VSネオ・サピエンス(後篇)




 誰かが呼んでいる。


(―――…………)


 暗い昏い、深い水底のような場所。

 苦しく、怠く、酷く億劫で、身体は鉛のように重かった。

 もう充分だと自身を慰める反面、まだやれるはずだと鼓舞する自分がいる。


(……?)


 

 俺は何に満足している?何がまだやれると考えていた?

 俺は。


『…っ、……!』


 仄暗い底の底へと伸ばされる手が見える。とても小さな、童女の手。

 微睡みの中にあった鈍重な思考が急速に覚醒する。


(…ああ。悪いな)


 わざわざ、迎えに来てもらっちまった。

 賢明に差し伸ばされる手を、緩慢にしか動かせない右手でどうにか、握る。


(そうだよな。そうだった)


 まだだ。

 まだ終われない。




     -----

 ネオ・サピエンスのアドバンテージはほぼ殺されていた。

 〝終わりの世界〟及び〝新しい世界〟はどういうことか人間であるはずの対象に通じない。対面した瞬間に人間としての次元の違いに打ちのめされ、自死すら選ぶ完全なる進化の終着。それを前にして精神をまともに保てるのならば、それは一つの結論を示す。

 あらゆる理論の外側に居座る存在。

 論外。

 この生物は元よりまともではない。

「hjviarjgvmkzmfdgkjr」

 それは侮蔑か軽蔑か、耳障りな悲鳴のような音を放ち続ける人の最終形態は周囲の物体をテレキネシスで浮かせ投げつける。

「ベルは」

『不明ってなってる。身体のどっかにはあるはずだけど』

 人体程度なら容易に貫く速度で迫る物体を徒手と刀で跳ね除けながらオペレーターと敵の倒し方を模索する。

 手っ取り早いベルの破壊が困難と解れば話はより速くなる。

「全部欠片も残さず消し飛ばせばいいか」

 大気に満ちる火精を掻き集め具象化。形を成した炎の槍はひとりでに高速で発射され、テレパシーによる気配察知で回避行動に出たネオ・サピエンスの右腕を炭化させた。


「……oijbajrspnvdjsdmh;ssd」

 察知からの回避では間に合わないほどの照準と発射。コンマ数秒すらが惜しい。

 ―――理解。

「eisjb zdashme,bkihebiajsOPSKc,fdjjhrsai」

 炎の槍は森羅万象を織り成す原初の五大を強引に発現させたもの。

 ―――理解。

「ojvazjsdfoekspobnszsfvapeksdfnaszmnlamszx,fv;asmz;klmnsdmfkijdtgoasbmhsrtdm@,SZDPgkearmdfononsmtmgvacszd,bn,rstdst,hasmvsmzdkvmdgnmseF:tiejqyotkwkfasdbmiijehpbmssdmnoasjrhiorjbgmnmmetapf,zbamerhpogmsadkmfaesfporhkrgms,vkmnmgsdkvma」

 〝終わりの世界〟に抵抗するは名に秘奥を負う特殊な出自の生命体。無数の世界の中でも一握り。『退魔師』、『陽光』、『真名』、…………『陽向』。

 ―――理解。


「…」

 長年の戦闘経験に裏打ちされた直感が告げた。

 短期に決めねば追い込まれるのはこちらだと。

「〝劫火拾式・〟……ちっ」

 空を舞い距離を詰めるネオ・サピエンスに対し真っ向から火行の一撃を叩き込もうと右手に意識を集中した日和が、舌打ちと共に引き戻した右腕で敵の黄金を纏う脚撃を受け止めた。規格外の威力は強化を重ねた防御の上から衝撃を押し通し日和を後方数メートル下がらせる。

『何してんのアンタ!』

「攻略された」

 声を荒げる閃奈へと端的に返す。数瞬の絶句の後に、恐る恐るといった具合で閃奈が確認を取った。

『属性掌握の術式を…解析されたっての?』

「解析だけじゃない、理解し突破した。この数秒で周囲数キロに渡って精霊種が皆殺しにされた。私の五行隷属使役法に対する措置だろう」

 現在戦場としている北西森跡地・エルフパーク予定地の植林がみるみる内に枯れ果て倒れる。舗装路は罅割れ建物はどんどんと崩れ落ちていった。

 大気に満ちる精霊種とは、それそのものが世界を支える根幹。日和や夕陽の住む本来の世界では『原初の伍』と呼ばれる基本元素の存在は世界の成立と同義である。

 火精がいなければ燃焼は起こらず、土精なくして大地は保たず、金精なければ近代建築物はその強度を失い自壊する。木精の不在は自然界の崩壊を意味するし、水精無き今この土地に潤いはもたらされない。

