VS菱本キンジ


「おおー、でっかい湖だ」

「っ!」

 リルヤとの戦闘で受けた傷の手当てを施し、一休みの後に今度は徒歩で向かえる圏内。同南西に位置する巨大湖、クリスタルレイクへと足を運んでいた。

「拠点、ここでも良かったな。水場は貴重だよ、それによく澄んでる」

 湖の水は透き通り、底に描かれた奇妙な文様まではっきり見えるほど。

「ひとまず自前の水が尽きた際の補充場所は決まったな。……ところで幸、一分だけ待っててくれ。お花を摘みに……って、男の場合はなんて言うんだろな」

 大量の水を目にしたことで促されてしまったか。俺の言葉をいまひとつ理解していないながらもこくりと頷いてくれた幸と離れ、俺は大木の陰を探して小走りに奥へ向かった。




     -----

「動くなよ小娘」

 完全に見計らっていた、と断言せざるを得ない。

 夕陽と別れた直後を狙って、幸の背後から何か鋭い切っ先を突き立てる男の声に、童女はびくりと震えた。

 それと同時。

『同意見だ。幸。その男に敵意を向けず、夕陽を待て』

 インカムを装着していない幸へ、別のプロセスから繋げた念話が届く。聞き慣れた女性の声は、珍しく感情を払った冷たいものだった。

「お前があの小僧の切り札なのは知っている。お前さえいなければ小僧を消すのは容易い」

「…!」

『乗るな。君を煽ってる。いいか幸、君も参加者だ。日向夕陽と同一の存在として見なされている君が受ければ、夕陽抜きで両者の合意が成立する』

 先の二度で日和は確信していた。

 この戦争、勝負開始に至る手順は『互いの同意を示す言葉』だけではない。

 敵意を持った行動、意思、思考。それだけで交戦の引き金と成り得る。

『君を今すぐ殺さないのは評価の低い勝利を避けてるからだ。アナウンス無しでの戦闘行為はペナルティーないし陣営からの罰則なり悪印象なりが付く。奴が利益を求めてこの戦争に参加している輩なら、そのタブーは極力侵さない』

 事実この男、♧陣営所属の菱本キンジはこの戦争で自らの名を上げ、他企業とのコネクションと信用を得る為に参加していた。出現と同時に相手の情報をリスト上から一見し、即座にその人間性を看破した日和の言葉は虚偽ではない。

「お前と小僧。どちらを先に殺すのが楽か。…いや、やはり小僧だな。四肢をバラし、確実に心臓を穿って殺そう」

「………っ」


『Ⓙの日向夕陽、♧の菱本キンジ。両者の交戦意思を確認しました。カウントダウン5』


『まあ、そうなるか』

 心を殺す。そんな真似は日和以外には出来ない。何よりも誰よりも大事で大切な相手に危害を加えられると知って、怒りを抑えられるわけがなかった。

 だから始まる。

 この意思は同一、燃える心は共に同じ。


『4』

 メキャリ。


 。それは幸とキンジの間での成立ではない。


『3』

「お前か。小僧」

「ペナルティついでだ、殺してやるよ」


 最大強化五十倍の脚力で跳び出した夕陽の拳がキンジの頬を捉え、カウンターで放たれたメスが二の腕を貫いていた。


『2、1、0』


 今この瞬間。

 打倒『カンパニー』、五つ巴、Ⓙの陣営、フーダニットへの加担。

 その全てを忘れ、捨て去る。


「―――ただで済むと思うんじゃねェぞクソ野郎」

「ガキが粋がるな。裏の世界を思い知れ」


『戦闘開始』


 遅すぎたアナウンスの音声は、爆ぜた水面から噴き上がる水柱の轟音に呑み込まれた。




     -----

 仕組まれていた。

 幸を殺し損ねた事実がどこまで想定の内かは知らないが、少なくともここを戦場に選んだ理由は理解した。

 ヤツは念動力の異能を操る。水を操作して俺を捕縛しようとした段階でそれを察し、そして湖を囲う大木のざわめきでこの策略を早々に看破。嵌められたことに歯噛みする。

「死ね」

 キンジが片手をぐっと握る。

 あらかじめ鋭利に折られていた数百もの枝が一斉に襲い掛かった。

「テメェが、死ね」

 六十倍で地面を叩き割り、引き摺り出した岩盤を盾に枝の矢を防ぐ。

 俺達より前にこの湖を訪れ準備を整えていたのだろう。さながらここは蜘蛛の巣上。

 構うものか。

 長短まちまちな枝が突き立つ岩盤を放り投げ圧死を狙うも避けられた。〝憑依〟を発動していない肉体が五十倍以上の負荷に悲鳴を挙げていた。

 構うものか!

