依頼その壱 『ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ(後)』

 三倍の手数と三倍の速度。

 くだらない話だ。よりにもよって、〝倍加〟の能力者を相手にそんな程度の低い勝負を挑もうなどと。

 元の人間としての地力から引き上げて三百倍。これでようやく対等。頭の一つを振り抜いた踵がへし折り潰す。

 融合した仲間の死を悼んでか、残りの双頭が気の狂ったような雄叫びを上げる。

 嘆くな、すぐ追い付かせてやる。

 心中でのみ呟き、ギアをさらに一段階跳ね上げる。四百五十倍。

 身のこなしは既に常人の眼では追い切れぬ程。韋駄天が如き駿足を駆り、足を払い顎を打つ。

 肘鉄が鼻っ柱を粉砕。しかしただでは終わらぬゴリラの横薙ぎが視界の半分を覆い迫る。防御に差し挟んだ腕がゴキリと気色の悪い音を引き連れて違和感に変わる。

 外れた。

 折れなかったことに感謝すらしながら、脱臼した右腕を即座に見放し残りの三肢にて仕留めに狙う。

 一進一退の大攻防。いや、猩々ケモノに守る知恵など無い。奴にとって猛打こそが防御壁、闘争に狂う単細胞は退くことを知らず。

 進撃同士の攻々とでも呼ぶべき戦況。

 先に崩されたのは人間、日向夕陽。

 四散した木屑に視野を阻害されたのが大きかった。掠った爪先がこめかみを通過し血が飛沫く。

 獲物を殺す拳の落墜。乾いた大地を円形に凹ませる大威力によってジャングルの木々は根こそぎ千切り飛ばされる。

 ここで夕陽は意地を棄てた。

 彼とて一介の男児。喧嘩の敗北に奥歯を噛み締めながら、矜持よりも勝利を優先させる。

(勝ちだよ、野生の土俵はテメェに分がある)

 称賛と負け惜しみを綯い交ぜにした感情を向け、二つ目の首を両断。

 降り墜ちた拳の下に夕陽の姿は無く、何故か背後に回っていたことに困惑を覚える最後の頭。

 考える能力を持たない猛獣には、隠形鬼という破格の隠れ身を持つ人外の術法など理解出来ようはずがない。

 発動した天機隠形の八秒。そして左の手掌より展開される薄い水の刃。

 腕と頭を失くしたことで平衡感覚を揺さぶられたゴリラの空振りが夕陽の頭上を通り抜ける。駄目押しに彼を補佐した〝幸運〟の一手。

 そして最後の頭。

「うぉおらああああああ!!」

 いくつもの具現された火球の殺到は肉片が消し炭になるまで叩き込まれた。




     -----

「くっ、はぁ!はっ、はあ…!」

 両膝に手を置いて、荒く呼吸を繰り返す。

 頑丈過ぎるだろ。一体何十発火球をぶつけたかわからない。

 間違いなくこれまでで最強のゴリラ。結局威勢よく大言を吐いたクセに素手での勝負で決めきれなかったのが情けなくてしょうがない。

 三つ首を全て失い仰臥するゴリラの身体は動かない。頭が無いんだから当たり前っちゃ当たり前だが。

「また初戦でこれかっ……。これで星三つは詐欺だろ!」

〝…っ〟

 同化した幸も大きく同意してくれている。危険度認定が杜撰なんだよ、これだから『カンパニー』は信用できん。

「まあいい、ちょっと休んで次行くぞ次」

 幸いにも、今回は社長戦争のような苛烈さは無い。場所さえ選べば回復も休息も充分に取れる。まずは外れた腕の処置だが―――、

「……………」

 ぞわりと背筋を撫ぜる不穏な悪寒。

 背後の首無し死体が、仁王立ちで俺を見下ろしているのが見なくても分かる。

「マジかお前ッ…!?」

 風圧が頬を叩く。間に合わない。殴打を喰らう。〝倍加〟は戻してある。今受ければ首が捻じれ飛ぶ。

 一秒に満たない刹那に出来たことと言えば、〝憑依〟を解いて幸を引き離すことくらい。死ぬのなら俺だけでいい。

 だが、半ば覚悟を決めた俺の顔面に叩きつけられたのは拳ではなかった。

「ぶっ」

 バッシャァ!!と肌が痛くなるほどの勢いで液体がぶつかる。臭いですぐに血だと分かった。当然ながら俺のではない。


「あらあら」


 おっとりとした声が、まるで子供の無茶に呆れた親のような調子で放たれる。


「相変わらず散々な有様ですね。貴方らしいと言えば、らしいですが」


 すぐ横を轟音を立てながら落下するは肩口から切断された巨腕。どうやら激突の間際に斬り落としてくれたらしい。

 そのゴリラの腕にも匹敵する大きな戦槌を弧月の軌跡で優雅に振り回し、もう一撃。頭の無いゴリラの身体が斜めに粗く引き裂かれる。

 そして獣を灰塵を化す落雷の仕上げ。


「交わしましたものね、私。ですからはい、馳せ参じました」


 翻る金色の長髪、雷電を纏う尾が揺れ、指先で位置を直す伊達眼鏡の奥で閃く雷光の如き瞳。

 ―――そうか。来たか。

 異世界で交わした縁。

 危機に際して求めに応じてくれると言った彼女。


「約定に従い、黄金の雷は貴方に奉じましょう」


 最強の竜もまた、稲光を引き連れて異界へ参戦する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る