余談 ~女死会~


 瀕死の日向夕陽を抱えて再びクリスタルレイクまで舞い戻った一行は、そこでひとまず樹木から削り出して作った即席の浴槽に湖の水を沸かせた湯を張り、そこに夕陽を肩まで浸からせた。

「我ながら結構な深手ですね。これ普通に生きてるのが不思議なくらいの怪我ですよ」

 人化した雷竜・ヴェリテが他人事のように言ってのけたのを幸が強く睨む。

「いえもちろん悪いとは思っていますよ。ですがこれは戦争、おそらく夕陽も目を覚ませばそう言うに違いありません」

 ヴェリテは日向夕陽を随分と高く買っていた。それこそ、いずれ本当に竜を殺す英傑になる者として見なす程度には。

 そして、そんな彼女以上に彼を深く想っている女性は幸以外にもこの世界には居た。

「そうだね。もっとも、彼が目を覚ます頃、貴様はこの世界どころか現世にすら留まってはいないだろうが」

 首筋に押し当てられた刃に気付き、ひゅうと口笛を鳴らす。今の今までその存在を察知できなかったのは大したものだ。認識を欺けられた雷竜は内心で表情以上に驚いていた。

「貴女は?」

「その子の保護者。この一言で殺意と怒りの程を察してもらえれば助かるね」

「…へえ、竜!ドラゴンか!なぁ姐御、コイツ俺様にやらせろよ皮欲しい!!」

「貴様は黙ってろ、今すぐ殺されたいか」

 刀を持つ女性の背後で場違いにはしゃぐ少女はどうも同じタイミングで出現したにしては仲間というには態度が辛辣過ぎる。

「私は既にベルを失った身、代理ですらありませんよ」

「それがどうした?未だ転移に抗い続けこの戦場に居座ってる時点で貴様を無害と断じるには無理がありそうだがどうかな」

「なあなあ!んじゃ殺してもいいから皮だけくれって!死骸はこっちで使うからぶぼふぉっ!!?」

 無遠慮に後ろから肩を掴んだ少女の頭部が炎の衝撃に飲まれて消し飛ぶ。

「この場で死ぬかとっとと去るか。どちらか選びなさい」

(…ああ。彼女が『わたしを殺せる』力の持ち主。彼の言っていた人間、ですか)