「くだらない蛮勇っぷりだな。いちいちその程度で我を見失うようじゃ三流止まりだ」

 着ているスーツの内側から五寸釘が抜き出る、その数合わせて百五十。

 初速からして弾丸に匹敵する速度で打ち出された釘の群れが、狙いを定めやすい胴体へと殺到した。

 固く硬く拳を握り締め、これを真っ向から迎撃する。

 三十、五十。

 見える、追い切れる。痛みに嘆く身体を鼓舞し手足を振るう。

「ッ……おォ、あああ!」

 八十、百十。

 最早拳は肉ではなく骨で叩き返しているに等しい。キンジの眉が僅かに寄った。

 百五十の全弾撃墜。

「…ッどうした三流以下。土下座であの子に謝るんなら半殺しで許してやるぞ」

「いい気になるな。徒労を噛み締めろ」

 くんとキンジが指を立てると、先程叩き落とした五寸釘や岩盤に突き刺さった枝が浮き上がり上空から俺を包囲した。

 火薬の弾とは違い、これらはヤツの掌握下にある限り再利用可能。

「無駄な足掻きだったな」

「…………ああ」

 

 充分な距離を置いて加速した釘と枝が迫るより先。

 爆ぜた地面に押されるように急加速した俺の体が、狭まる前の包囲網を突破した。

「な」

 さしものキンジもこれには驚きを隠せなかったようだ。

 ヤツは〝憑依〟を知っていた、その驚異を面倒に感じたからこそ幸から仕留めることを優先した。

 だから油断していた。怒りに駆られて万全の〝憑依〟で挑まなかった生身の俺を侮っていた。

「せァあ!!」

 ベルの位置は日和さんの情報により確認済み。スーツのネクタイピン。

 極力威力を溜め込み速度を上乗せした一撃は両腕の粉砕を代償に逸らされた。左鎖骨を打ち砕きながら共に大きくパンチの余波に引かれ下がる。

 再度ベルの破壊に意識を向けた俺の頭上から大樹が倒れ影を生む。

「チィ、時間を稼ぎきれなかったかっ」

(この野郎まだ……!?)

 一手、先を読まれた。あの猛攻すら大樹を念動力で引き抜くまでの時間稼ぎ。この本命で確実に殺す魂胆だったか。

 だが質量に比例して力を要するのか、倒れる大樹は半分ほどが根を断ち切れず不完全な状態。回避はそう難しくない。




「…!」

 この近辺で最大級に大きな樹木が倒れ地を揺るがす場面を、遠くから幸が不安そうに見つめていた。

『平気さ、この程度の困難に屈する彼じゃない。それは君もよく知ってるはずだけど』

 こくこくと強く頷くが、信じることと心配してしまうことは違うことなのだ。勝利を疑わなくても、不安に胸は鈍色に曇る。

 その時、倒木の衝撃で周囲を覆っていた土埃の中から例の男が現れた。咳き込みながら、しかめ面に汗を一筋垂らし次の手に思考を巡らせる。

 それを追随して、煙を引き裂き飛び出る夕陽。両腕が使い物にならなくなったとはいえ最後まで気を抜ける相手ではない故の必死さだった。

 しかしその夕陽にとって、いや誰よりも次の手を発動しようとしていた直前のキンジこそが愕然とした炎の渦。

 横合いから、湖の対岸から伸びた大炎の放射がキンジの肩を掠める。動揺に持っていかれた数秒は決着をつけるに十分過ぎた。

 今度こそ確実に殴り壊し、ついでとばかりに肋骨と内臓にも甚大なダメージを与えた夕陽の拳をもって、アナウンスは無機質に勝者を示した。


『ベルの破壊を確認、勝者日向夕陽』


(ご破算だ。次のコネを探すとするか)

 放っておけば死に繋がる傷を受けたキンジは、貫かれた衝撃のままに湖を底まで沈みながら『次』を考えていた。

 十数秒の後、湖底で展開された魔方陣により、無慈悲な裏組織の商人はこの世界から姿を消した。

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