エピローグ


「毎度のことながら、酷い有様だね」

 日和さんの介抱を受けながら、俺は今にも落ちそうになる意識を繋いでいた。傍では幸が左手を取って胸元で握っている。

「……日和さん、は…珍しく手負い、ですね」

 珍しくどころか初めてじゃないか、ここまで怪我をした日和さんは。

 腕は片方焼け焦げているし、口の端には吐血を拭った跡もある。この人血とか吐くんか。

「君の苦労はよく解ったよ、確かにこれは辟易するほどふざけた世界だ」

 だるそうに首を横に振るう日和さんは両手を俺へ向けたまま何らかの術式を展開し続けている。おかげで全身くまなく暴れ回っていた五大精霊の活動もかなり落ち着いていた。

 仰向けに横たわった視界に見える陽光。傾き具合からして正午まではもう二、三時間。

「ここまでだね。残り二十四時間を闘い抜けるほど君に余裕は無い」

「…はは。残念、ながら。そのようで」

「っ、…っ!」

 涙目で訴えかける幸にも同じように頷き掛ける。思えばこれも毎度のことだが、この子にも大変な目に遭わせてしまった。

 …本当、毎度何をやってんだか、俺は。

「弱ぇ」

 知らず、思いは言葉になって口から出ていた。

「いいや強いよ。君は強い」

 返答など期待していなかったのに、きっちり聞いていた日和さんの慰めにも苦笑すら浮かばない。泣きそうだった。

 震える喉で皮肉すら出せない俺をどう思ったか、日和さんはさらに続ける。

「君はもっと強くなれる。今よりもっと、今日よりずっと」

「……俺以外の、誰かの力で?」

 絞り出した声は想像以上に弱々しかった。

 大悪魔にも言われたこと。俺自身が誰より理解していたこと。

「俺は俺だけじゃ誰にも勝てない、誰も守れない。これじゃあ俺は、人と人外を双方から双方を守り抜くなんて、一生夢物語だ」

 日和さんはこの戦争間で複数の化物と闘い、そして勝ってきた。これまで積み上げてきた、日和さんだけの力で。

 俺はどうだ。

 幸の力を借りて、篠の力を借りて、紅葉の力を借りて、おっさんにも手を貸してもらって、しまいには結局日和さんの力にも頼りっきりだ。

 それだけ頼って、結果がこの程度。

 力を貸してくれた誰のせいでもない。俺が弱かったから。

「強さの形は人それぞれさ。私の場合は、それが分かり易い形で君に見えていただけ。夕陽、君は私にはない強さがある」

 指一本すら動かせない満身創痍の俺の隣で、日和さんは指先を伸ばす。

「君は誰かと触れ合える。人ならざるものと繋がれる。……とても私には出来ないことだ。退魔の家系として人外を討伐するばかりだった私には」

 過去を懐かしむように細めた瞳で、日和さんは俺の前髪を梳く。

「強さは個々で成立するものだけじゃない。君は君のやり方で触れ合って来た数多の者達との繋がりで強さを示して来た。これまでも、そしてきっとこれからもだ」

 普段あまり見せない、慈愛に満ちた表情に思わず顔も知らない母の面影を幻視した。


「それでいいんだ。繋がる心が、君の力だよ」


「…………」

 それきり日和さんは何も言わずに術式の維持に専念していた。

 漏れる嗚咽の音だけを、ただ幸が優しく受け止めてくれる。




     -----

「ん、終わった?姐御」

 失くした右腕の出血もようやく治まり、日和さんから肩を貸してもらって起き上がった俺が見たのは、屍山血河の惨状。

 ゾンビ、機兵、囚人服を着た人間も多数。漏れなくいずこかを欠損(あるいは原型も留めず)、命の途切れた肉塊が積まれていた。

 それを行ったのはたった二人。

 屍の山の頂きで遠くの風景を眺めていた高月あやかと、

「日向日和。貴女の要望通り、ただの一匹も寄せ付けず、ここで絶えて頂きました」

「ああ。ご苦労様」

 大きな戦槌を担いだ雷竜ヴェリテだった。

「やあ弟分!まーた派手にやられたもんだねえ、他人にリペア使えればいいんだけど、無理だからごめんね!」

「出来ても貴女の力は借りていませんよ。瘴気に侵されて夕陽が殺されるのが目に見えていますから」

 屍の山から跳び下りて青筋を浮かべたあやかの足元からゴボリと泥が湧き上がるのを日和さんの拳骨が止めた。

「やめろ見苦しい」

「姐御?今ので頭蓋骨砕けたんだけど大丈夫?加減間違えてない?」

 血塗れの頭部が瞬時に癒える光景はやはり不気味の一言に尽きる。幸なんか完全に怯え切っていた。

「私達は正午を以て帰還する。お前達はどうする」

 話によれば今日の正午より先、二十四時間の延長戦か帰還かを選択できるのだという。これに関しては帰還で異論ない。というかこれ以上闘えない。あの姫様には申し訳ないが。

「ふーんそっか、帰っちゃうのか。それじゃあさ姐御!最後に…」

 相変わらずマイペースな高月は、意気揚々と顔を近付けて日和さんに何かを頼もうとした。そして、

「……いんや、やっぱいいや」

 垣間見せた憂いの表情を華やかな笑顔で上書きしてぴょんと離れる。

「俺様はもう少しここに残ろっかな!まだ面白連中たくさんいそうだし」