「それ自体は別にいい。私も〝五行反転結界〟で同じ現象は引き起こせる。私達退魔師と同じように属性を扱う対妖精や人外との戦闘を想定に含めた戦術の一つとしてね」

『あの金ぴかの元いた世界でも精霊やその使役法が存在するってこと?』

「ありえなくはない。が、アレの性質を鑑みるにはおそらく…」

 インカムとの会話を長々待ってくれるほど人情味に溢れた相手でないことは承知済み。金色のオーラが刃物のように尖って脆くなった地面を刻みながら襲い来るのを迎撃しながらネオ・サピエンスという怪物の本領を見極める。

「奴の最大の武器はその知能だ。私の力を間近で見て、その正体を計算と演算で叩き出した…というのが可能性としては最も高い」

『初見の能力を何も知らない状態から、って…そんな馬鹿な』

 日和自身も同じように思った。精霊の力を術式によって強引に束ね現象として興す五行隷属使役法は陽向家の退魔師が長い年月を掛けてようやく実戦運用に至る段階まで成立させたものだ。

 発達した知能が、数百年の積み重ねをものの数分で解き明かした。

 さらにはこちらの世界に合わせ調整した対消滅術式プログラムをぶつけ、法則を打ち壊した。

 馬鹿げている。不可能だ。

 そうは思わない。むしろこれが異世界の敵なのだと考えれば妥当。

「前の二戦とは別方向に厄介だな」

 エリステアも、高月あやかも、桁違いの火力をぶつけて来ることでその脅威を示していた。確かにどちらもその方面では並居る強豪を圧倒するだけの性能を持っていた。

 ただの純粋な力押しであればよっぽど楽だったものを、この敵はそうはいかなかった。

 日向日和が一番、敵として倒すにあたり面倒を覚えるタイプ。

 理屈の外ではなく、そもそも理屈が通用しない。適用されない相手。

 グーに対しパーで優位を示しても、勝利するという結果を捥ぎ取っていく者。

「jaisfk,dvkakrjaspdkwsoryiopejfok bf;lk.;dlzsmsdoqj」

(此奴、高月あやかのか)

 一帯の精霊種を殺し尽くして得たエネルギーで炭化した右腕を修復したネオ・サピエンスは崩壊した建物の瓦礫を視界一杯に操って撃ち飛ばしながらも自身も黄金のオーラで肉迫する。

 人を突き詰めた先の到達点。

 日和自身も見たこと、また対峙したこと、そして殺したことがある。

 人類の終着。それは神域に踏み込んだ現人神あらひとがみ


「…………ijtopitfkczpxcbms」

 肩を裂く刃は神殺しの神刀。原則・法則を無視して斬り伏せる神代の一振り。

 ―――理解。


(やられたな)

 肩口から心臓部まで斬り込もうと沈めた刃が途中で止まる。それ以上進まない。

 神刀である布都御魂の性質まで読み解かれた。現時点の世界には存在しない新たな法則の上書きによって刀の能力を封殺される。

 刀はもう棒切れほどの頼りにもならず、防いだはずのオーラの猛攻が日和の人体に確かなダメージを通した。

 十数年ぶりにもなる、吐血。

「ふ」

 だがその瞳、未だ殺意を絶やさず。

 使い物にならなくなった刀を明後日の方向へ全力で放り投げ、空いた手を握って渾身のボディーブロー。

 一打で骨肉をミンチにし、打撃位置にベルの存在が無いことを確認する。

(腹部には無し、と)

 次は、と狙いを変えた日和を引っ掴み、エルフパーク敷地内の土地を円形に抉りながらネオ・サピエンスが空に打ち上げた敵を上下左右から打ち据える。

『日和!』

「騒ぐなよ、鼓膜に響く」

 どうやら陽向日和の真名に対しての解析も終了したらしく、『日和』の力による効果減衰の能力もうまく機能しない。〝終わりの世界〟の効力が蝕み肉体が本来通りに動かない。連動して思考との食い違いがどうにも日和の鈍重さを悪化させていた。

