VS大悪魔ネクロム
残る手札はあまりにも少ない。
紅葉の術符は拒魔の符三枚消費、破魔の符も残るは一枚。
篠の隠形術は制限五度を使い尽くした。対ヴェリテ戦、最後の最後でヴェリテが囮として使ったおっさんにまんまと騙されたのは、あの状況で俺が五度目の隠形術を行使していたから。そうでなければいくら煙幕の中とはいえ人影だけで謀れる相手ではなかったから。
そして件の都市伝説も、一度の使用につき十二時間のインターバルを必要とする。この戦闘では使えない。
あと俺が使えるのは自前の能力と、それから。
「行くぞ幸ッ!!」
〝憑依〟を深め、飛び掛かる。
「蛮勇だな」
男―――アナウンスによればネクロムというらしい―――が右手を前に出す。ろくな構えもせず、〝倍加〟で腕力を引き上げた拳を受け止められるものか。
そう考えていたはずが、何故か俺は拳をネクロムの掌に触れる直前で引っ込めていた。
「勘は、良いな」
特に褒めるような口振りでもなく、ただ敵の判断を正確に評価したネクロムの爪先が地を小突く。
足元の影が急速に広がりうねりながら跳ね上がった。
「っく!」
すんでのところで影の手から逃れ、薄気味悪いそれらを弾きながら距離を取る。
「すばしっこいな。では」
回避に専念していた俺を遠目に、ネクロムが片手を頭上に掲げた。
紫色の光が波紋のように波打って広がるのを、俺は止めねばならないと直感した。
右手の内に意識を集中。集い束ねるは水の刃。
その腕、斬り落とせ。
「…ふむ」
光を放ち続ける腕とは逆の手で飛来する水の刃を受け止められる。かなりの水精を束ねたはずの一撃は、受けたネクロムの薄皮一枚を斬るだけで終わってしまった。
〝干渉〟でこれを感知。何らかの防御術式によって技の威力を削ぎ落とされた。
『大悪魔ネクロム。多様な魔法を行使して闘う上、西洋四大の属性まで扱います!』
(なら!)
篠の助言に従い、精霊種の掌握を放り投げる。
敵はこちらと同じく基本元素を操る能力者でもあるらしい。俺が陰陽思想を基盤とした東洋五大に対し、ネクロムは西洋の四大。すなわち地水火風を扱う。
こうなれば大気に満ちる精霊種の取り合い、つまりは力の奪い合い。加えて多数の魔法まで使用してくるとなれば無理にあちらとの綱引きに応じる必要は無い。
遠距離に対抗するなら近距離。多少の被弾は覚悟の上で拳を固めて前へ出る。
「なるほど判断が早い。これは勇猛の類だったか」
一つ頷いて、ネクロムが再度軍靴で地を叩く。
地面が唸りを上げて持ち上がり、人を模った土塊の巨人が数体現れた。
物理で破壊する他なさそうだ。
「退け」
全身体能力三百倍。
巨体故の速力不足、ゴーレムが一撃落とす前に三撃は叩き込めた。だが如何せん耐久力は中々のもので、三百倍強化の打撃にも堪えない。
一体の撃破にも時間を掛けさせられるものが、現状五体。稼いだ時間で後方のネクロムは強力な魔法を発動させる魂胆か。
「させるか…!」
ステップを利かせ、小回りでゴーレムを翻弄する。足を払い膝を砕き、撃破ではなく突破に注力して進路を見出す。
ここだ。
僅かに見えた土塊のトンネル。その先を超えればネクロムへ到達する。
踏み締めた右足が、急速に後方へ流される。何者かに掴まれ引かれていることに気付くが、ゴーレムではない。
振り返った先には腐敗した死体の群れ。
(コイツらを呼び出す為の光かっ)
勘付くが既に遅く。
蹴り飛ばした屍の後から続々と這い寄る亡者の津波が押し寄せた。
(…やるしか…ねぇ!)
ネクロムと直接対峙するまで温存しておきたかったが仕方ない。腰のホルスターから札を取り出し、起動する為に念じかけたその刹那に。
雷が墜ち、泥が吹き荒れた。
「……やはり、これは決闘の横槍とはカウントされないらしいですね。かなりグレーな気はしますが」
「ヴェリテ!」
遥か後ろで、俺が眠っていたカプセルに腰掛け足を組んだ雷竜がバヂリと弾ける指先を向けていた。
「―――いるなぁ、これは居る」
ゾンビを呑み込む泥から出現する数多の少女が、それぞれ死骸を蹴散らしていく渦中で、それを行うおかしな女は不敵に笑んでいた。その眼はこの場のどこをも向いていない。
「骸の王、屍の神。…………オイどこだ、どこにいるっ!!?」
何を確信したのか、少女の八つ当たりにも等しい猛攻が周囲の泥ごとゾンビを薙ぎ払っていく。
ってかずっと思ってたけどあれ誰だ?
