依頼その弐 『群れなす刃は』


「…………」


 夕陽が雷竜と合流を果たしていた頃。

 所変わってここはミステリーダンジョン。荒れた大地を静々と歩く一人の女性。身なりにそぐわぬ軍靴のような編み上げブーツのゴッゴッという足音だけがドームで覆われた空へ反響していく。

 日向日和は僅かに苛立っていた。

 ひとまずは時計回りに全てのコロニーを見てきた。彼女の異能をもってすれば、別に直接現地に赴く必要すら無く全域を見渡すことも可能だったが、この辺はただの物見遊山程度の気分である。

 苛立ちの原因は自分自身にある。

(酷く嫌な感覚だ。なんだこれは?)

 感情が一人歩きしている、とでも形容すべき状況。心境。

 日向日和ではない日向日和が、彼女の精神へリンクしてその存在を誇示している。

 この世界には自分にまつわるタチの悪い何かがいる。

(見つけ次第始末だな…。大方『カンパニー』の仕業なのだろうけど)

 物騒な方針を固めながら、ふと足を止める。

 今現在、依頼を達成する為に夕陽はジャングルのコロニーへと向かっているはずだ。終わればこの場所で落ち合う手筈になっている。

 わりと散歩くらいのペースで始めた偵察だったが、それでも夕陽はまだ来ていない。

 規格外の力量を持つ彼女に合わせられる者など一握りだ。ましてそれを未だ成長途上にある少年に求めるのは酷と言うものだった。

(とはいえ私も他人事じゃない。異なる世界では異なる法則性が場を支配する。常勝を必然とする思考は棄てた方が身の為だろうな)

 前回の教訓を再度胸に刻み付け、夕陽が戻るまでの間を当てどもなく彷徨う。

 やや気温の低い環境に設定されているミステリーダンジョンの寒風をものともせず、ただ無言のままに歩く彼女の姿は百合の花。

 されども、艶やかな花ほどにその内に含む毒は強い。真に彼女を知る者からすれば、彼女をして百合ではなく紫陽花とするだろう。

 そんな日和の視線が、ついと上を向く。

 ミステリーダンジョン森林地の辺りまで足を運んだ辺りで、空を舞う邪気を拾った。見上げた先には魚群と見紛う何かの影。

(…確か、依頼は事後でも報酬が出るのだったかな)

 この世界での異常は、大体依頼クエストという形で処理を求められている。つまり害敵を討てば報酬が発生する。

 夕陽に行かせた手前、こちらも体裁は整える必要がある。

「肩慣らしといこうか」

 着物の袖から腕を伸ばして、空へと向ける右掌。

 直後に火焔の砲撃が爆裂し、宙を舞っていた群れの一部が地へ落ちる。

 反撃は速かった。人の意思が介在していない、本能じみた殺意。

「なんだ、好都合だな」

 無闇無遠慮に突撃した無数の刀剣が地面を穿ち土煙を巻き上げる。数歩後退してその正体を看破した日和は慣らしのつもりが肩を透かされた気持ちにさせられる。

 それはの領分だった。

(怨念邪念の総体。いや…本体は他にいる)

 津波のように空から押し寄せる刃の群体。見える限りにはちらほらと名のある刀剣も確認できた。

 妖刀、魔剣、名刀、聖剣、業物、宝剣、果てはなまくらから木剣まで。

 剣であるもの、刃を備えたもの、あるいはそれらを模したもの。

 矛先を敵ただ一点へ定め、引かれ合う磁石のように真っ直ぐ突き進む刀剣の圧力は並々ならぬものであり、常人であればこの時点で気をやってしまうほど。

「〝壌土壱式・庇甲壁〟」

 爪先で地を小突き励起させられる土の精霊が強引に現象を引き起こす。それは日和の眼前、地面から突き出た分厚い岩盤の壁。

 先陣の数十がその壁に止められ、立て続けに追随する数十が土の防壁を突き崩す。

 食い止められないことは分かっていたのか、鼻息一つで日和はゆっくりと迫る無数の切っ先へ一歩踏み出す。

「よっ」

 そして全てが弾け飛んだ。

 あらぬ方向へと三々五々と散った刀剣の大半は折れ、砕け、武器としての役目を終えてしまっていた。地面に刺さり、あるいは叩きつけられた残りも即座に浮き上がり再度の突撃を行おうとはしていた。