「そうか。好きにしろ」

「訊いといてそれは冷たくないっすか姐御」

 きゅるるんとぶりっ子ポーズで上目遣いする高月を無視して、今度はヴェリテの方を向く。

「私は、そうですね」

 戦槌を杖のようにして寄り掛かりながら、十秒ほどの黙考を終えてヴェリテは俺を見た。

「夕陽、貴方のベルを私に譲ってくださりませんか?」

「…え?」

 どういう意味かと首を捻る。

「貴方がここで終わるというのなら、無傷のベルを私が引き継いで残りの時間を使えないかな、と」

「たとえ出来ても陣営はこちら側の扱いになると思うが?」

「寧ろそれがいいのですよ」

 日和さんの口にした推測に、ヴェリテは嬉々として頷いた。

「夕陽の信ずる陣営の未来に、私も興味が出てきました。というよりは、久方ぶりの人との闘いで、人間を応援したくなった、が正しいですか」

 何が可笑しいのか言ってから自分でくすくすと笑い、それから手をこちらに差し出す。

「どうでしょう?」

「…いやまあ、別にいいけどさ」

 今更この雷竜が黒い思惑でそんなことを言ったとも思えないし、渡すこと自体に抵抗は無い。日和さんと示し合わせ、俺はベルを取り出し、日和さんは自らのベル(いつの間にか胃から取り出していた)を握り潰す。

 俺達の足元から転移用の魔法陣が浮き上がるのを確認してから、俺は肩を貸してくれていた日和さんから離れ、自力で歩いてヴェリテの前に出る。

「…色々ありがとうな。敵だったけど、たくさん世話になった」

「いいえ、私こそ善きものを見せてもらいました。人の持つ可能性、その一端を」

 差し出された掌にベルを乗せ、そのまま握手。

「…ああ。それと私、一つ嘘を言ってしまいました」

「は?」

 いきなり何の話を、と呆気に取られたのがいけなかった。握った左手が引っ張られ、前のめりに傾いだ先。

 女性らしい柔らかな質感に包み込まれ、額にそっと触れる唇の感触。

「…~~~っ!?」

「ほう」

 背後で唸る二つの激情が、不可視の炎となって背中を焼くのがわかった。

「人の持つ明るい可能性を示す人間あなたが好きになった、ですか。まったくこれは、倒した者として責任を取ってもらう必要がありますねー♪」

「ん、な……ヴェリテおまえっ!」

 たじろぐ俺を軽く押して魔法陣の内部へと戻してから、ヴェリテはやけに子供っぽい笑顔で一本指を立てる。

わたしの愛は重いですよ?その覚悟、しっかり固めてくださいね」

「この竜畜生が、貴様こそうちの子を掻っ攫おうというのなら相応の覚悟を決めることだな…そうだろう幸?」

「っ!!」

 俺の返事の前に割り込んできた二人の威勢でさらに後ろへ押しやられる。

 最後の最後でなんだこれは。

「…夕陽、私は貴方を弱いとは思いません。仮に貴方が弱かったとしても、それを支える多くの者が、貴方を強くしてくれます。私もその一助として、いつか貴方が危うい時は必ず馳せ参じましょう」

「いつか、ね。わかったよ、次また異世界案件に巻き込まれたらその時、必ず助けに来てくれ」

 憤慨する二人を挟んでもう一度笑みを交わす。ヴェリテは踵を返して魔法陣から離れた。

「姐御ッ!」

 入れ違いに前に出た高月が声を張る。

「必ずアンタを超えるからな!そん時は俺様の仲間にしてやるから、そしたら改めてよろしく!」

「誰が負けるか馬鹿め。輪廻転生して出直せ」

 もう日和さんの罵倒にも慣れたのか、明らかに仲良くはない会話なのに高月は満足そうだった。こちらにも顔を向ける。

「頑張れよ弟分!俺様達に負けないくらい強くなれ、もっと!」

「無理だろ……」

 ドン引きでそれだけ返す。俺からは特に掛けるべき言葉は無い。だって意識が戻ってから何気なく混じってたモノだからいつから居たのかもわかってない。

 いよいよ魔法陣の光が強くなり、円陣の外側も見えなくなってくる。




「―――おい」

 光に呑まれる最後の時。

 日向日和は呟きを溢す。

「お前が最期をそうと決めたのならば好きにしろ。別に止める理由は無い」

 魔女は予期していなかった。もう別れは済ませたつもりでいたから。

「まったくしてやられた。誇れ、私が認めた強者はそう多くない」

 振り返る。もう純白の先に姿は見えない。

「さよならだ、あやか」




 魔法陣の消失した後、そこには誰もいない。

「……ふ、うふふっ」

「嬉しそうですね」

 隠し切れない狂喜に小躍りしたくなるのを懸命に抑えて、高月あやかは頬を紅潮させる。

「さて。私はこれからポイントを稼ぎに行きますが、貴女はこのあと…、!」

 僅かな寂寥感を覚えつつも残り時間を戦争に費やすべく敵の姿を目視で探すヴェリテだったが、片手間で行っていた会話相手の異変に気が付き瞳を見開いた。

「…あっちゃあ、バレちゃったか」

 高月あやかの左頬から左目にかけて、黒い亀裂が奔っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る