋の理を成立させてしまう。

 小さく短い呼吸のテンポに合わせて疾駆する人影が、雷竜の対応にかまけていた日和の懐まで潜り込む。

「―――スゥ」

 雨滴すら散らす衝撃を伴った一打が最適の構えから伸び、そして最速最短で弾かれた。

(なんだこの小娘。人らしいのは外見ガワだけか?)

 指先の痺れに眉を寄せる。明らかに最大強化の夕陽より高い身体能力。

 合気を基盤にする奏は必殺の一撃を損ねてもそこからさらに繋げる心得があった。技の勢いを活かしたままの次撃への転換。肘撃、後ろ回し蹴り、中段掌打が一呼吸の内に連鎖する。

 顎を上げ顔を逸らした位置を抉るように雷光が直進する。雷竜の息吹が地を爆散させ、奏が持ち込んだ近接徒手が仕切り直しにされる。

「ッ?」

 飄々と背を向けた日和へ追撃の一手をと意気込んだ身体の縛りに瞳を見開く。足元に梵字から成る円陣が浮き上がり奏の動作を拒絶していた。

 〝物忌ものいみ峻拒しゅんきょ〟と呼ばれる束縛の陰陽道。

「少し、静かにしてろ」

 片膝を着いた状態で微振動しか許されない奏の顔面へ投げ込んだ刃は、喝と気合いを込めた眼力のみで破壊された。

 砕けた鉄片の中をひらりと揺れるのは苦無の尾に繋げてあった術符。

「追加だ。〝斎垣いみがき華表かひょう〟」

「く…ぁ!」

 雑に揃えた二本指を立てて、一応の恰好だけは整えて見せる。

 重ね掛けされた拘束の術によって今度こそ自由を奪われ地に伏せた奏から半身戻し、口元から火花を散らせて威嚇を行う雷竜に向き合う。

 既に条件は成立している。

 この場にいるのは人と竜、そして天候は雨。先に投げた五つの楔は五方にて領域を敷く。儀式の舞台は完成した。

「〝その魂魄を神と掲げ、その大恩に祈りを捧げよう〟」

 中距離を保ったまま雷竜の猛攻を凌ぎ言霊の仕上げへ。

 禁じられていた雨を望み、人の為に死んだ竜はその後、人々によって神へと祀り上げられた。

 この伝承から要約した因果を抽出して、濾す。

 改竄させた世の伝承は、逆説してあらぬ側面を現出させる。

 神へと至った竜は、死を代償に雨を与えた。

「〝故にこそ〟」

 だからこそ、

 ―——

 人々が信じた竜の在り方を失ってはいけない。竜がいる場に雨が与えられているのなら、神格に召し上げられた竜はその法則から外れてはいけない。

 それが改竄、変転させて事象を捻じ曲げる退魔師の術式。一族はこうして陰陽術を対人外の特効策として確立させてきた。


「〝雨乞う竜よまつりしかみよ死に賜えそらへとかえれ〟」


 文言を終えて術式は完全なものと成る。

『ウ、ォォアア……ガアアアアアアァッ!!!』

 対竜の強力な制限にヴェリテは重力が数十倍ほど跳ね上がったように体感している。正体の知れない悪寒に身を蝕まれ翼がうまく稼働しない。意識が侵され逆鱗の狂気が削ぎ落とされて行く。

「効力のほどはお墨付きさ。私の世界の龍神もこれには根を上げていた」

 周囲に気を配れないほどの弱体化を受けたヴェリテへ、届いていないと知りつつも独り言じみた言葉を投げ掛けながら不用心に近づく。もうお得意の雷さえ満足に発動できないでいた。

 抵抗がなければ無力化は容易い。ただ少しばかり頑丈なので、そこそこに必要はあるだろうが。

(これをおとなしくさせたら次はあれか。やれやれ)

 根性で退魔師の術法を今まさに打ち破らんとしている無茶苦茶な少女を一瞥し、一つ深い溜息。

 やはり異世界案件はリスクとリターンが釣り合わない。雨で濡れた前髪を掻き上げながら、散りつつある曇天を見つめる瞳には早くも陰鬱の色が宿り始めていた。


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