 だがその前に完膚無きまでに叩かれ、粉砕するまで衝撃に見舞われ続けた。

「んむ、悪くない」

 自身の目利きに間違いはなかったと確信して頷く日和が、両手に持つ二振りの刀に視線を落とす。

 無数の刀剣の中から一際優れたものを見つけ出し、肌身に触れる直前で指先で刃を返し柄を握り、そして残りを迎撃。

 刃の津波との接触、そのコンマ二秒手前で起きた出来事だった。

 無論、彼女の手に在る二振りは抵抗を続けている。怨念に縛られ操られる刀は日和を振り払い斬り裂こうと暴れガチガチと乱暴な音を立て続けていた。

 しかしその程度では抗った内にも入らない。日和は暴れる刀のことなど知ったこともなく、ただ『使える』というだけで敵の力を無理矢理に御した。

 刀剣の群体は残すところ六割。

(全部叩き落としてもいいが、手間と時間が惜しいな)

 着物を長羽織を躍らせ翻らせながら二刀を振るい刃の猛攻を潰す動きは流麗にして鮮麗。舞踊にも似た動作一つ一つが洗練されている。

 そんな彼女を前に焦れたか、刃の群体は動き方を変えた。

 人体の致命を狙い突き進むことを執拗に実行していた刀剣は動きを変更し、いくつかの刃が一つの塊となって砲弾のように発射される。

 狙いは日和の両手。武器を壊し肉を穿つ。

 その思惑は二十三手の先に叶い、悲鳴のような軋みを上げて砕け散った両手の二刀に引かれる形で日和の手は後方に流れる。

 晒された首。好機を待ち侘びた赤錆の長剣は頭上で旋回しながら断頭の一閃を放つ。

「はい見つけた」

 言葉尻の瞬間には、回転しながら的確な斬撃を見舞う算段をつけていた剣は数倍の勢いで逆回転していた。

 身を伏せ身体ごと大きく捻った回転蹴りの餌食になったことなど剣には理解できまい。

 ぐるんぐるんと蹴りの威力を受け切れずに回る剣の動きを人差し指と中指の二本で挟み込んで止め、途端に瞬く指先の仄光。

「〝破邪顕正〟」

 指から伝った光は剣全体に回り、一度の閃光と共に日和の四方八方から迫っていた刀剣の動きが全て停止し、一瞬後には地に落ち二度とひとりでに動き出すことはなかった。

 仏道の教えによる道理の明示。邪なるは破るもの、邪道を退け正道を明らかとする。

 たった一節の文言により破格の解呪を受けた魔剣はこれまでの魔術の全てを手放し、また自身も魔性を取り除かれた結果として本来の姿を露呈していた。

 赤錆は剥がれ落ち、鍔に嵌め込まれた血色の宝石は真紅へ。赤錆に埋もれていた純白の剣身からは不可思議な文字が現れ、柄を握っていた骨の右手は風化するように塵となって消えた。

「ほう。いい剣じゃないか」

 まじまじと本来の姿を取り戻した聖剣を見やり、日和はうんと決断をした。

 彼女本来の武装として愛用していた刀は、今愛しき我が子へ託している。であれば、此度限りの代用とはいえこれは中々に申し分ない。

「使わせてもらおう。……となると、がいるな」

 退魔の世界においては名とは力を示す重要なものである。故に自分が大事とするもの、共に在るものには必ず名を授ける。これはかつて一族に仕えていた彼女にとっても当然とする一種の儀式のようなものだった。

 とはいえ、口にする前から銘は決まっていた。

 鍔に嵌まる紅玉、そして本来の刃たる純白。そしてこう見えてこの女、実はらしくもなく動物好きである。


白兎はくと


 生まれ変わった聖剣は銘を『剣帝剣・白兎』として、しばらくの間を最強の人間と共にすることとなる。

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