「夕陽」
そんな疑問もヴェリテのよく通る声にすぐさま閉め出される。ヴェリテは優雅に腰を落ち着けたまま、
「落雷は事故です。誰を狙ったものでもない自然の脅威。であればそれは決闘への干渉ではない。そう思いません?」
「……!!」
理解と同時に足元から鉄の槍を生み出し、狙いを定めてゴーレムの頭頂部へと連投する。
ゴーレムは避けない。連中にとっては蚊に刺された程度のものでしかないものを躱す道理が無かった。
そして打ち鳴らされる指。稲光、雷鳴。
轟雷は鉄柱に吸い寄せられ爆裂。土の巨躯などひとたまりもなかった。
礫の雨となって崩れ落ちるゴーレムの間を縫って、駆け抜ける。
「…そうか。それが貴様の闘い方なのだな」
呟くネクロムの胸中は知れない。他人頼りの俺に酷く失望したのかもしれない。
でも、だとしたら安心しろ。
ここから見せてやる。
「劫火極式火天之符」
これすら他人の借り物だが、扱う器は正真正銘俺自身。
握り潰した札から炎熱が伝う。火行の真髄をこれでもかと詰め込んだらしい、日向日和お手製の五行符。その一つ。
精霊種の最上位、五つの頂点を司る大精霊の加護を人の手で擬似的に模倣再現した極限の一手。製作した日和さんですら使わずに済むのなら使わずに済ませろと言っていたほどに強力凶悪な諸刃の絶剣。
今だけに限り、この身は炎。この身は焦熱。この身は燃え盛る火行の化身。
派手な儀礼も大仰な祝詞も必要ない。
「受けてみろ」
振るうだけで、叩きつけるだけで。
炎は脅威をただ示す。
「…………なるほど、視えたぞ」
水の防御など意味を成さない―――と思っていたが、俺の扱う水行より遥か上を行く元素の使い手によって灼熱の拳骨は鉄板の焼けるような音を立てながら水の防壁と拮抗していた。
「貴様の劣等感の正体はそれか」
「あ?」
「負けることでは抱かない。貴様は勝敗でなく、その過程にこそ劣等を抱く者」
大悪魔に見透かされていたことに舌打ちする。
「自身の力ではない。他者の力で生き延び勝ち残る。そんな己を嫌悪し、そんな己を卑下する」
爆炎の手刀で防壁を切り開き、風唸り地が鳴動する中を突き進む。
「それでも往くか、それでも抗うか。貴様は貴様以外の力に頼り修羅の道をひた走るつもりか」
知っていた、とっくに分かっていた。
それでもと、随分も前に決めていた。
ようやく詰めた間合いで殴り合う。おそらくこんなものはヤツの土俵ではないのだろう。四大属性に加え魔法を併用しながらの攻防にも若干の鈍りがある。
「はは、は!いいぞ、愚かなる人間よ。それでこそ喰い応えがあるというものだ。そうでなければ旨くない」
「いい加減黙れよ」
倒されたゾンビやゴーレムの数だけネクロムの傷が癒えていく。これも何らかの魔法による効力か。長くは掛けられない。
視界が揺れ、その先にいたはずの大悪魔は幼い頃に見たあの顔へ変わる。振り返る度に後悔と懺悔に苛まれるかつてのトラウマ。
炎による弊害か、それとも感情の高まりによるものかはともかく。
血管がブチ切れたと、錯覚した。
「テェメェええええええええええええええええええエエエえええ!!!」
踏み込むな、踏み荒らすな。
人の過去を、人の過ちを。
土足で。
この野郎。
一瞬たりとも気を抜けない魔法と属性の嵐。それらを一切、無視して。
劫炎の一矢と化した貫手が、最短直線軌道でネクロムの胸を突き穿つ。
勝利を告げるアナウンスなど知ったことか。
焔はより紅く輝き悪魔の身を焼き焦がす。
「失せろ」
「とどめはどうした。貴様では殺し切れるものではないが、溜飲くらいは下げられるだろうに」
胸から手を抜き数歩下がる。胸部に風穴の空いたまま平然と仁王立ちするネクロムの足元から魔方陣が広がり始めた。
「……知ってんだよ」
今更だ。何もかもが。
魔性の者になぞ、惑わされるわけもない。
「俺が弱いことなんてとっくに知ってる。それでも往くと決めたんだ。俺だけじゃない他の力も頼って、願いの先をと手を伸ばすんだ」
炎が消える。最後の一撃の為に無視した攻撃がほぼ人体の急所付近に命中していた。
「それが人間だ。わかるか大悪魔。劣等に苛まれても進むべき道があるから進む」
「解るとも。それすなわち人の信念とやらだろ?」
そんなご立派なものじゃない。そう返そうとしたが、白髪の悪魔はもう聞いてはいないようだった。
笑う。光の中でただ、嗤う。
「いいぞ。佳き時を過ごした。人間よ、次見えるまでにその劣等精々溜め込んでおくのだな。さぞかし甘美な味となろう」
言いたいことだけ一方的に言って、返事も皮肉も間に合わず。
大悪魔ネクロムは高らかな哄笑の残響を置いて消え去った。
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