VS 異世界熊猫 2
『瞬歩』。
名を持たぬ熊猫が、仙人のもとで血の滲む修行を得た末に得た絶技である。
本来の歩行術・走法より次元を離れ、もはやその技は転移の域に達している。だがこの昇華は闘士にとっては致命的なものだった。
速度とは加速に直結し、加速の得られぬ打撃に威力は乗らないからだ。素手での格闘戦技を得手とする者にとって、この瞬歩はこと戦闘において役に立たない。
この絶技を完全に活用する手立ては一つ。
速度を必要としないこと。
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ズン!!
叩きつける足裏が震動を全身に返す。返る震動はそのまま膝、腿を通し腰を捻り胴から肩、肘を経由して拳へ。
震脚と呼ばれる、ある種のエネルギーを発生させる基礎を終え、再度の瞬歩。起き上がりを狙い敵の心臓を潰さんと掌を突き出す。
「くっ」
〝倍加〟によって強化された拳打が熊猫の掌底を真横に弾く。対処としては正解だ、仮に真っ向から受けて立っていたなら彼の拳は取り返しのつかないほどにひしゃげていた。
さらに瞬歩で距離を取られまいと顔面へ拳を打つ。だがそれは悪手だ。
トンと拳は軽々打ち上げられ、空いた胴体に熊猫の身体が潜り込む。背面を敵の腹部に押し当て、直後に解放された力が地を穿ち空に散る。
悲鳴すら上げられず少年の身がくの字に折れ曲がり真横に吹き飛んだ。
この段階でようやく日向夕陽は理解した。あの挙動、独特の構え、不自然なまでの高威力。
テレビや漫画の世界でしかお目に掛かったことはないが、ある国発祥の武術に極めて酷似している。
すなわちは中国拳法。その内訳は広義に解釈されるが、先の技は八極拳が一つ
震脚とはつまるところが中国拳法における勁を発する為の動作。ただの筋力によって生まれる力に非ず。勁とは姿勢と同義、全身を用いて集約される一極の打撃は距離を問わず、また速度に依存しない。
これを極めたある拳士曰く『弐の打ち要らず、弌つあらば事足りる』とすら言わせしめた一打必倒の極致。
〝倍加〟の能力者でなくばその胴体、今の一撃で上下泣き別れしていたであろうほどの撃力であった。
(んむ、なるほどね。最高深度の〝憑依〟は封じられ、だがそれでは肉体の耐久が追い付かない。なにより力比べでは向こうに利がある)
完全なランダムだと聞いていたが、三戦目にして悪い引きをしてしまったものだ。
〝幸運〟を宿す彼にしては非常に珍しいことだと、千里を超えたついでに世界すら跳び越えた先を〝視て〟いた女性は我が子にして愛弟子の彼に同情した。
さらにその眼で敵のパンダを見据える。
(ただの武術でもないな。仙界…というのはこちらでいう〝具現界域〟のことか?そこで霊力を身に着けたか。であるならば、それはそれで好都合。抜群に破魔の通る相手だし、やたら刀の接触を嫌がっているのは夕陽も気付いているだろう)
わざわざ敵と同じ土俵に上がってやる必要はない。勝てる手段があるのなら、それが異端であろうと卑怯であろうと全て使え。
口酸っぱく何度も言い聞かせていた言葉を彼が覚えていないはずがない。
とはいえ、あれでは勝っても重傷は免れない。
一つ息を吐いて、日向日和は彼の従者に呼び掛ける。
「
「はい、日和様。…何か御用ですか?」
「今の内に
「…!只今!」
主の危機と知るや、使いを頼まれた鬼の少女は瞬きの間に消え失せた。
(さて、こちらの用意はこれで万端。手足が捥げようがどうにか治せるだろうから、最後まで頑張りなさい)
これだけの劣勢を見続けていながらも、彼女は夕陽の勝利を微塵も疑ってはいなかった。
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「…」
熊猫が左肩に手を置く。黒色の斑模様を霊力で硬化できるはずのその部分が、毛皮を裂いて流血していた。
鉄山靠によって吹き飛ばされる直前、夕陽の抜刀が僅かに掠めていたらしい。やはり神刀による斬撃は仙界で霊力を取り込み変異したこの肉体には通る。硬化も意味を成していない。
両者の思惑は共に刀のみに絞られた。
(破魔の刃なら通じる!肉弾戦は致命的に向こうが上だが、リーチだけならこっちが有利!)