「さ、て……と」

 〝模倣〟展開。日向夕陽の〝倍加〟を三千倍で身体固定。

 〝感知〟最大。認識不可能な金色の気に限定してこれを捉え続ける。

 三つ目…解放。

 全力で往く。

「eoisrjfvopsf」

「追い着けるか?」

 気付いた時、ネオ・サピエンスはたった今までの状況とは逆の、自身が中空に蹴り上げられていることを察した。

 テレキネシスで体勢を整えるも既に遅く、宙に浮くネオ・サピエンスを取り囲う九つの陽玉が爆発的な速度で膨れ上がり、中心の敵を太陽の具現が焼き尽くす。

「〝退魔本式・旭光きょっこう〟」


 退魔師『陽向』が真名の一つ。九つのあさひを用いた紅蓮の爆裂。

 ―――理

「遅いぞ次だ」


 〝新しい世界〟の使用が間に合わない。黒焦げにされた肉体をオーラで覆い防御体勢を取る。

「〝退魔本式・絶晶ぜっしょう〟」

 ネオ・サピエンスの腹部が巨大な鋼の一刀に両断され、臓物の代わりに黄金の粒子をばら撒く。


 退魔師『陽向』が真名の一つ。夜光の星日を納める金剛の秘技。

 ―――り

「jidturwsa……?」

 ―――訂正、修正。違和、不理解。


 日和には敵の戸惑いが手に取るように分かった。何故かと困惑しているのが解った。

 今の状況で五行は使えない。炎も鉄も日和には扱えない。

 それも解析し暴露されるまでの間。もう十秒がいいところだろう。

 初見の技なら初撃は騙せる。

 違う技を使い続ければいい。それも、現人神たるネオ・サピエンスの動きを止めるに足るだけの威力を有したものに限り。

 翳した左手が眩く輝く。

 それは星々の煌めき。夜の帳を降ろす空に、真っ先に存在を主張する一等星の瞬き。

「〝奥義・アマキツネ〟」


 天蓋の先より降り墜つ流星の砲撃。


 理解より迅く、星の一撃は両断した内の下半身を蒸発させた。

(そっちではなかったか。なら)

 肉体の半身消し飛ばしただけでは到底止まらない流星が地表を灰塵と化す間に、空を蹴って残り上半身からベルを探る。


「oseirjgovremnm :g,:rkf:oeitdjhplsz@sdlopitdjypoopijnot,epiorjoitogjon;smkl eryoiyjoisjoij4eoijui fhoiiosjruihjemfvjyt,gawsjfgojewaiopsdjborym;ktmfsozdjn;dyfpdfcm;zkdfmn;lmzx;cjsopijfAM;n,;zmxnfg;lfma;etl,;sd,fh;lsr,pvbsrt;kdlmxfclk;xfgmch,v;zlsdmx」

 ―――理解。理解。理解。

 解析、暴露、判明、到達。

 それは〝反転〟の異能。


 日向日和が三つ目に所有する〝反転〟。

 有を無に、閉を開に、封を解に転ずる異能。

 これを二秒で無効化され、


「……ふう。焦ったぞ」


 一秒と少しでネオ・サピエンスの頭部を握り潰した。アナウンスが響き渡る。

 ベルの位置は頭の中。死と共に訪れる敗北の中で、人類の最終進化形態ネオ・サピエンスは高すぎる知能でいつまでも負けた理由を考え続けていた。

 やがて全てが闇に閉ざされるまで続いた疑問は、終ぞ解に行き着くことないまま泡と消えた。





     -----


 ゴッ、と。

 軍靴の踵を鳴らして荒地に立つ男を前に、竜と少女は嫌々ながらも武器を担ぎ拳を握った。

「べっぴんさんならよかったのにさ。なんだあのむさいおっさんは」

「貴女は強者を好むのではなかったのですか?」

「好きだよ?強者つよいの。でもなぁ、あれ神さんじゃない上に人間でもないじゃん」

 白い長髪を一つ束ねにした人型は、しかしその内に人ならざる異形を潜ませていた。

「どうする?やんなら俺様が喰っちまうけど」

「私達はベル無しだと何度言えば。倒しても倒されても、その後に待つのは日向日和による殺害ですよ」

 それも悪くねぇや、と笑う高月あやかを無視して、雷竜ヴェリテは逃走の算段を立てていた。

 帰還だけなら容易だ。今現在はヴェリテもあやかもベル喪失による強制送還に無理矢理抗ってこの世界に滞在している身。その抵抗をやめれば即座に足元に展開された魔法陣で本来の世界へと帰される。

 だがまだ駄目だ。このままでは日向夕陽が殺される。

 コードはもう手放していた。電力供給の必要はもう無い、傷は完治していた。

 カプセルをこじ開けて眠る夕陽を抱えて逃げ出すしかない。今は意識が無い為戦争の相互同意が発生する心配は無いが、あの悪魔にそんな道理が通じるかは怪しい。

「…高月。貴女、時間稼ぎとか理解できますか」

「あんた俺様をどこまで低能だと思ってんだ裸に剥いて喰っちまうぞ(性的に)」

 どんな状況でも軽口を続けていられるのは自身の敗北を考えないから。あやかはへらりと表情を崩し、ヴェリテの前に出た。

 その時、背後で何かが破壊される音が響く。

 次いで落下し破片を四散させたのはガラスの蓋。棺のような、異世界技術を結集させた治癒カプセル開閉扉の残骸だった。


「…くそ。が三途の対岸で手ぇ振って招いてやがった」


 ざぱりと薄緑色の液体から上がった少年が、長く伸びた黒髪を絞って立ち上がる。〝憑依〟による頭髪の変異、艶やかな黒は内在して彼を呼び続けたとある童女のもの。


「いいぜ、やろう。居眠りこいてた分、今から取り戻さなきゃならないんだ」


 復活した日向夕陽が、病み上がりに相手してはいけない大悪魔を前に挑発的な笑みを向けてみせた。

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