 日向夕陽が鈴より呼び出した時空の重複者。その男が警告混じりに告げていたのは間違いなく眼前の女性のことだと理解する。

 確かに肌に感じるこの圧迫感。無論のことただの人間ではない。それに潜り抜けてきた場数、死線、経験の総量はあるいはこの雷竜をすら凌ぐのではなかろうか。

 同じ日に二度もこのような脅威を目の当たりにするのは竜種にとっては非常に稀有な体験だ。

 故に、震える。

「……ふ。うふ」

 もちろん、恐怖ではなく歓喜に。

「ああ、厭ですね。所詮は私も一介の竜に過ぎない、ということを思い知らされます」

 首筋に当てられた刃が跳ね上がる。刀の勢いに引かれて二歩ほど後退した日和が静かに押し込めていた殺意を研いで放出する。


「来るならどうぞ、人間。きっと私も加減を忘れて殺してしまうでしょうが、そこはご愛嬌ということで」

「よく吼えた。竜畜生はそうこなくてはらしくない」


 互いに凄惨な笑みを浮かべ、刃と爪を構え間合いを測る。

「おっとと、まあ待てまあ待てって!!」

 その間に破壊された顔面を修復させた高月あやかが割り込み、わざとらしく地面を踏み砕いては三日月の形に口を引き伸ばした。

「置き去りにすんなよ寂しいじゃねぇか。あのさ姐御ぉ、……俺様そっちのけで勝手にはしゃぐってんならこっちも勝手やらしてもらっていんだよなぁ!!?」

 あやかの背後から巨大な眼球の魔女が出現し、同時に狂気の泥が噴き上がる。

「ベルは壊した。貴様は完全に消すのが手間だったから後回しにしておいただけ。ああいいだろう、勝手やった挙句、ここで朽ちていけ。二人纏めて来るといい」

 遅れを取り戻そうとするかのように誰よりも速く先手を打ったのは高月あやか。〝増幅リロード〟の異能で無限に引き延ばした一歩が地面を穿ち、

「へ?うぎゃあっ!」

 盛大に足を滑らせて地面とディープキス。無限に引き上げられた速度でまたしても顔面が粉砕した。

「いっでぇぇええええっなんで!?」

「何がしたいんですか貴女は…」

 転げ回るあやかを足でどけて、ヴェリテの十八番であるサンダーブレスの予兆が口から漏れ出る。

 今まさに咆哮と共に雷撃の息吹が放たれようとしたとき、顔を押さえてのた打ち回るあやかから跳ねた泥がヴェリテの両目に直撃した。

「あらら?」

 視覚で標的を定めていたヴェリテがいきなりの出来事に唖然とする。加えてその泥は正気を侵す不浄の塊。雷竜にそのような状態異常は効かないが、目に入ったことで五感の不定を発生させた。足が縺れ、よろめいた顔が下を向く。

 溜め込んだブレスを抑える術はなく、そのまま暴発。

「ぷわっ!?」

 真下の地面を吹き飛ばしたヴェリテの可愛らしい悲鳴と、そのすぐ隣でゴロゴロしていたあやかの右半身が雷撃にやられ蒸発した。

 最強格達が引き起こす漫才のような有様を、しかし日和は笑えなかった。一つ息を吐き、臨戦態勢を崩す。

「……分かったよ、幸。だからもうやめなさい」

「―――っっ!!」

 視線の先では、湯治を続ける意識不明の夕陽の傍に付き添う幸が、見たこともない怒りの表情で両手を正面にかざしていた。全身が淡く光り、その力を解き放っているのが分かる。

「貴様等も矛を収めろ。座敷童子の運勢操作だ。これ以上下手なことをすると全て数倍になって悪化を引き起こすぞ」

 座敷童子たる幸の異能は〝幸運〟。それは自身とその契約下にある夕陽へと恩恵を与えられている。

 幸が本気を出せば、それは自分と夕陽にとってプラスに働く事象を引き寄せる。それはつまり、二人以外の他者に不幸を叩きつける結果となる。

 夕陽の眠るこの場を荒らす敵対行動は、全て対象として定められていた。

「私が悪かったよ。力を使い過ぎれば君もただでは済まない、だから力はもう封じて。君の存在は夕陽にとって不可欠なんだ、君亡きあとに彼の泣き喚く姿など見たくはない」

 敵意殺意を纏めて引っ込め、平静に戻った日和が幸の頭をぽんと叩く。それから眠る夕陽を優しい眼差しで見下ろし、隣に置いてあった黒鞘を拾い上げようやく刃を納める。

「妥協点を定めよう。私は夕陽と幸に手出ししないならもうそれでいい」

「……私も、そうですね。彼を癒して治してあげられれば、それで」

 サンダーブレスの余波で煙る付近を尾で一払いして、牙と爪を戻したヴェリテも竜としての血気を鎮めていた。

「おーいて、死ぬかと思ったんだが。……んで何、妥協?」

 この会話の間にすっかり傷を元通りにしたあやかは血塗れの体で数秒考え込む。

「…これ姐御にも言ったけど、この世界のそこらにいる神?とかを殺したい、喰いたい、皮剝ぎたい」

 人にして神を目指す高月あやかにとってこの異世界には手本となる神々がうようよしている。あわよくばそれらと対峙し、殺せるならば殺し、そして魔女への供物とする。

 それでより先へ、神へ一歩近づけるのならここを我慢するくらいは妥協しよう。

 パンと、手を叩いた日和が多少強引に話を締めに掛かる。

「はい決定、不可侵協定だ。私達は本気でぶつかり合ってはいけない者同士、本当ならこうならない為に動いていたのだが、まあそこは私の落ち度としておこう」

 もう面倒臭くなっていた日和は二人への興味を失いかけている。

 こうして辿り着き、その無事を確かめられたのだから、もう日和にとっては彼以外に気を引くものなど一つして無い。

「…ともあれ、よく頑張ったね。夕陽」

 未だ生死の淵を彷徨う我が子の髪を梳き、心底から安堵したように彼女は呟いた。


 二日目、昼過ぎ。

 戦争開始から二十五時間が経過しようとしていた。

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