(まずは刀を…いや腕を砕くが優先か)
夕陽が飛び出し、熊猫は構えたまま一歩も踏まずに応じる、そもそもが移動を必要としていない。
上段からの袈裟切り。寸前まで見極めるつもりでいたが、接触の直前に刀は停止し、代わりに足を払い除ける下段蹴りが視界外から振るわれる。
狙いは良い。発勁に震脚を用いる都合上、この武術は両脚を地に着けていなければ威力を十全に発揮できない。中国武術に対し有効な手立てだ。
だがこの弱点は瞬歩によって補われている。
「っ!?」
肩から斬り裂くつもりで一度止めた刀を押し出すも敵の姿はそこになく。またしても背後を取られた。
熊猫はこの瞬歩に絶対の自信があった。音も気配も消え失せ移動するこれに対応できる者など達人級の中でも一握り。まして初撃を躱せなかったこの小僧にそれが可能だとはまったく考えていなかった。
これは慢心ではなく事実であった。
〝……っ〟
「そこか!!」
相手が一人であったなら、それは確かな事実であった。
幸の意識が背後に回った敵を捉え、少女へ全幅の信頼を置く夕陽は一切の躊躇なくその判断に任せた。
空ぶった刀ごと体を斜めに回転させ、下から掬い上げるようにその拳を斬り付けた。
「ぬっ」
拳の面に一直線の切り傷が刻まれ血が噴き出る。危うく指が落とされるところであったがまだ握れる。そして熊猫は痛みなどでは決して退かない。
無理な姿勢から強引に攻撃へ転じた夕陽はまだ足を地面に触れられない。一秒に満たない時間はもどかしく永遠にすら感じられた。
浮いた胴体へと、折り曲げた腕から繰り出される肘鉄が差し込まれる。
相手は空中で避ける術を持たない。落下してくる夕陽は恰好のサンドバックだった。
「フン!!」
震脚、発勁。
足先から練り上げられる力は各部位を巡って倍増、持ち上げた右拳へと集約された特大の勁。それは確約された死を告げる砲声。
〝!!〟
メキャリ。肉と骨を一緒くたに潰す不気味な音に幸は怯えた。
強烈なアッパーカットをもらい、夕陽の体は天井に叩きつけられるだけに留まらず、さらに地面へ跳ね返り全身強打の末に転がってようやく止まった。
「死んだか?」
仮にそうだとしても、確認は怠らない。足元に転がっていた竹を拾い上げ、二メートルあるそれを二つに割る。
そうして片方、先端の尖った方を利き手に持ち替えてから大きく振りかぶり投擲。倒れ伏す夕陽の頭蓋を射貫く軌道で迫る。
が、結果としてそれは真っ二つに避けれた上で踏みつけ粉砕された。
「はぁ、はっ!…ぜはっ…ふう…っ!」
「だろうよ。…面倒な能力を持つ妖怪だ」
バリバリと半分残った竹を噛み砕く熊猫を睨み据えながら、荒い息をどうにか平常に戻すべく善処するが、痛みに阻害されてうまくいかない。
(幸…か!助かった)
〝幸運〟による補正が効いたか、紙一重のところで急所には至らなかったらしい。加えて幸の方から〝憑依〟の底上げと〝倍加〟の操作を瞬間的にとはいえ担ってくれたおかげで肉体の方も最悪の状態を免れていた。
インパクトの間際に割り込ませた左手は肩まで完全に砕け使い物にならない。
竹を喰らう熊猫は、どういう理屈か切り傷が癒え始めている。超速的な吸収能力まで保有しているらしい。が、向こうも立て続けに武技を連続した上に負傷が深いのか完全再生とまではいかないようだ。
相手も疲弊している。
(
(利き腕を潰さねば止まらんか。糞が、傷口から破邪が入り込んで肉体の稼働に支障が生まれ始めている…)
両者共に察していた。
もう数撃の内に決着はつく。
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