ファルスフィス(♣)


 それは一人の老体が座禅を組んで瞑想に暮れていた時のことだった。

 間近でけたたましく鳴り響く滝の音に掻き消され、一つの足音が迫っていた。


氷精ジャックフロストのファルスフィス。その力を俺の為に活かしてくれ」


 東洋系寄りに整った青年の不遜な物言いに、しかし老人は応じない。

「その実力は高いものだと評価はしている。だからこそこうして勧誘に来た。徒労で終わらせてくれるなよ」

 そうすべきことが当然であるか如く、青年ソリティア・ウィードはファルスフィスへとただ一つの返答を要求する。

「……」

 それでも背を向ける老躯は身じろぎさえしない。老いた聴覚では落ちる大量の水音しか拾えていないのか。

 であるならば仕方ない。彼は合理を優先する男であった。

「ふむ」

 

 ソリティアの手の内に出現した奇妙な形の拳銃から短く三度、発泡音が放たれる。

 凶弾は狙い違わず座禅を組んだまま佇む老人の右肩、脇腹、頬を裂き。

 ―――キンッ。

「役者だな」

 貫かれた肉体は刹那に砕け散り、背後から首筋に冷たい刀身を押し当てられたままソリティアは満足そうに口の端を吊り上げた。

「悪いが俺もいい歳だ。人形遊びおままごとはちと、照れが残るぞ」

「左様か。なれば殺し合いチャンバラであらば満足かな?」

 ガラガラと崩れ落ちる座禅の形を作った氷像を見つめた格好で、背後で氷の刃を纏わせた杖を掲げる老氷精とようやくの対話を果たす。

「生憎と剣術にも覚えが無くてな。鉛弾でなら付き合えるが」

「構わんよ。それなら儂も攻め手を合わせるまでのこと」

 ファルスフィスの言葉の終わりと共に、大気中の水分が瞬く間に氷結し拳大の尖った氷弾がソリティアを囲う形で展開される。

「それが貴様の魔法か。興味深い、俺の世界には無い性質だ」

「魔法などと呼ばれるのは些かこそばゆいな。貴様の魔法は見せてくれなんだか」

「はは、残念ながら俺は浅学菲才の愚かな凡骨。俗に言う、ただの劣等生なんでな」

 手に持つ銃をあっさりと捨て、両手を上げる。

「なあ。手を貸してはくれないか。報酬にはお前の望む異界の技術をくれてやる。勝ち抜き、多くの敵を倒せばそれでいい。難しいことは無い」

「老い先短い儂を、さらに三途の淵へ追いやるつもりか。近頃の若い者は思いやりが足りんな」

「抜かせ」

 どちらともなく笑みを溢し、首に押し当てられていた氷刃が離れる。

「よかろう。少しだけ付き合ってやる。詳しく聞かせてもらおうかの」

 腰を折り曲げて杖を頼りに歩き行くわざとらしい爺らしさを振る舞うファルスフィスの背を、肩を竦めてソリティアがゆっくりとした歩調で追う。

 耳に痛い静寂に気付いたのはその瞬間。

「ふっ……狸爺が」

 鼻息が白く可視化されて漏れる。気温は既に零下。

 見上げる滝は真白に凍てつき、巨大な氷山と成り果てていた。

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