VS 異世界熊猫 1

「…っ、…っ!」

 俺のズボンを指先で引っ張って、なにやら幸が興奮気味に前方を指差している。

 何が言いたいのかはわかる。幸は『アレ』の実物を見るのは初めてだろうから。

 ただ、なんというか、アレは。

(俺の知ってるやつとは随分違うなぁ…)

 既に五分の降下時間を終え、敵との対面中。だが相手は純白の部屋の中央に座したまま微動だにしない。座禅を組む傍らに置かれた竹がまるで愛刀のようで、さながら剣術の達人のようにも見えた。

 だからそう、あまりにも人間じみた挙措をするものだから余計に着ぐるみ臭いというか、いや本物なのは分かるのだが。

 いくら異世界の存在とはいえどだ。

 ほんのちょっとでいいから、少しはパンダらしさを見せてほしかった。




     -----

「……お前が、次の相手か」

 声帯を震わせて、本来鳴き声しか発さないはずのパンダが喋った。やたら渋い声で。

「…アンタも、強化実験とかで利用された動物?とかだったりか」

 初戦のゴリラは特殊な腕輪によって強化された個体だったが、果たしてこれはその部類に入るのだろうか。

 たぶん、違う。

「あまり侮ってくれるなよ人間。そちらの世界でどういった扱いを受けているのかは知らんが、私はそれらとは一線を画す」

 おい流暢な喋りで当たり前のように二足立ちすんのやめろや。

 ここに来て初めてまともな対話の出来る相手が現れたが、外見とのギャップが激しすぎて思考がすぐ脇道に逸れてしまう。

 パンダ。どっからどう見てもパンダだ。

 ただ明らかに動物園で飼育されているだけのぶくぶく太ったそれじゃない。筋肉は引き締まり、やけにスリムな体型。それに全体から放たれる威圧感は対面しているだけで気圧されそうになる。

 …不味いな、普通に強いぞ。

「意外だな、アンタほどの手練れでもこんな場所で利用される身とは」

 冷や汗が流れるのを気取られぬように肩で拭い、傍らの幸を抱き寄せる。ただの異能力者の状態では歯が立たない。〝憑依〟を行う為に幸との接触をした瞬間のことだった。

「おい」

 声の行方にはっとする。一秒にも満たない間を幸に向けていた刹那、既にパンダの姿は視界のどこにも無かった。聴覚が捉えた声音は真後ろから。

「なんっ!?」

「闘いの支度くらい、対峙する前から整えておけ戯けが」

 幸を庇いつつ背後へ回し蹴りを放つが、そこにも奴の姿は無かった。呆れの色が混ざる声は逆側へ、つまり最初に座禅を組んでいた位置から聞こえる。

 強化された五感でも追い切れぬ超高速移動、でなければ瞬間移動か何かの能力使用。

「今のでお前の心臓を潰せていた。気を張り詰めろよ小僧、次は無い…」

(…〝憑依〟発動!全周警戒を頼む!)

 ともかく敵の動きが未知数だ。一つの身体に二つの意識を混合している利点を活かし、幸には戦闘に集中する俺とは別に四周に対する気配探知を任せた。

「ほう。人の身で人ならざるを内包するか。纏う妖力から察するに高位妖怪の降魔…共存する憑依など初めて見たが、なるほどそういう関係もあるのだな」

(どうなってんだコイツ!?一目で看破しやがったッ)

 人外関連の知識を持つ奴だ。その口振りが、かつて戦った祓魔師によく似ている。クソ、厄介に厄介を重ねてきやがるな。

 腰を落とし、左手に握る漆黒の木刀(本来は真剣)の柄に右手を伸ばす。敵は初戦と同様異世界系列の強化生物に酷似してるが、さて。

 刀を見たパンダの動きが止まる。

「神気を帯びた刀…か。妖気に神力は害毒でしかないはずだが、つくづくおかしな組み合わせよな」

 愉し気に牙を見せて嗤うパンダが、足を肩幅に開いて中腰の姿勢を取った。

(徒手格闘…武術の構え?)

 てっきりゴリラと同じく野生全開で獣としての動きをするものだと考えていた。

 だからだろうか、奴の初動を見逃したのは。

 ズンと半身に構えた左足が強く地を踏んで、

「―――……ごふっ」

〝…っ!!〟

 気が付くと俺は壁一面を粉砕してずるりと背中から崩れ落ちていた。内臓が捻じ切られたような激痛、鉄錆の臭いが込み上げて真紅の液体が堰を切ったように吐き出される。

 何が、起きた?

「この程度か?妖怪憑き。抗ってみせろよ、人らしく懸命に足掻け」

 強化ゴリラほどのおぞましさも、強靭な筋力も無い。

 殺戮機械ほどの巨体でもなければ未知のエネルギーを扱っているわけでも無い。

 だというのに、このパンダはそれらの脅威に比肩する。

 この敵もまた、例外なく怪物の一体だということを思い知り、霞む視界にその姿を収める。

 少女の声なき悲痛な声に頼り途絶えかけた意識を強引に繋ぐ。平気だ、大丈夫だと、虚勢だとしても応じることで安心を与えたくて。

 突き立てた刀を杖に起き上がる。

「……勝つさ。テメェを倒して家に帰る」

 最終戦、満身創痍にしては闘うべき相手はあまりにも強敵だった。

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